海原雄山夫妻および親族
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「美味しんぼの登場人物」の記事における「海原雄山夫妻および親族」の解説
海原 雄山 演 - 原田芳雄→江守徹(テレビドラマ・金曜エンタテイメント版)、松平健(テレビドラマ・土曜プレミアム版)、三國連太郎(映画) 声 - 大塚周夫(テレビアニメ) 山岡士郎の父。陶芸を中心に書道・絵画・文筆にも秀でた大芸術家。妥協のない厳しく激しい性格。士郎との確執が全編を貫くストーリーとなっており、存在感が非常に大きいキャラクターである。「食」もまた芸術と考える希代の美食家であり、それが嵩じて会員制料亭「美食倶楽部」を主宰している。初登場は1巻「油の音」。 モデルは同じく美食家で、一頃「星ヶ岡茶寮」という料亭を経営していた北大路魯山人。作中、雄山の師である人間国宝の唐山陶人が北大路魯山人の弟子という設定になっている。雄山は魯山人を「生涯をかけて乗り越える」ことを目標としている。 外見は、白髪の混じった総髪。登場当初は杖を使用していた。服装はほとんど和服に中羽織。都内での移動はお抱え運転手付きのロールスロイスに乗る。しかしすぐに杖を使わなくなり、移動も中川を伴って徒歩になることが多い。 雅号めいた名前だが、陶人に師事する前の美術大学生時代からそう名乗っている。本名かは不明。 美術大学を日本画と書の勉学のために7年かけて卒業。山岡とし子とは大学入学後に逗留先の福島県の霊山神社で知り合った。のちに唐山陶人から独立して「雄山窯」を建てる際に結婚している(第111巻「福島の真実」)。 とし子との間にできた息子が士郎で、雄山は早くから息子の味覚に対する鋭い感性を感じ取り、士郎が中学生になった頃から調理場に入れて料理の基本を徹底的に教え込んだ(1巻「ダシの秘密」、101巻「親の味・子の心」参照)。幼少時の士郎に豊かな感性を養ってもらいたいと、自ら士郎のために食器を作ったり、食材の美味しさを引き出した料理を作って偏食を治したりするなど、父親として優しい一面もあったが、厳しい面のほうが強く、何よりも士郎の母親に対する妥協を許さぬ態度が「芸術や美食のためなら周囲を不幸にすることも厭わない人間」として、士郎の反感を買うこととなった。なお、実際には心臓の弱い妻を気遣って出産には反対していたが、雄山の後継者が必要だとして押し切られた。また、当初は余命幾ばくもなかった妻が長命を全うできたのは、ひとえに雄山に対する献身が彼女を支えていたからと主治医から告げられている。母親の死をきっかけに息子とは訣別。士郎は家にある雄山の作品をすべて壊して出奔、雄山は士郎を勘当し、絶縁状態となった。本編でのふたりの関係は、雄山が東西新聞に入社していた士郎を見つけるところから始まっている。 登場当初は、士郎が言うとおりの極めて冷酷・尊大な人物として描かれており、吸い物が気に入らないと椀を投げる、お膳をひっくり返したりする他、公衆の面前で士郎ら東西新聞の面々を「食い物の味も分からぬ豚や猿」呼ばわりしたり、士郎へのあてこすりとして大原社主を美食倶楽部から追放する、レストランの開店パーティーにわさび醤油を持ち込んでフランス料理を貶めたりするなど傍若無人なキャラクターだったが、士郎に煮え湯を飲まされることも少なくなかった。しかし、5巻「もてなしの心」で「心」こそ最も大事なものと言い出してからは「気難しいが筋の通った人格者」として描かれるようになり、二人の関係をよく知っている者たちからも、士郎も父親譲りの頑固な性格で、和解が成り難かったと語られるようになった。士郎とゆう子が結婚してからは、士郎を鍛え見守る父親としての一面も見せ始め、孫に対しては頭によじ登られても苦笑いし、誕生祝いとして自作の茶碗を贈り、3人の孫たちには塗りの弁当箱を贈っている。