神風特別攻撃隊編成とは? わかりやすく解説

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神風特別攻撃隊編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 17:46 UTC 版)

大西瀧治郎」の記事における「神風特別攻撃隊編成」の解説

1944年10月5日大西第一航空艦隊長官内定したこの人事は特攻開始希望する大西意見認めたものともいわれる。妻には「平時ならうれしい人事だが今は容易なら決意が必要」と語った大西軍需局を去る際に杉山利一局員に「向こうに行ったら必ず特攻をやるからお前らも後から来い」と声をかけた。杉山大西自ら真っ先体当たりするだろうと直感したという。 大西出発前に米内光政海軍大臣に「フィリピン最後にする」と特攻を行う決意伝えて承認得たまた、及川古志郎軍令部総長に対して決意語った及川は「決し命令はしないように。戦死者処遇に関して考慮します。」「指示はしない現地自発的実施には反対しない」と承認した大西は「中央からは何も指示をしないように」と希望した大西は、軍令部航空部源田実中佐戦力持っていきたい相談し、現在その戦力がないことを知らされたが、代わりに零戦150機を準備する約束取り付けた源田によれば大西その時場合によっては特攻を行うという決意話したという。大西足立技術大佐対しこれからはあんまり上等な飛行機はいらんから簡単なやつをつくっておけと話した大西中将特攻戦果発表関心持っており、長官内定した1944年10月5日海軍報道班員に「特攻隊活躍ぶりを内地報道してほしい。よろしく頼む」と依頼していた。またフィリピン出発する前に、もし特攻行なった場合発表方法について中央とも打ち合わせをした(決定はされておらず、特攻事後10月26日中央から大西意見求め電文発信された)。 大西帰宅すると、義母子守唄歌って下さい頼んだ義母嗚咽がこみ上げてきて中途から泣き出した。妻淑恵が歌うかというと大西は「年下のものに子守唄なんか歌ってもらえるか」「自分で歌うか」と歌い出した。一航艦長内定について大西義母に「ふだんならかたじけないほどの栄転だが、今日時点では、陛下から三方の上九寸五分をのせて渡されたようなものだよ」と語った1944年10月9日フィリピンに向け出発沖縄敵機部隊集中していることを聞き上海経由し11日台湾高雄到着第二航空艦隊長官福留繁会談その後新竹航空戦様子見て多田武雄中将に「これでは体当たり外方法がない」と話し連合艦隊司令長官豊田副武大将に対しても「単独飛行がやっとの練度現状では被害見合う戦果期待できない体当たり攻撃しかない、しかし命令ではなくそういった空気にならなければ実行できない」と語った実戦部隊最高責任者である連合艦隊長官豊田副武大将大西意見反対しなかったということは黙認意味している。 フィリピン到着後、大西交替予定の一航艦長官寺岡謹平中将に「基地航空部隊当面任務は敵空母甲板撃破とし発着能力奪い水上部隊突入させる。普通の戦法では間に合わない心を鬼にする必要がある必死志願者はあらかじめ姓名大本営報告し心構え厳粛にし落ち着かせる必要がある司令介さず呼び掛けるか、いや司令通じた方が後々のためによかろう。まず戦闘機勇士編成すれば他の隊も自然にこれに続くだろう水上部隊もその気持ちになるだろう、海軍全体がこの意気行けば陸軍続いてくるだろう。」と語り必死必中体当たり戦法しか国を救う方法はないと結論し寺岡から同意得て一任された。 1944年10月19日大西マニラ艦隊司令部クラーク基地761空司令前田孝成大佐、飛行庄司八郎少佐マバラカット基地201空司令山本中佐飛行中島正少佐呼び出し特攻相談をすることにした。761空相談できたが、201空到着が遅れ、大西は自ら出向くことにしたが、すれ違いとなり会うことはなかった。そのため、小田原参謀長代わりに山本司令会って特攻決行同意を得ることになった1944年10月19日大西中将夕刻マバラカット飛行場201海軍航空隊本部201空副長玉井浅一中佐、一航艦首参謀猪口力平中佐二十航空戦参謀吉岡忠一中佐らを招集し会議開いた大西は「米軍空母1週間使用不能に捷一号作戦成功させるため零戦250キロ爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに確実な攻撃法はないと思うがどうだろう」と提案した山本司令不在だったため玉井副長自分だけでは決められない答えた大西は、山本司令から同意得ていることを伝え決行するかは玉井一任した。