シニア・ツアー挑戦
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2005年11月、「チャンピオンズ・ツアー」 (米シニア・ツアー) の最終予選会に参加。世界各国から350人の参加中、トップ合格を果たし賞金4万5000ドルを獲得、JPGA副会長職などの要職は辞して2006年からチャンピオンズ・ツアーに本格参戦した。チャンピオンズ・ツアーの賞金総額は日本の男子レギュラーツアーの約2倍の60億円で人気も高い。チャンピオンズ・ツアーでは「マッシー・クラモト」 (Massy Kuramoto) の名前で登録、時折上位に顔を出したが優勝はならず2008年限りで事実上撤退。国内レギュラー・シニアツアーに主戦場を移した。2010年は日本シニアオープンで優勝など、シニア10試合中、9試合に出場。ほとんどの試合で優勝争いにからみ、優勝2回、トップテン5回を記録し、レギュラーツアーで30勝も挙げながら縁がなかった賞金王に輝いた。 2014年2月、現役選手として史上初の日本プロゴルフ協会会長に就任した。
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