シニア以降とは? わかりやすく解説

シニア以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 17:00 UTC 版)

アデリナ・ソトニコワ」の記事における「シニア以降」の解説

2011-2012シーズングランプリシリーズ中国杯ロステレコム杯いずれも3位グランプリシリーズ全体でのポイントランキングが7位となり、グランプリファイナルへは出場できなかった。続くロシア選手権ではグランプリファイナル出場者であるエリザベータ・トゥクタミシェワアリョーナ・レオノワ破って優勝。しかし翌月ユースオリンピックでは、FSミス響きトゥクタミシェワに敗北2位となった世界ジュニア選手権では3位となった2012-2013シーズングランプリシリーズロシア選手権苦戦続いたが、欧州選手権ではSPで1位、総合では2位となった初出場世界選手権では9位。

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シニア以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:43 UTC 版)

宮原知子」の記事における「シニア以降」の解説

シニアデビュー 2013-2014シーズンシニアISUグランプリシリーズ初参となった2013年NHK杯では、一番滑走SP冷静に滑りきったもののFSミス出て5位。2013年ロステレコム杯では、FSで3Lz+3T決めたその後ジャンプ転倒などがあり5位となった第82回全日本フィギュアスケート選手権では、SPで3Lz+3Tクリーンに着氷させ66.52点をマークFSでも大きなミスはなかったが、他の選手得点伸ばしたため総合4位となり、ソチオリンピック代表選出惜しくもならなかった。2014年四大陸フィギュアスケート選手権では、FSで3Lz+3Tクリーンに着氷させるなどミスのない演技をみせ、FS及びトータルスコアで自己最高得点マークし国際スケート連盟主催シニア大会で初の表彰台となる総合2位となった全日本選手権優勝世界選手権銀メダル獲得 2014-2015シーズン2014年CSロンバルディア杯で優勝するグランプリシリーズ2014年スケートカナダ及び2014年NHK杯は共に日本女子首位3位だったが、2014年GPファイナル進出はならなかった。長野市開催第83回全日本フィギュアスケート選手権ではSP2発進だったが、FSでほぼ完璧な演技披露しSPで1位だった本郷理華逆転して総合1位となり、初優勝を果たす。2015年四大陸フィギュアスケート選手権ではSP自己ベスト更新しトップ立ったが、FSではジャンプミスが響いて得点伸びず、結果2年連続総合2位となる。2015年世界フィギュアスケート選手権ではSPFS共に自己ベスト更新し初出場銀メダル獲得した初出場となった4月開催国別対抗戦ではSPジャンプミスがあり6位と出遅れるが、FSでは自己ベスト129.12を記録し3位となった日本銅メダル獲得している。 GPファイナル銀メダル獲得全日本選手権連覇四大陸選手権優勝 2015-2016シーズン2015年CSUSクラシックで優勝グランプリシリーズ2015年スケートアメリカ3位、続く2015年NHK杯ではSP・FSともに自己ベスト更新し自身初、日本人3人目となる200点台をマークし優勝その結果により、自身初となるGPファイナル出場決定する初出場となったグランプリファイナルではSPで4位、自身初の140点台を出しFS2位となり、総合2位銀メダル獲得した全日本選手権では樋口新葉浅田真央などを抑えSPFSともにトップ二連覇を飾る。3度目出場となった四大陸選手権では、SPフリーともに自己ベスト更新しシニア主要国際大会初優勝果たした2年連続出場となった世界選手権では5位となる。 GPファイナル2年連続銀メダル獲得全日本選手権3連覇左股関節疲労骨折世界選手権など欠場 2016-2017シーズン2016年CSUSクラシックで前年続き2年連続優勝グランプリシリーズではスケートカナダでは3位NHK杯では2位と両大会でメダル獲得し2年連続グランプリファイナル出場確定したファイナルではSP・FS自己ベスト出し日本人女子歴代最高得点総合218.33で2度目銀メダル獲得した全日本選手権では、SPFSともに首位守り浅田真央以来3連覇達成した。 