玉井時間をもらい飛行隊長指宿正信大尉横山岳大尉らと相談して体当たり攻撃決意大西伝えた玉井その際編成に関して航空隊側に一任してほしいと要望して大西はそれを許可した猪口力平参謀が「神風特別攻撃隊」の名前を提案し玉井も「神風を起こさなければならない」と同意して大西がそれを認めた。また大西各隊本居宣長の歌「敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花」から敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊命名した1944年10月20日第一航空艦隊司令長官着任副官務めた門司親徳は、大西厳しさ満ちた中にも直感的に親しみ感じたという。 20日大西によって神風特別攻撃隊の隊名を付され編成など発表された。大西敷島隊へ「日本は今危機でありこの危機救えるのは若者のみである。したがって国民代わりお願いする。皆はもう神であるから世俗的欲望はないだろうが、自分特攻上聞達するようにする。」と訓示した。神風特攻隊編成命令書を大西猪口力平門司親徳起案連合艦隊軍令部海軍省など中央各所発信した10月21日大西特攻空母甲板撃破時間的余裕を得るため、南西方面艦隊司令長官三川軍一中将協議しに行くが、25日行動予定組んでいるため、変更は困難と断られる10月22日第二航空艦隊長官福留繁中将第二航空艦隊特攻採用するよう説得するが、断られた。第一航空艦隊特攻戦果出た25日第二航空艦隊特攻採用決定する大西福留対し特別攻撃以外に攻撃法がないことは、もはや事実によって証明された。この重大時期に、基地航空部隊無為に過ごすことがあれば全員腹を切ってお詫びしても追いつかぬ。第二航空艦隊としても、特別攻撃決意すべき時だと思う」と説得して福留の最も心配した搭乗員士気問題については確信をもって保証する断言したため、福留決心し第一航空艦隊第二航空艦隊統合した連合基地航空隊編成された。福留指揮官大西参謀長務めた大西第一航空艦隊第二航空艦隊721空飛行隊長以上40名ほどを召集し大編隊での攻撃不可能で少数で敵を抜けて突撃すること、現在のような戦局ではただ死なすよりは特攻慈悲であることなどを話して特攻指導した大西強引な神風特攻隊拡大批判的な航空幹部もいたが、大西は「今後俺の作戦指導対す批判は許さん」「反対する者は叩き切る」と指導した10月26日夜、海兵同期親友多田武雄の子息であり、神風特別攻撃隊第2朱雀隊11月特攻)の隊長機選ばれ多田圭太中尉大西訪ねた。妻淑恵によれば多田家とは昔隣同士で圭太が生まれると実の息子のようにかわいがっていたという。圭太は懐かし気に入ってきて、しばらくつもる話をした後、連れだって長官室を出て大西は「元気にやれよ」と声をかけ、圭太は別れを告げる一目散に去って行った矢次一夫は「大西は、私に、この話をしている間、大目玉に涙を一杯溜めていた」と語っている。また、多田中尉、いまより敵艦突入す」という無電入ったときは「じつに熱鉄を飲む思いがしたよ」と大西から聞いたという。のちに軍令部次長となって次官多田一緒に仕事をする機会多くなった大西であったが、多田が圭太のことを聞かないので、ついに口に出せなかったと大西語り、矢次は話を聞きながら「ああ、大西死んだ自分代って多田中将話してくれと言ってるんだな」と思い大西自決した日にかけつけた多田夫妻にこの話をすると、多田瞑目婦人泣き崩れたという。 10月27日には大西によって神風特別攻撃隊編成方法命名方法発表方針などが軍令部海軍省航空本部など中央通達された。大西特攻隊員心構え厳粛にするため特別待遇禁じ、他の勝手な特攻禁じた猪口力平によれば27日特攻隊見送った大西は「城が言っていたが現場で決心がついた。こんなことしなければならないのは日本作戦指導がいかにまずいかを表している。統率外道だよ」と語ったレイテに敵が上陸し一段落したので特攻止めるかと猪口力平質問され大西は「いや、こんな機数や技量では、戦闘をやっても、この若い人々は徒らに敵の餌食になってしまうばかりだ。部下をして死所を得さしめるのは主将として大事なことだ。だから自分はこれを大愛と信ずる。小さい愛に拘泥せず自分この際続けてやる」と語った。 