シニア以降
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「アデリナ・ソトニコワ」の記事における「シニア以降」の解説
2011-2012シーズン、グランプリシリーズ中国杯とロステレコム杯いずれも3位、グランプリシリーズ全体でのポイントランキングが7位となり、グランプリファイナルへは出場できなかった。続くロシア選手権ではグランプリファイナル出場者であるエリザベータ・トゥクタミシェワやアリョーナ・レオノワを破って優勝。しかし翌月のユースオリンピックでは、FSのミスが響きトゥクタミシェワに敗北、2位となった。世界ジュニア選手権では3位となった。 2012-2013シーズン、グランプリシリーズ、ロシア選手権と苦戦が続いたが、欧州選手権ではSPで1位、総合では2位となった。初出場の世界選手権では9位。
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シニア以降
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シニアデビュー 2013-2014シーズン、シニアのISUグランプリシリーズ初参戦となった2013年NHK杯では、一番滑走のSPで冷静に滑りきったもののFSでミスが出て5位。2013年ロステレコム杯では、FSで3Lz+3Tを決めたがその後のジャンプに転倒などがあり5位となった。第82回全日本フィギュアスケート選手権では、SPで3Lz+3Tをクリーンに着氷させ66.52点をマーク。FSでも大きなミスはなかったが、他の選手が得点を伸ばしたため総合4位となり、ソチオリンピック代表選出は惜しくもならなかった。2014年四大陸フィギュアスケート選手権では、FSで3Lz+3Tをクリーンに着氷させるなどミスのない演技をみせ、FS及びトータルスコアで自己最高得点をマークし、国際スケート連盟主催のシニアの大会で初の表彰台となる総合2位となった。 全日本選手権優勝・世界選手権銀メダル獲得 2014-2015シーズン、2014年CSロンバルディア杯で優勝する。グランプリシリーズの2014年スケートカナダ及び2014年NHK杯は共に日本女子首位の3位だったが、2014年GPファイナル進出はならなかった。長野市で開催の第83回全日本フィギュアスケート選手権ではSP2位発進だったが、FSでほぼ完璧な演技を披露しSPで1位だった本郷理華に逆転して総合1位となり、初優勝を果たす。2015年四大陸フィギュアスケート選手権ではSPで自己ベストを更新しトップに立ったが、FSではジャンプミスが響いて得点が伸びず、結果2年連続の総合2位となる。2015年世界フィギュアスケート選手権ではSP、FS共に自己ベストを更新し初出場で銀メダルを獲得した。初出場となった4月開催の国別対抗戦ではSPでジャンプのミスがあり6位と出遅れるが、FSでは自己ベスト129.12を記録し3位となった。日本は銅メダルを獲得している。 GPファイナル銀メダル獲得、全日本選手権連覇、四大陸選手権優勝 2015-2016シーズン、2015年CSUSクラシックで優勝。グランプリシリーズの2015年スケートアメリカで3位、続く2015年NHK杯ではSP・FSともに自己ベストを更新し、自身初、日本人3人目となる200点台をマークし優勝。その結果により、自身初となるGPファイナル出場が決定する。初出場となったグランプリファイナルではSPで4位、自身初の140点台を出しFSで2位となり、総合2位で銀メダルを獲得した。全日本選手権では樋口新葉、浅田真央などを抑えSP、FSともにトップで二連覇を飾る。3度目の出場となった四大陸選手権では、SP、フリーともに自己ベストを更新し、シニアの主要国際大会で初優勝を果たした。2年連続の出場となった世界選手権では5位となる。 GPファイナル2年連続銀メダル獲得、全日本選手権3連覇、左股関節疲労骨折で世界選手権など欠場 2016-2017シーズン、2016年CSUSクラシックで前年に続き2年連続優勝。グランプリシリーズではスケートカナダでは3位、NHK杯では2位と両大会でメダルを獲得し2年連続のグランプリファイナルの出場が確定した。ファイナルではSP・FSで自己ベストを出し、日本人女子歴代最高得点の総合218.33で2度目の銀メダルを獲得した。全日本選手権では、SP、FSともに首位を守り浅田真央以来の3連覇を達成した。 