ところが、翌2017年1月全治4週間左股関節疲労骨折診断を受け、2月出場決まっていた四大陸選手権冬季アジア大会欠場発表したその後世界選手権向けて回復待ち調整進めたが、痛み取り切れずに同選手権欠場した3月下旬から4月までの1ヶ月氷上離れ国立スポーツ科学センターでのリハビリ行った故障からの復帰スケートアメリカ優勝全日本選手権4連覇 2017-2018シーズン5月から氷上練習本格的に再開した左足捻挫体調不良などがありながらも、左股関節疲労骨折順調な回復見せた。ただ、故障原因ともなった骨密度低下回復時間がかかり、ジャンプ練習再開した8月頃右股関節の骨挫傷発症、再び氷上離れることを強いられた1ヶ月後再び氷上練習再開するも、回復した左股関節再発や、さらなる故障危惧したため、予定していたISUチャレンジャーシリーズフィンランディア杯欠場したその間練習量制限していた中で、負担少なスケーティング技術スピン表現力などを磨き続け良好な検査結果受けて10月からジャンプ練習再開11か月振り復帰となったグランプリシリーズ初戦NHK杯では、SP・FSともにミス出て5位に。満足の行く結果残せなかったが、体調面では順調な回復ぶりに笑顔見せた。2戦目のスケートアメリカでは、SPでは僅かなミス止め1位、FSもほぼミスなくまとめ自己ベストに迫る得点で1位となり初優勝遂げたグランプリシリーズ優勝2015年NHK杯以来2年ぶり2度目怪我からの完全復活遂げた。またこの優勝グランプリファイナル日本ガイシホール出場順位の7位(次点出場候補者)となり、12月1日エフゲニア・メドベージェワロシア)が故障同大会を辞退した為に繰り上がり出場SPミスのない演技3位、しかしFSでは3つの3回ジャンプ回転不足判定を受け4位となった総合では5位で3年連続表彰台とはならなかったが、演技構成点では全体3位高い評価受けた。続く全日本選手権ではSP僅かなミスにとどめ坂本花織に次ぐ2位FSでは147.16という高得点獲得して1位になり、総合得点でも全日本選手権女子歴代最高得点220越えの高得点優勝浅田真央以来全日本4連覇達成するとともに平昌オリンピック日本代表入り決めたオリンピック前哨戦ともいえる四大陸選手権では、SPでは首位発進。しかし、FSでは転倒などのミス重なり3位順位落とし2年ぶりの優勝とはならなかった。 平昌オリンピック団体戦5位・個人戦4位入賞世界選手権銅メダル獲得 平昌オリンピック団体戦SPでは、上位の中では数少ないクリーンな演技見せたが、冒頭3回ルッツからのコンビネーションジャンプで2本とも回転不足判定を受け、4位と振るわず不安の残る結果となった。この判定を巡って専門家からの指摘もあり、いくつも疑問の声が湧き上がることとなった個人戦女子シングルSPでは、懸念されていた冒頭コンビネーションジャンプ10日あまりの最終調整克服ジャンプスピン、ステップなど全ての要素加点を得る完璧な演技見せ、75.94点を獲得し自己ベスト更新。4位と好スタート切ったFSでもSP勢いそのままマイナスの評価一切なく完璧な演技見せガッツポーズ三原舞依の持つ日本女子フリー最高得点塗り替える146.44点を獲得し総合でも自身の持つ日本女子歴代最高得点塗り替える222.38を叩き出す惜しくも五輪メダル獲得まであと一歩届かなかったが、初出場オリンピックで4位入賞好成績挙げた演技後「結果悔しいがやれることは全て出来た課題もまだあるが、次に繋がると思う」とさらなる目標見据えた世界選手権では、SPステップ3つのスピン全て最高評価レベル4獲得し演技構成点でも全てにおいて9点台を叩き出し74.36点で3位につけたフリーでは2つ連続ジャンプ回転不足サルコウジャンプ転倒などミスもあったが、高い演技構成点でカバーし銅メダル獲得銀メダル獲得した樋口新葉と共にダブル表彰台飾った。これにより、翌年さいたま市開催予定世界選手権女子シングル日本代表3枠復活したスケートアメリカ連覇 20182019シーズン初戦のCSUSクラシック大会では、ショートフリー回転不足転倒などのミスがあるものの大会自身3度目優勝を果たす。