小林信彦 連載中

小林信彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 07:15 UTC 版)

小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - )は、日本小説家評論家コラムニスト。中原 弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名も用いた。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。血液型B型。


注釈

  1. ^ この幼少期にみた喜劇の舞台の内容及び当時の批評まで、後年まで細かく記憶していたという。それが『日本の喜劇人』の執筆に役立ったが、小林的にはそれは「ごく普通のこと」だという[6]
  2. ^ 金額は「地獄の読書録」巻末の田中潤司との対談内での発言による。
  3. ^ 小林は主に日本テレビの井原高忠と仕事をしたが、1969年の井原制作の新番組『ゲバゲバ90分!!』の「ストーリー抜きのサイトギャグの連発」に違和感を覚え、テレビの仕事から離れることになった[14]
  4. ^ 処女長篇『虚栄の市』の登場人物の一人と同名。

出典

  1. ^ 『新潮』1991年3月号(『東京散歩昭和幻想』P.217に引用)
  2. ^ a b #流される16-50、282-284頁
  3. ^ 『流される』 (小林信彦 著) | 著者インタビュー - 本の話WEB 文藝春秋
  4. ^ 電話拡張計画実施でトップメーカーに/WE社との提携交渉 - Oki
  5. ^ 流される 小林信彦著 明治の祖父にみる東京人の原型 :日本経済新聞流される [著]小林信彦 - BOOK asahi.com - 朝日新聞デジタル
  6. ^ 『定本・日本の喜劇人 下』あとがき。
  7. ^ 『決定版 日本の喜劇人』(新潮社)P.398
  8. ^ 『悲しい色やねん』(新潮文庫)あとがき
  9. ^ 小林信彦60年代日記 1985, pp. 16–17.
  10. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1959年8月号、宝石社、奥付。
  11. ^ 小林信彦60年代日記 1985, p. 93.
  12. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1963年3月号、宝石社、「死体置場の片隅から」。
  13. ^ 『本の雑誌』2008年2月号(大坪直行ロングインタビュー 聞き手:新保博久)p.12
  14. ^ 『喜劇人に花束を』。
  15. ^ 香山リカ『テレビの罠-コイズミ現象を読み解く』株式会社筑摩書房、東京都〈ちくま新書588〉、2006年3月10日、158頁。ISBN 4480062963 
  16. ^ 『地獄の観光船』(集英社文庫)P.218
  17. ^ 小林信彦『1960年代日記』(ちくま文庫)P.83
  18. ^ 「1960年代日記」(ちくま文庫)P.112
  19. ^ 朝日新聞夕刊(1986年1月~1987年1月)連載。
  20. ^ 公明新聞連載。
  21. ^ 小林信彦『テレビの黄金時代』(文藝春秋、2002年、文庫化2005年)文庫版p.87
  22. ^ 小林信彦『セプテンバー・ソングのように』(弓立社、1989年)p.56
  23. ^ a b 小林信彦『セプテンバー・ソングのように』(弓立社、1989年)p.57






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