河野基比古とは? わかりやすく解説

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河野基比古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 16:03 UTC 版)

河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日)は、日本映画評論家音楽評論家

人物

河野房夫、末高淑子の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に淑子の兄、早稲田大学商学博士愛知学院大学名誉教授末高信がいる。

基比古の名は両親が基督教徒であることに由来し、国文学者笹川臨風に拠って命名された。 1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業。淀川長治が主催する映画友の会に在籍、同級生には作家の生島治郎小林信彦がいる。日本コロムビア洋楽部入社。ディレクターとして音楽制作を手掛け、渡米するようになった。

日本コロムビア退社後、日本クラウンワーナーパイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。頻繁にアメリカ映画フランス映画日本映画を中心に取材を行うようになる。

執筆者として「キネマ旬報」、「スクリーン」(近代映画社)、日刊スポーツ映画評、サウンドトラックライナーノーツを、他にはインタビュー、翻訳、ラジオでの映画解説などの活動を行う。

1981年12月11日に開館したミニシアターの草分け「シネマスクエアとうきゅう」では、南俊子と共に番組選定委員を務めた[1]

1982年3月から『木曜洋画劇場』(テレビ東京系)の解説者を5年10ヶ月に渡って担当する。

番組降板後、シアターコクーン設計のアドヴァイザー、目黒区教育委員会の委員、https://www.densan-ginza.co.jp/about-us/株式会社電産の社外取締役を務めた。1990年には統一ドイツ政府に招かれ渡独。

http://www.musicpenclub.com/ ミュージック・ベンクラブ・ジャパン(1966年、「音楽執筆者協議会」として発足)会員。

1991年腎不全のため昭和大学病院にて死去。58歳没。

主な出演番組

脚注

  • Motohiko Kono
discogs 
prabook

関連項目

  1. ^ 大森さわこ『ミニシアター再訪〈リヴィジテッド〉 都市と映画の物語 1980-2023』アルタスパブリッシング、2024年、29–30頁。ISBN 978-4-86559-291-7https://artespublishing.com/shop/books/86559-291-7/?srsltid=AfmBOoo88Bf97AYU1nmAmyk8UewpBKoNgzdhUX0jp3XYgtH63DcYes7s 



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