続くジャパンオープンでは、チームJapanとして優勝を飾るも、自身得点伸び不本意な試合となったグランプリシリーズ初戦スケートアメリカでは、SPでは、全ての要素加点を得る演技で73.86点を記録しトップに立つ。FSステップでのレベル取りこぼしがあったもののノーミス演技で145.85点を記録しフリートップ総合でも219.71点で優勝連覇を果たすとともに自身3度目グランプリシリーズ優勝達成したSPFS総合全て新ルールでのパーソナルベスト記録し課題回転不足克服した。続くNHK杯では、SPパーソナルベストの76.08点を叩き出し2位につけるも、FSでは小さミス重なり同門紀平梨花選手に次ぐ2位となるも、4年連続ファイナル進出決めたグランプリファイナルSPでは、コンビネーションジャンプ単独になるなどのミスがあり6位。FSでもジャンプ調子を取り戻せず6位となり、総合でも6位で不本意な結果となった全日本選手権ではSP完璧な演技首位に立つも、FS3回フリップが2回転になるミスがあり坂本花織紀平梨花に続く3位となり、伊藤みどり以来の5連覇とはならなかった。ババリアンオープンでは、SP僅かなミスもあり2位FSはいくつミス重なった巻き返し優勝世界選手権ではSPコンビネーション僅かなミス出て8位発信FSは3連続ジャンプ乱れた他はガッツポーズが出る完璧な演技をし6位入賞した20192020シーズン 自身ブログ今シーズンSPブノワリショー振り付けYalla, Tabla & Percussion Solo, Egyptian Disco (Buddha Bar Edit) / DJ Disseフリーは、ローリーニコル振り付けTheme of Schindler’sList, Prelude in C sharp minor, Hatikva (Intelude) と発表する。メインコーチに、織田信成さんらを指導したカナダ人のリー・バーケル氏が加わることが9月18日発表された。浜田美栄コーチ含めた2人指導を受ける。初戦となったCSUSクラシックでは、SPノーミス演技をし74.16点で1位発進FSでは回転不足などのミス出たものの、1位を守り切り204.30点で4回目優勝果たしたグランプリシリーズ初戦中国杯ではSP2つ3回ジャンプ回転不足取られたものの、68.91点で2位発進となる。FSは、再び3つの3回ジャンプ回転不足取られたものの高い演技構成点など表現力カバーし、142.27点のシーズンベスト記録トータルでもシーズンベストとなる211.18点で2位となった。続くロステレコム杯では、SP冒頭コンビネーションジャンプルッツが2回転抜けてしまい無得点となってしまうミス響いてリカバリーしたものの63.09点で6位と出遅れる巻き返し図ったFSでは、3回フリップ転倒したのに加えて5つジャンプ回転不足取られてしまい得点伸びず、129.33点。トータルでは192.42点4位となり、日本女子史上初となる5年連続ファイナル進出とはならなかった。全日本選手権では5度目優勝を狙うこととなったSPでは2つ3回ジャンプ回転不足取られるも、70.11点で2位発進。しかし、FSでは多くジャンプ回転不足取られたほか、スピンステップでも力を出しきれず121.32点となり、トータルは191.43点で4位となり、6年連続表彰台逃した20202021シーズン 全日本選手権では、SPループが2回転になるミス犯し6位と出遅れたが、FSでは最後ジャンプ転倒した以外は大きなミス無く演技終え総合3位2年ぶりの表彰台となった世界選手権では、SPでは冒頭ルッツ転倒コンビネーションジャンプ2つ目が1回転になるなどのミス出て16位と大きく出遅れた。FSでも2回の転倒ルッツループが2回転抜ける等のミスが相次ぎ19位、総合では172.30点で19となった20212022シーズン グランプリシリーズ第1戦 アメリカ大会(スケートアメリカ)、第3イタリア大会全日本選手権出場四大陸選手権代表に選ばれる欠場2022年3月26日自身ブログInstagram現役引退発表引退後はプロスケーターに転身することもあわせて発表された。