これらの路線変更については、のちに士郎が雄山の振る舞いについて誤解していたとの説明がなされたが、周囲の人物には士郎のほうがわがままだったという印象を与え、ゆう子に至っては「雄山の育て方に原因があった」という線こそ否定してないものの、士郎については「何でも親に反抗ばかりしている」と皮肉られた。 ゆう子が父子関係の修復に動きだすようになってからは、何かと彼女に一本取られることが多くなる。雄山も口ではいろいろ言うものの、そう言うゆう子を悪く思っていない。しかし、これまでに「おまえ」や「栗田ゆう子」としか呼んだことがない。 東西新聞の「究極のメニュー」に対する帝都新聞の「至高のメニュー」のアドバイザーを引き受け、究極側を何度も敗北させている。 雄山は、士郎が自分に対してどういう感情を持っているかは、彼と再び相まみえてからの数々の態度から理解したと思われる。63巻「東西新聞の危機」では「あの男(=士郎)は私が私の妻(=士郎の母)をいじめ殺したと言う」「あの男…私を憎んでいる。終生、私を許さないそうだ」と語っている。102巻「究極と至高の行方」にて、雄山の方から手を差し伸べる形でついに士郎と和解したが、その後も対決は続き、103巻「日本全県味巡り和歌山編」では士郎に関して「『虫けら同然』から『少し対等』に扱うだけ」と言っていた。しかし、福島県の現状を共に取材し、雄山自身の過去や妻とし子との出会いなどを士郎に語ることで2人は過去を乗り越え、それまで雄山を「お前」や「あんた」などと呼んでいた士郎が「父さん」と呼んだことで、父子はついに真の和解を果たすこととなる。 妻の存命中は一戸建ての和風邸宅で妻と士郎の3人で暮らしていて、他にも弟子や窯場の関係者や女中などもそばにいたが、妻の死後は美食倶楽部の離れで生活している。 政治家と付き合う事を嫌うが、角丸副総理や大橋総理などごく一部の政治家とは交流がある。それ故政界には顔が利くらしく、雄山を襲った「元気亭」の店主を留置所から釈放させたことがある。また、13巻「激闘鯨合戦」では角丸副総理にロビー活動を行っている。 76巻「雄山の危機」で交通事故に遭い、一時昏睡状態に陥るが、士郎が僅かに「おやじ…」と呼ぶ声で恢復に至った。 「雄山の料理好きと帝王のような味覚は天性のもの」と言われている。芸術家・美食家としてだけでなく料理人としても超一流であり、料理は普段美食倶楽部の料理人に作らせているが、8巻「スープと麺」では自ら冷やし中華を調理し周囲を驚かせた。ほか、美食倶楽部が人手不足に陥った際にも自ら板場に立ち調理している(88巻「器対決」)。また、美食倶楽部の料理の基礎は雄山自身が調理を実演することで、中川・進藤をはじめとする設立初期の板前たちに直接指導している。 雄山の親族(士郎の父方の親戚)の有無は、未登場のため不明。 「幻の魚」では鯖の刺身を下魚と罵っていたが、葉山の料理店「大しげ(実在店、現存せず)」にて、士郎に200匹に1匹程度しかいない“幻の鯖”の刺身を出され、旨さを認めつつも器のせいにしてしまうが、後日詫びの意味を込めて自作の器を大しげに寄贈する。また、前述した3巻「料理のルール」では、侮辱したフランス料理店に謝罪の意を込めて「フランス料理は偉大」とした記事を書き、見直している。 「大地の赤」では士郎の緑健農法のトマト栽培にビニールハウスや化学肥料を用いていることに驚き罵ったが、その出来栄えに感動し、「対決スパゲッティ」では主要食材に起用した。結果、トマトの評価では士郎に敗北したものの、スパゲッティ自体の評価では「単純だが素材を活かして毎日でも食べたくなる」として高い評価を受け、返り討ちにしている。 「潮風の贈り物」では、お抱えの板前・古崎が恋人の鈴子を振って千葉の大きな料亭の娘に鞍替えしてしまい、鈴子が自殺未遂をするまでに至った。