ところが、翌2017年1月に全治4週間の左股関節疲労骨折の診断を受け、2月に出場の決まっていた四大陸選手権と冬季アジア大会の欠場を発表した。その後、世界選手権に向けて回復を待ち調整を進めたが、痛みが取り切れずに同選手権も欠場した。3月下旬から4月までの1ヶ月間氷上を離れ、国立スポーツ科学センターでのリハビリを行った。 故障からの復帰、スケートアメリカ優勝、全日本選手権4連覇 2017-2018シーズン、5月から氷上練習を本格的に再開した。左足の捻挫や体調不良などがありながらも、左股関節の疲労骨折は順調な回復を見せた。ただ、故障の原因ともなった骨密度低下の回復に時間がかかり、ジャンプ練習を再開した8月頃に右股関節の骨挫傷を発症、再び氷上を離れることを強いられた。1ヶ月後再び氷上練習を再開するも、回復した左股関節の再発や、さらなる故障を危惧したため、予定していたISUチャレンジャーシリーズのフィンランディア杯を欠場した。その間練習量を制限していた中で、負担の少ないスケーティング技術やスピン、表現力などを磨き続け、良好な検査結果を受けて10月からジャンプ練習を再開。 11か月振りの復帰戦となった、グランプリシリーズ初戦のNHK杯では、SP・FSともにミスが出て5位に。満足の行く結果は残せなかったが、体調面では順調な回復ぶりに笑顔も見せた。2戦目のスケートアメリカでは、SPでは僅かなミスに止め1位、FSもほぼミスなくまとめ自己ベストに迫る得点で1位となり初優勝を遂げた。グランプリシリーズの優勝は2015年のNHK杯以来2年ぶり2度目。怪我からの完全復活を遂げた。またこの優勝でグランプリファイナル(日本ガイシホール)出場順位の7位(次点出場候補者)となり、12月1日にエフゲニア・メドベージェワ(ロシア)が故障で同大会を辞退した為に繰り上がりで出場。SPはミスのない演技で3位、しかしFSでは3つの3回転ジャンプで回転不足の判定を受け4位となった。総合では5位で3年連続の表彰台とはならなかったが、演技構成点では全体の3位と高い評価を受けた。続く全日本選手権ではSPは僅かなミスにとどめ坂本花織に次ぐ2位。FSでは147.16という高得点を獲得して1位になり、総合得点でも全日本選手権女子歴代最高得点の220越えの高得点で優勝、浅田真央以来の全日本4連覇を達成するとともに、平昌オリンピックの日本代表入りを決めた。オリンピック前哨戦ともいえる四大陸選手権では、SPでは首位発進。しかし、FSでは転倒などのミスが重なり3位と順位を落とし2年ぶりの優勝とはならなかった。 平昌オリンピック団体戦5位・個人戦4位入賞・世界選手権銅メダル獲得 平昌オリンピック団体戦のSPでは、上位の中では数少ないクリーンな演技を見せたが、冒頭の3回転ルッツからのコンビネーションジャンプで2本とも回転不足判定を受け、4位と振るわず不安の残る結果となった。この判定を巡って専門家からの指摘もあり、いくつもの疑問の声が湧き上がることとなった。 個人戦・女子シングルのSPでは、懸念されていた冒頭のコンビネーションジャンプを10日あまりの最終調整で克服。ジャンプ、スピン、ステップなど全ての要素で加点を得る完璧な演技を見せ、75.94点を獲得し自己ベストを更新。4位と好スタートを切った。FSでもSPの勢いそのままにマイナスの評価も一切なく完璧な演技を見せガッツポーズ、三原舞依の持つ日本女子フリー最高得点を塗り替える146.44点を獲得し、総合でも自身の持つ日本女子の歴代最高得点を塗り替える222.38を叩き出す。惜しくも五輪メダル獲得まであと一歩届かなかったが、初出場のオリンピックで4位入賞の好成績を挙げた。演技後「結果は悔しいがやれることは全て出来た。課題もまだあるが、次に繋がると思う」とさらなる目標を見据えた。 世界選手権では、SPはステップと3つのスピンで全て最高評価のレベル4を獲得し、演技構成点でも全てにおいて9点台を叩き出し74.36点で3位につけた。フリーでは2つの連続ジャンプの回転不足とサルコウジャンプの転倒などミスもあったが、高い演技構成点でカバーし銅メダルを獲得、銀メダルを獲得した樋口新葉と共にダブル表彰台を飾った。これにより、翌年さいたま市開催予定の世界選手権・女子シングル日本代表は3枠に復活した。 スケートアメリカ連覇 2018ー2019シーズン、初戦のCSUSクラシック大会では、ショート、フリーで回転不足や転倒などのミスがあるものの大会自身3度目の優勝を果たす。