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シニア以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:29 UTC 版)

鈴木潤 (フィギュアスケート選手)」の記事における「シニア以降」の解説

北海道大学工学部合格後選手生活4年間と決め競技復帰大学2年生の2015-2016年シーズンに、全日本選手権地元札幌開催だったことから「懸けるならここしかない」と大きな決断をし、当時コーチである山田真実のつてをたどってアメリカミシガン州デトロイト指導者として活躍している元世界チャンピオン佐藤有香の元でプログラム作り行った以降大学院1年生まで毎年デトロイトに赴き佐藤有香の元で振付行い滞在中にはジェレミー・アボット指導受けたりパトリック・チャンから刺激もらったりした。 トリプルアクセル習得し挑んだその年の全日本選手権では地元開催ということ大きな歓声浴びたが、直前怪我もあり結果13位とあと一つ強化指定逃した4年間の競技生活強化選手復帰するためには最後のチャンスとなる大学3年生の夏にまたも腰椎分離症を発症怪我抱えながらも東日本選手権2位入り全日本選手権の上進出期待されたが、全日本選手権では持ち越しショートプログラムでは8位につけたものの、フリースケーティングでは怪我影響もあり失速結果14位で終わり強化選手への復帰は叶わなかった。年明けインカレには出場予定していたが状態が悪化したことから試合前日出場断念以降そのシーズン残り休養にあて、休養中インタビューでは大学院進学後の現役続行可能性初め示唆した背水の陣挑んだ大学4年生のシーズンに、全日本選手権ショートプログラム12位につけ、迎えたフリースケーティングでは自己ベストとなる会心演技披露。初の合計200超え果たし最終的に総合10位となり翌シーズン強化指定権利得た2月には高校2年生以来国際大会にも派遣され、4位と表彰台まであと1歩にせまり、182p獲得しISUワールドスタンディングで165位にランクインした。 強化指定選手への復帰果たしたことで大学院進学後も現役続行決意し大学院1年生シーズン全日本選手権では文武両道選手として観客引き込む演技話題呼んだ大学院2年生シーズン前に、今年度限りでの引退発表最後プログラムとなるショートプログラムは『別れの曲』を選び振付自身行った。 6位以内全日本選手権出場が決まる東日本選手権ショートプログラム11位と大きく出遅れたが、フリースケーティングでは会場巻き込む起死回生演技で9人を残して暫定一位につけ、フリースケーティング3位総合6位で全日本選手権出場最後1枠掴んだ最後大舞台となる全日本選手権ショートプログラムトリプルアクセル転倒し上位24人までのフリースケーティング進出危ぶまれたが、スピン・ステップで得点重ね17につけたフリースケーティングでは日本スケート連盟公認大会では自身初となるトリプルアクセル-トリプルトゥループのコンビネーションジャンプ成功し演技終盤には自他ともに認める代名詞のロングイーグルを見せ 最終順位17位、万感想い最後全日本選手権終えた年明け3月開催される北海道選手権引退予定していたが、新型コロナウイルス影響により北海道選手権中止となったため、2月東伏見行われた学生主体エキシビション明治×法政オンアイス」 が公に見せ最後の姿となった2020年3月31日自身twitter引退報告21年競技生活ピリオドを打つ文武両道選手引退yahoo!ニュースにも取り上げられた。

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シニア以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:49 UTC 版)