同じころ大西は、多号作戦輸送艦隊の脅威となっている、コッソル水道アメリカ軍飛行艇PTボート基地攻撃を、PTボート攻撃成果上げていた第一五三海軍航空隊戦闘901飛行隊美濃部正少佐命じ、その攻撃手段として特攻打診しているが、美濃部から「特攻以外の方法長官意図副えるならば、その方すぐれているわけです。私は、それに全力尽くすべきと思います」「だいいち特攻には指揮官要りません、私は指揮官として自分方法持ってます。私は部隊の兵の使い方長官ご指示を受けません」と反論されている。「今後俺の作戦指導対す批判は許さん」「反対する者は叩き切る」と第一航空艦隊幹部徹底していた大西であったが、この美濃部の反論に対して怒り見せることもなく、「それだけ抱負気概持った指揮官であったか。よし、その特攻中止して、すべて君に任せる」と意見認めている。美濃部は、大西が「特攻はむごい。しかし、ほかに方法があるか」「若い者に頼るほかない。これは私の信念だ。特攻続ける」と呟いたのを聞いたという。のちに美濃部本土帰って通常攻撃主体夜間戦闘機部隊芙蓉部隊指揮することとなるが、大西はその編成支援している。 11月16日福留繁中将特攻の必要と増援意見具申電(1GFGB機密第16145番電)を発する大川内傳七中将同旨だとして大西上京させて説明する打電11月18日大西猪口力平伴い日吉連合艦隊司令部豊田副武状況報告をし、軍令部及川古志郎軍令部総長改め趣旨説明し増勢しつつ現兵力レイテ作戦対機部隊作戦続行し別の攻略作戦充当兵力ほしいと要望した。練習航空隊から200機は抽出できる見積もり、敵来攻時に備え北部台湾待機させる、ここ1-2週間重大な時期述べた軍令部海軍省協議練習航空隊から零戦150機の抽出決定された。 1945年1月体当たり攻撃は無駄ではないか中止してはどうかという質問大西は「この現状では餌食になるばかり、部下死所を得させたい」「特攻隊は国が敗れるときに発する民族精華」「白虎隊だよ」と答えている。同月には、ついにダグラス・マッカーサー大将自ら指揮する連合軍大艦隊が、大西らがいるルソン島侵攻してきた。1月6日には、日本軍陸海軍ともに、熟練した教官級から未熟練習生に至るまでの搭乗員が、稼働状態にある航空機のほぼ全機乗り込んでリンガエン湾侵入してきた連合軍艦隊攻撃した大規模な特攻予想していた連合軍は、全空母艦載機や、レイテ島ミンドロ島進出した陸軍機も全て投入して入念にルソン島内から台湾に至るまでの日本軍飛行場爆撃し上陸時には大量戦闘機日本軍飛行場上空制圧したが、日本軍特攻機の中などに隠し夜間修理した狭い滑走路や、ときには遊歩道からも特攻機出撃させた。そのため圧倒的に制空権確保していた連合軍であったが、特攻機上陸艦隊殺到するのを抑止することができなかった。この日の戦果は、駆逐艦1隻撃沈戦艦4隻、巡洋艦5隻、駆逐艦5隻撃破特攻開始してからの最大戦果となった日本軍陸海軍ともにこの攻撃でほぼ航空機使い果たしてしまい、こののち散発的な攻撃しかできなかった。。 フィリピンの戦いにおいては陸軍も「万朶隊」などの特攻機出撃させているが、大西第4航空軍司令官富永恭次中将とは連携をとりながら作戦展開していた。富永海軍に対して協力惜しことはなく、大西が、海軍には性能のいい偵察機がなく戦果確認苦労しているので、陸軍へ協力富永直々に要請しているが、富永陸海軍連携重んじて大西要請快諾しこの後陸軍の「一〇〇式司令部偵察機」が海軍特攻戦果確認協力行なうなど、一般的には仲が悪かったといわれる日本陸海軍であったが、フィリピン航空部隊に関しては、大西富永人間関係もあって良好な関係であったフィリピン戦海軍特攻機333機を投入し420名の搭乗員失い陸軍210機を特攻投入し251名の搭乗員失ったが、挙げた戦果大きく連合軍は、フィリピン戦特攻により、22隻の艦艇沈められ、110隻が撃破された。これは日本軍通常攻撃含めた航空部隊による全戦果のなかで、沈没艦67%、撃破艦では81%を占めており、特攻相対的に少な戦力消耗で、きわめて大きな成果をあげたことは明白であった特攻大損害を被った連合軍のなかでは、日本軍フィリピンにあと100機の特攻機保有していたら、連合軍進攻を何ヶ月遅らせることができたという評価もある。

※この「神風特別攻撃隊編成」の解説は、「大西瀧治郎」の解説の一部です。
「神風特別攻撃隊編成」を含む「大西瀧治郎」の記事については、「大西瀧治郎」の概要を参照ください。

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