シニア時代(2004-2010)
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「エヴァン・ライサチェク」の記事における「シニア時代(2004-2010)」の解説
2004-2005シーズンからシニアに完全移行。臀部の負傷もあって、グランプリシリーズでは出場した2戦とも5位に終わる。全米選手権で銅メダル。四大陸選手権ではシニアの国際大会で初めての優勝を果たした。続く世界選手権でも初出場ながら3位となり、表彰台に立った。 2005-2006シーズン、グランプリシリーズスケートアメリカで2位となるも、フリースケーティングの「グリース」がうまくいっていないと感じたライサチェクとコーチのフランク・キャロルはプログラムを「カルメン」に変更。この試みは成功し、NHK杯でも2位となり、アメリカ男子シングルでただ一人グランプリファイナルへの出場権を得た。(NHK杯後にショートプログラムのジプシーキングスも変更し、前シーズンのエスパーニャ・カニに戻している)しかし、滑液嚢炎と右臀部の腱の炎症により棄権を余儀なくされる。全米選手権ではジョニー・ウィアーに続く2位となり、トリノオリンピック代表の座を手にする。 迎えたオリンピック、ショートプログラムでは体調不良によるジャンプの転倒が響き10位と出遅れる。しかも演技後、ウイルス性胃腸炎に罹ってしまった。練習もできず、選手村で点滴静脈注射を受けるという状況で、一時は棄権も考えられた。しかしフリースケーティングに出場すると、上位選手たちがミスを連発する中、4回転ジャンプこそ跳ばなかったが8つの3回転ジャンプを決め、フリースケーティング3位、総合4位入賞と健闘した。オリンピック後の世界選手権でも体調不良は続き、吐血することさえあったという。それでも予選、フリースケーティングで4回転ジャンプに挑戦し、予選では転倒、フリースケーティングでは両足着氷となるものの、前年に続き銅メダルを獲得した。 2006-2007シーズン、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで2位、次戦の中国杯で優勝し、グランプリファイナルに進出。しかし練習中に右臀部を痛めたため棄権。全米選手権では、このシーズン初めて大きなミスなくショートプログラムを演じきり首位スタート、フリースケーティングでは初めて成功させた4回転-3回転コンビネーションを含むジャンプ、スピン、ステップ全ての要素をミスなくまとめ上げ、スタンディングオベーションを受けて初優勝を果たした。四大陸選手権でも好調を維持して優勝。続く世界選手権では、ショートプログラムに4回転ジャンプを入れようと試みるも着氷が乱れ、フリースケーティングでもジャンプのミスが目立って総合5位にとどまり、3年連続の世界選手権表彰台は叶わなかった。 2007-2008シーズン、初戦のスケートアメリカで2位、次戦の中国杯でも2位となり、3年連続のグランプリファイナル出場を決めた。グランプリファイナルでは、4回転ジャンプを成功させ、スピン・ステップでも質の高い演技をして3位となった。全米選手権ではショートプログラム2位からフリースケーティングで追い上げ、総合得点でジョニー・ウィアーに並んだが、同点の場合はフリースケーティングの得点が高い方を勝者とするというルールにより、2連覇を果たした。四大陸選手権ではショートプログラムと総合のパーソナルベストを更新して3位となった。3月12日、練習中トリプルアクセルを飛んだ時に右足のブレードが壊れ転倒、腕やひじ、肩を痛め、2週間競技ができない状態となったため、世界選手権を欠場した。 2008-2009シーズン、グランプリシリーズではジャンプが回転不足と認定されることが多く、スケートアメリカ、スケートカナダともに3位に終わり、グランプリファイナルへの出場を逃した。3連覇のかかった全米選手権では3位に終わったが、四大陸選手権と世界選手権の出場権を獲得した。四大陸選手権では2位、地元ロサンゼルスで行われた世界選手権では初優勝を果たした。日本で行われた国別対抗戦ではアメリカチームのキャプテンとして男子シングルに出場し1位、チームの優勝に貢献した。 2009-2010シーズン、グランプリファイナルで初優勝、全米選手権で2位となり、バンクーバーオリンピック代表に内定した。バンクーバーオリンピックでは、足の状態と成功率の悪さから4回転回避を明言して演技を披露。ショートプログラムトップで前回トリノオリンピック覇者のエフゲニー・プルシェンコを破り逆転優勝。アメリカにおけるフィギュアスケートの男子シングルとしては1988年カルガリーオリンピックのブライアン・ボイタノ以来、22年ぶりの金メダルをもたらした。しかし4回転を回避して優勝した結果、銀メダルのプルシェンコと彼の母国ロシアを中心にこの結果と採点基準に論争が巻き起こった。
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