続くジャパンオープンでは、チームJapanとして優勝を飾るも、自身の得点は伸びず不本意な試合となった。グランプリシリーズ初戦スケートアメリカでは、SPでは、全ての要素で加点を得る演技で73.86点を記録しトップに立つ。FSもステップでのレベルの取りこぼしがあったもののノーミスの演技で145.85点を記録しフリーもトップ。総合でも219.71点で優勝。連覇を果たすとともに、自身3度目のグランプリシリーズ優勝を達成した。SP、FS、総合の全てで新ルールでのパーソナルベストを記録し、課題の回転不足も克服した。続くNHK杯では、SPでパーソナルベストの76.08点を叩き出し2位につけるも、FSでは小さいミスが重なり同門の紀平梨花選手に次ぐ2位となるも、4年連続のファイナル進出を決めた。グランプリファイナルのSPでは、コンビネーションジャンプが単独になるなどのミスがあり6位。FSでもジャンプの調子を取り戻せず6位となり、総合でも6位で不本意な結果となった。全日本選手権ではSPで完璧な演技で首位に立つも、FSで3回転フリップが2回転になるミスがあり坂本花織、紀平梨花に続く3位となり、伊藤みどり以来の5連覇とはならなかった。ババリアンオープンでは、SPで僅かなミスもあり2位。FSではいくつかミスも重なったが巻き返して優勝。世界選手権ではSPでコンビネーションに僅かなミスが出て8位発信。FSは3連続ジャンプが乱れた他はガッツポーズが出る完璧な演技をし6位入賞した。 2019ー2020シーズン 自身のブログで今シーズンのSPはブノワリショー振り付けYalla, Tabla & Percussion Solo, Egyptian Disco (Buddha Bar Edit) / DJ Disseフリーは、ローリーニコル振り付けTheme of Schindler’sList, Prelude in C sharp minor, Hatikva (Intelude) と発表する。メインコーチに、織田信成さんらを指導したカナダ人のリー・バーケル氏が加わることが9月18日発表された。浜田美栄コーチを含めた2人の指導を受ける。初戦となったCSUSクラシックでは、SPでノーミスの演技をし74.16点で1位発進。FSでは回転不足などのミスが出たものの、1位を守り切り204.30点で4回目の優勝を果たした。グランプリシリーズ初戦の中国杯ではSPで2つの3回転ジャンプで回転不足を取られたものの、68.91点で2位発進となる。FSは、再び3つの3回転ジャンプで回転不足を取られたものの高い演技構成点など表現力でカバーし、142.27点のシーズンベストを記録。トータルでもシーズンベストとなる211.18点で2位となった。続くロステレコム杯では、SPで冒頭のコンビネーションジャンプでルッツが2回転に抜けてしまい無得点となってしまうミスが響いて、リカバリーしたものの63.09点で6位と出遅れる。巻き返しを図ったFSでは、3回転フリップで転倒したのに加えて5つのジャンプで回転不足が取られてしまい得点は伸びず、129.33点。トータルでは192.42点4位となり、日本女子史上初となる5年連続のファイナル進出とはならなかった。全日本選手権では5度目の優勝を狙うこととなった。SPでは2つの3回転ジャンプで回転不足を取られるも、70.11点で2位発進。しかし、FSでは多くのジャンプで回転不足を取られたほか、スピンステップでも力を出しきれず121.32点となり、トータルは191.43点で4位となり、6年連続の表彰台を逃した。 2020ー2021シーズン 全日本選手権では、SPでループが2回転になるミスを犯し6位と出遅れたが、FSでは最後のジャンプで転倒した以外は大きなミス無く演技を終え総合3位、2年ぶりの表彰台となった。世界選手権では、SPでは冒頭のルッツで転倒、コンビネーションジャンプの2つ目が1回転になるなどのミスが出て16位と大きく出遅れた。FSでも2回の転倒、ルッツやループが2回転に抜ける等のミスが相次ぎ19位、総合では172.30点で19位となった。 2021ー2022シーズン グランプリシリーズ第1戦 アメリカ大会(スケートアメリカ)、第3戦 イタリア大会、全日本選手権に出場。四大陸選手権代表に選ばれるも欠場。 2022年3月26日、自身のブログ・Instagramで現役引退を発表。引退後はプロスケーターに転身することもあわせて発表された。