本郷理華」の記事における「シニア以降」の解説

GPファイナル初出場全日本選手権2位世界選手権初出場6位 瑞穂3年時2014-15シーズンは、初戦アジアフィギュア杯優勝してCSフィンランディア杯3位入賞しグランプリシリーズ参戦してスケートカナダで5位、ロステレコム杯初優勝した。NHK杯終了時点GPファイナル出場逃して補欠1番手だったが、NHK杯優勝アメリカ代表グレイシー・ゴールド左足疲労骨折負傷出場辞退したため、本郷繰り上げグランプリファイナル出場得て、6位であった全日本選手権SP首位だがFS順位落とし優勝宮原知子次ぎ総合2位銀メダル初め得た初出場したシニアISUチャンピオンシップス四大陸選手権3位で、世界選手権自己ベスト更新して6位に入賞した2015年4月中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科入学した四大陸選手権2年連続3位世界選手権8位 中京大学1年時2015-16シーズンは、初戦CSフィンランディア杯自己ベスト更新して優勝し中国杯自己ベストをさらに更新して銀メダル得て、続くロステレコム杯は5位、全日本選手権は4位となるが、2位樋口新葉シニア年齢規定満たしていないため四大陸選手権世界選手権の代表に内定し四大陸選手権2年連続総合3位世界選手権SP自己ベスト更新して7位、総合自己ベスト更新して8位となる。 札幌冬季アジア競技大会4位・世界選手権16中京大学2年時2016-17シーズンは、骨挫傷による調整不足などが影響してジャンプを度々失敗して低迷するスケートカナダは6位、中国杯は5位に終わる。また全日本選手権SP2位FS前半ミス取り戻すべく後半リカバリー見せるなど健闘するも6位で総合5位に留まる2017年2月札幌冬季アジア競技大会は、宮原知子疲労骨折により欠場補欠繰り上げ坂本花織インフルエンザにより出場辞退し、日本代表本郷一人のみ出場だったが、SP2位発進FSことごとく着氷ミス犯し総合4位でメダル獲得はならなかった。その他にエース宮原故障回復しない為、四大陸選手権世界選手権へ共に代役として急遽繰り上げ出場するが、四大陸選手権総合10位と3年連続表彰台逃した世界選手権総合16位と振るわず、翌2018年平昌オリンピック日本女子シングル3枠から2枠減少した平昌オリンピック出場ならず 2017-2018シーズン初戦となったISUチャレンジャーシリーズオンドレイネペラトロフィー2位ISUグランプリシリーズスケートカナダでは、SP・FSともに大きなミスもなかったが、回転不足などにより6位。2戦目のNHK杯ではSP大きなミスなくまとめ4位と好スタート切ったが、FSでは転倒などもあり7位、総合7位となった6年連続出場となった全日本選手権では、SPでは渾身の演技見せ参考記録ながら初の70越え3位と好位置につけるものの、FSでは転倒が相次ぎ8位。総合で6位となり、悲願オリンピック日本代表選出出場とはならなかった。1月国体では非公認ではあるが自身初の200越え果たし優勝。「うれしい。もっとい演技試合出せるようにしたい」と更なる飛躍誓った2月オランダ開催されるチャレンジカップには優勝樋口に次ぐ2位入った名古屋からカナダへ拠点移転 2018-19シーズン途中2018年10月から、拠点名古屋からカナダへ移転する初戦CSフィンランディア杯16位。ISUGPシリーズ唯一登場のスケートヘルシンキではSP11位・FS7位の総合10位。7年連続7回目出場となった全日本選手権ではジャンプミス続いて、SP17位・FP16位の総合17位と自己ワースト終わった2019-20シーズン休養 2019年8月28日、「リカーズ・ファンクラブ」のブログより「(2019-20シーズンは)コーチ関係者話し合った結果休養することに決めました」とコメント全試合欠場表明した2020-21シーズン 9月中部選手権から競技復帰西日本選手権大会経てもう一度出たい思った全日本選手権大会出場決めた2021年6月16日現役引退表明2022年1月4日日本ガイシスポーツプラザ行われたアイスショー名古屋フィギュアスケートフェスティバル」で「リバーダンス」を披露引退セレモニー終えた

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