鈴子に思いを寄せていた岡星良三は必死になって介抱のために料理を作り、雄山も責任を感じて鈴子のための料理を探すが、鈴子は何も口にせず、病状も悪化する。そのような中で、士郎が鈴子の故郷である伊豆の海苔や魚介類を使った料理を出し、エキシビションマッチで大金星を取られることとなった。 海原(山岡) とし子 声 - 坪井章子 山岡士郎の母で海原雄山の妻。故人。享年は不明、名前は作品媒体により複数登場したが、第111巻「福島の真実」の回想シーンで「山岡とし子」と名乗っている。 初登場作品は18巻「焙じ茶の心」における士郎の回想シーン。容貌は第111巻「福島の真実」にて、雄山と出会った頃の若い姿で初めて描かれた。それ以外では基本的にシルエットや後姿のみ描写である。また、登場場面ではほとんどが和装。 旧姓は山岡(士郎は家を出た後に「海原」姓ではなくこの姓を名乗っている)。 雄山との出会いは、雄山が美術大学に入学した夏休みに福島の霊山神社にお世話になっていた時、高校1年生のとし子と出会っている。 稀代の芸術家・美食家の妻として精神的に雄山と深い繋がりがあったことは明らかである。そのことは、とし子初登場回で、士郎の回想シーンにおいて雄山を罵った士郎に「あなたには人の心がわからないの?」と悲しい顔をしたり、なおも茶の焙じ器を叩き割る悪態をついた士郎の顔を平手打ちする場面、また同話にて士郎が小説家加村鯉一の妻真紀に自分の父親の母親に対する仕打ちを語ったときに真紀が、「お父様が立派な仕事を成し遂げるたびお母様は心から喜んだはず。それは自分自身の業績でもあるから」「夫婦のことは子供といえども他の人には決して分からないことがある」と語り、夫の横暴ぶりとそれに妻が献身的に応える場面がシンクロして描かれている。加えてチヨらの話はもとより、とし子を看取った医者の水村の証言(47巻「病の秘密」)、雄山からの告白からもそのことは窺えるが、生前の雄山の彼女に対する処し方が士郎の誤解を生んだことで、親子断絶の原因ともなった。だが、雄山の若い頃から彼の芸術家としての大成を誰よりも望み、そのために芸術家の妻として、また「美食倶楽部」の(運営に携わった記述は無いものの)女将として命を懸けて雄山を後押して多大な貢献をした。そのことは士郎以外の二人を知る人たちは理解していて、ゆう子も深く理解しているが、士郎だけは頑なに拒んでいた。 生まれつきの心臓疾患で徐々に心臓の筋肉が衰えていく難病に冒され、雄山は子どもを諦めるつもりだったにもかかわらず、「海原雄山という天才の血を残さなかったら恥だ」としてその意志を貫き士郎を産んだため、寿命を縮めてしまった(47巻「病の秘密」)。雄山は彼女の命日には毎年欠かさず墓参りに赴き、最も身近な中川ですら同伴させないほど彼女を愛している。 彼女が雄山のために作った料理は事ある毎にチヨにより「奥様の料理」として、ゆう子に伝えられている。47巻「結婚披露宴」で雄山は「至高の中の至高」としてかつて彼女が作った惣菜料理を選び、その安価で平凡な食材のもたらした感動が、一切妥協しない自らの芸術の道を開いたこと、そして世に認められた後も気に入らぬ仕事で苦しむたびに「貧乏でもよい」という彼女の言葉が権威・権力に屈しない気迫と精神の源だったことを語った。 美についてのアイデンティティや定義について学生時代の雄山が悩んでいた時、とし子が唐山陶人作の白磁の皿に乗せて持って来た桃を皮ごと食べた時の感覚が「美食倶楽部」の原点となっている。なお、この白磁の皿は夫婦の思い出の品となっており、士郎に託されている(第111巻「福島の真実」)。 とし子の親族(士郎の母方の親戚)は、伝次郎以外不明。ただし、士郎の台詞の中で「母方の叔父が病気で見舞いに…」というものがあったが(9巻「新妻の手料理」)、真偽のほどは不明。
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