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シニア以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:29 UTC 版)
「鈴木潤 (フィギュアスケート選手)」の記事における「シニア以降」の解説
北海道大学工学部に合格後、選手生活は4年間と決め競技に復帰。大学2年生の2015-2016年シーズンに、全日本選手権が地元の札幌開催だったことから「懸けるならここしかない」と大きな決断をし、当時のコーチである山田真実のつてをたどってアメリカのミシガン州デトロイトで指導者として活躍している元世界チャンピオンの佐藤有香の元でプログラム作りを行った。以降大学院1年生まで毎年デトロイトに赴き佐藤有香の元で振付を行い、滞在中にはジェレミー・アボットの指導を受けたりパトリック・チャンから刺激をもらったりした。 トリプルアクセルを習得し挑んだその年の全日本選手権では地元開催ということで大きな歓声を浴びたが、直前の怪我もあり結果は13位とあと一つで強化指定を逃した。 4年間の競技生活で強化選手に復帰するためには最後のチャンスとなる大学3年生の夏にまたも腰椎分離症を発症。怪我を抱えながらも東日本選手権で2位に入り全日本選手権での上位進出が期待されたが、全日本選手権では持ち越しのショートプログラムでは8位につけたものの、フリースケーティングでは怪我の影響もあり失速。結果は14位で終わり強化選手への復帰は叶わなかった。年明けのインカレには出場を予定していたが状態が悪化したことから試合前日に出場を断念。以降そのシーズンの残りを休養にあて、休養中のインタビューでは大学院進学後の現役続行の可能性を初めて示唆した。 背水の陣で挑んだ大学4年生のシーズンに、全日本選手権のショートプログラムで12位につけ、迎えたフリースケーティングでは自己ベストとなる会心の演技を披露。初の合計200点超えを果たし最終的に総合10位となり翌シーズンの強化指定の権利を得た。2月には高校2年生以来の国際大会にも派遣され、4位と表彰台まであと1歩にせまり、182pを獲得しISUワールドスタンディングで165位にランクインした。 強化指定選手への復帰を果たしたことで大学院進学後も現役続行を決意し、大学院1年生のシーズンの全日本選手権では文武両道の選手として観客を引き込む演技で話題を呼んだ。 大学院2年生のシーズン前に、今年度限りでの引退を発表。最後のプログラムとなるショートプログラムは『別れの曲』を選び、振付は自身で行った。 6位以内で全日本選手権出場が決まる東日本選手権のショートプログラムで11位と大きく出遅れたが、フリースケーティングでは会場を巻き込む起死回生の演技で9人を残して暫定一位につけ、フリースケーティングは3位、総合6位で全日本選手権出場の最後の1枠を掴んだ。 最後の大舞台となる全日本選手権はショートプログラムでトリプルアクセルを転倒し上位24人までのフリースケーティング進出が危ぶまれたが、スピン・ステップで得点を重ね17位につけた。フリースケーティングでは日本スケート連盟公認大会では自身初となるトリプルアクセル-トリプルトゥループのコンビネーションジャンプに成功し、演技終盤には自他ともに認める代名詞のロングイーグルを見せ 最終順位17位、万感の想いで最後の全日本選手権を終えた。 年明けの3月に開催される北海道選手権で引退を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により北海道選手権が中止となったため、2月に東伏見で行われた学生主体のエキシビション「明治×法政オンアイス」 が公に見せる最後の姿となった。2020年3月31日自身のtwitterで引退を報告。21年の競技生活にピリオドを打つ文武両道の選手の引退はyahoo!ニュースにも取り上げられた。
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シニア以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:49 UTC 版)
