名人戦 (将棋) 名人戦 (将棋)の概要

名人戦 (将棋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 09:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
名人戦
第7期名人戦の様子
棋戦の分類 タイトル戦
開催概要
開催時期 予選(順位戦):6月 - 翌年3月
タイトル戦:4月 - 7月
初回開催 1935年~1937年(第1期名人決定大棋戦は2年間)
持ち時間 予選(順位戦):6時間
タイトル戦:9時間(2日制)
番勝負 七番勝負
主催 毎日新聞社
朝日新聞社
公式サイト 名人戦・順位戦:日本将棋連盟
記録
現名人 豊島将之(第77期)
永世資格者 木村義雄(十四世名人)
大山康晴(十五世名人)
中原誠(十六世名人)
谷川浩司(十七世名人資格)
森内俊之(十八世名人資格)
羽生善治(十九世名人資格)
最多優勝 大山康晴(18期)
最長連覇 大山康晴(13連覇)
テンプレートを表示

概要

名人と挑戦者とで行われる対局(七番勝負)のこと。名人戦七番勝負の勝者には、将棋界で最も格式と歴史のある(家元制として江戸時代初期の1612年以来、実力制タイトルとして1937年以来である)「名人」のタイトル称号が与えられ、次期の七番勝負終了まで、そのタイトル保持者となる。毎日新聞社朝日新聞社とが共催(2007年度から)し、大和証券グループから協賛を受けている(2005年度から)。

江戸時代以来、近代まで将棋の名人世襲制(ただし血縁絶対ではない、家元制・推挙制)であった。

1929年、読売新聞社による「第一回日本将棋選手権戦」開始にあたり、読売新聞社が行ったアンケートに、時の名人関根金次郎が「古来、名人の位は一生涯のものだが、私は時勢に鑑み適当な時期に退隠したいと思う」と回答[1]。なお、この頃の関根は「名人」ではなく「九段制」を考えていた[2]

その後、日本将棋連盟顧問の中島富治の発案を受け、1934年(昭和9年)、東京日日新聞学芸部長の阿部眞之助が囲碁及び将棋の「実力名人戦」を企画し[3]日本将棋連盟会長の金易二郎が1935年3月に「昭和12年(1937年)に300年続いた一世名人を廃する」と発表。同年、名人戦(当初は八段9名のリーグ戦)が開始。2年にわたる「第1期名人決定大棋戦」の結果、1937年の12月6日に木村義雄花田長太郎に勝ち、翌年に予定されていた決勝六番勝負をへることはなく、初代の実力制名人に決定。1938年2月11日(建国の記念の日[4])、十三世名人の関根金次郎は1935年に提出した声明書に基づき名人位を返上し、木村が実力制名人位についた。

これにより初代大橋宗桂以来続いた一世名人制が廃止され、短期実力制名人位制度が開始された。なお、囲碁は名人戦ではなく本因坊戦とされ1939年に開始した[5]

方式

名人戦の予選は順位戦と呼ばれ、A級順位戦の優勝者が挑戦者となる。名人と挑戦者が名人戦七番勝負を戦う。

A級順位戦

詳しくは順位戦の項を参照のこと。持ち時間は各6時間。

名人戦七番勝負

名人とA級順位戦の優勝者が七番勝負を戦う。七番勝負は全国各地の旅館や料亭、あるいは文化的施設など格調高い場所で行われる。第66期(2008年)以降は第1局を東京都文京区の椿山荘で行い、第2局~第5局は全国の自治体からの公募により開催地が決定されるのが恒例となっている[6]

持ち時間は各9時間(将棋界で最長)で、2日制で実施される。1日目の終わりには封じ手を行い、2日目の開始まで次の手を考えて有利になることがないようにする。なお、2日目に夕食休憩の時間があるのは、2018年現在タイトル戦の中では名人戦だけ(1日制のタイトル戦では王座戦叡王戦がある)。

賞金

名人戦の賞金額は通常非公開だが、過去に『将棋世界』誌上でその一端が公開されたことがある[7]。同記事によれば、1991年当時の名人及び挑戦者の賞金額は以下のとおり。

  • 対局料 - 名人は1,050万円、挑戦者は450万円。
  • 賞金 - 勝者(名人)は1,200万円、敗者は300万円。
  • 名人手当 - 月に約100万円(名人は順位戦の対局がない(=対局料が発生しない)代わりに手当が上乗せされる)。

従って名人位を防衛すると合計で約3,500万円ほどとなり、当時の竜王戦の賞金とほぼ並ぶ計算となる[7]




  1. ^ 天狗太郎『昭和「将棋指し」列伝』(時事新報社)P.24
  2. ^ 天狗太郎『昭和「将棋指し」列伝』(時事新報社)P.24
  3. ^ 『現代囲碁大系 別巻 現代囲碁史概説』(林裕)P.46
  4. ^ 関根金次郎声明・『将棋世界「将棋名人戦」~昭和・平成 時代を映す名勝負~』(マイナビ出版刊行)P.37
  5. ^ 『現代囲碁大系 別巻 現代囲碁史概説』(林裕)P.46
  6. ^ 第74期名人戦・開催地公募のお知らせ日本将棋連盟・2015年8月21日閲覧
  7. ^ a b 名人位の賞金総額を推計する - 将棋ペンクラブログ・2013年12月20日
  8. ^ 萩原は、神田を支持した花田・金子が脱退した際に欠員補充として昇段した。なお、神田については脱退時に八段昇段したとする主張が連盟によって追認されているため、萩原の昇段日は神田よりも後である。
  9. ^ 週刊将棋編「名局紀行」毎日コミュニケーションズ P.101
  10. ^ 『将棋名人戦 ~昭和・平成 時代を映す名勝負~』(将棋世界編集部編、マイナビ、2014年)p.38
  11. ^ 『将棋名人戦』p.43
  12. ^ 将棋世界「巨匠が語る将棋界今昔 木村義雄vs倉島竹二郎」1985年7月。
  13. ^ 『将棋名人戦』p.43
  14. ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』(旺文社文庫)P.161
  15. ^ 『将棋名人戦』p.49
  16. ^ 将棋世界2018年3月号。
  17. ^ 八段格として特例による参加。なお、現役当時の表記は阪田ではなく坂田。
  18. ^ 予選ではなく近年の好成績により七段ながらリーグ参加権が認められた。
  19. ^ 五番勝負
  20. ^ 将棋ソフト不正使用疑惑騒動により途中休場。三浦の地位保全のため、翌76期は三浦を含む11名で行われた。
  21. ^ 磯辺真季は、1995年1月 - 3月のNHK将棋講座で佐藤康光のアシスタントを務めている。
  22. ^ 2011年名人戦の司会兼聞き手のアナウンサーは、第2局から局順に、堀伸浩長野亮後藤理吉岡大輔泉浩司・長野亮(NHK囲碁と将棋 タイトル戦中継 2011年6月23日閲覧)。
  23. ^ 史上初!!全5対局完全生中継「将棋界の一番長い日」(囲碁・将棋チャンネル)
  24. ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』(旺文社文庫)P.159-160
  25. ^ 週刊将棋編『将棋ファン読本』(毎日コミュニケーションズ)P.15 井口昭夫「不死鳥・大山の将棋人生」
  26. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65
  27. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66
  28. ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「名人戦 (将棋)」の関連用語

名人戦 (将棋)のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



名人戦 (将棋)のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの名人戦 (将棋) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2020 Weblio RSS