GPファイナル初出場・全日本選手権2位・世界選手権初出場6位 瑞穂高3年時の2014-15シーズンは、初戦のアジアフィギュア杯を優勝してCSフィンランディア杯で3位に入賞し、グランプリシリーズに参戦してスケートカナダで5位、ロステレコム杯で初優勝した。NHK杯終了時点はGPファイナル出場を逃して補欠1番手だったが、NHK杯優勝のアメリカ代表のグレイシー・ゴールドが左足疲労骨折の負傷で出場を辞退したため、本郷が繰り上げでグランプリファイナル出場権を得て、6位であった。全日本選手権はSPは首位だがFSで順位を落とし、優勝の宮原知子に次ぎ総合2位で銀メダルを初めて得た。初出場したシニアのISUチャンピオンシップス四大陸選手権は3位で、世界選手権は自己ベストを更新して6位に入賞した。2015年4月に中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科へ入学した。 四大陸選手権2年連続3位・世界選手権8位 中京大学1年時の2015-16シーズンは、初戦のCSフィンランディア杯で自己ベストを更新して優勝し、中国杯で自己ベストをさらに更新して銀メダルを得て、続くロステレコム杯は5位、全日本選手権は4位となるが、2位の樋口新葉がシニアの年齢規定を満たしていないため四大陸選手権と世界選手権の代表に内定し、四大陸選手権は2年連続で総合3位、世界選手権はSPで自己ベストを更新して7位、総合も自己ベストを更新して8位となる。 札幌冬季アジア競技大会4位・世界選手権16位 中京大学2年時の2016-17シーズンは、骨挫傷による調整不足などが影響して、ジャンプを度々失敗して低迷する。スケートカナダは6位、中国杯は5位に終わる。また全日本選手権はSPで2位、FSは前半のミスを取り戻すべく後半でリカバリーを見せるなど健闘するも6位で総合5位に留まる。2017年2月の札幌冬季アジア競技大会は、宮原知子が疲労骨折により欠場、補欠繰り上げの坂本花織もインフルエンザにより出場辞退し、日本代表は本郷一人のみ出場だったが、SPは2位発進もFSでことごとく着氷ミスを犯し総合4位でメダル獲得はならなかった。その他にもエース・宮原の故障が回復しない為、四大陸選手権と世界選手権へ共に代役として急遽繰り上げ出場するが、四大陸選手権は総合10位と3年連続の表彰台を逃した。世界選手権も総合16位と振るわず、翌2018年平昌オリンピックの日本女子シングルは3枠から2枠に減少した。 平昌オリンピック出場ならず 2017-2018シーズン、初戦となったISUチャレンジャーシリーズのオンドレイネペラトロフィーで2位。ISUグランプリシリーズのスケートカナダでは、SP・FSともに大きなミスもなかったが、回転不足などにより6位。2戦目のNHK杯ではSPで大きなミスなくまとめ4位と好スタートを切ったが、FSでは転倒などもあり7位、総合7位となった。6年連続の出場となった全日本選手権では、SPでは渾身の演技を見せ参考記録ながら初の70点越えで3位と好位置につけるものの、FSでは転倒が相次ぎ8位。総合で6位となり、悲願のオリンピック日本代表選出・出場とはならなかった。1月の国体では非公認ではあるが自身初の200点越えを果たし優勝。「うれしい。もっといい演技を試合で出せるようにしたい」と更なる飛躍を誓った。2月のオランダで開催されるチャレンジカップには優勝の樋口に次ぐ2位に入った。 名古屋からカナダへ拠点移転 2018-19シーズン途中の2018年10月から、拠点を名古屋からカナダへと移転する。初戦のCSフィンランディア杯は16位。ISUGPシリーズで唯一登場のスケートヘルシンキではSP11位・FS7位の総合10位。7年連続7回目の出場となった全日本選手権ではジャンプのミスが続いて、SP17位・FP16位の総合17位と自己ワーストに終わった。 2019-20シーズンは休養 2019年8月28日、「リカーズ・ファンクラブ」のブログより「(2019-20シーズンは)コーチ・関係者と話し合った結果、休養することに決めました」とコメント、全試合の欠場を表明した。 2020-21シーズン 9月の中部選手権から競技復帰。西日本選手権大会を経て、もう一度出たいと思った全日本選手権大会出場を決めた。 2021年6月16日、現役引退を表明。2022年1月4日、日本ガイシスポーツプラザで行われたアイスショー「名古屋フィギュアスケートフェスティバル」で「リバーダンス」を披露、引退セレモニーを終えた。
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