陸軍による対艦船攻撃の研究とは? わかりやすく解説

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陸軍による対艦船攻撃の研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:57 UTC 版)

万朶隊」の記事における「陸軍による対艦船攻撃の研究」の解説

陸軍中央では1944年初頭組織的な航空特攻検討始まった陸軍それまで前線からの切実な要望受けて 浜松陸軍飛行学校中心となって艦船対す攻撃法研究していた。まずは陸軍重爆雷撃隊への改修決定し1943年12月海軍より九六式陸上攻撃機の提供を受けて訓練実施された。同時に四式重爆撃機飛龍」の雷撃機改修行われた。後に雷撃訓練海軍指導のもとに行われ陸軍技量向上した陸軍指導した海軍航空隊搭乗員は、自らが運用する一式陸上攻撃機」と比較するスマートな機影で、対艦船用レーダータキ1」を搭載し飛行速度操縦性など基本性能が勝る「飛龍」を見て陸さんはいいなぁ」と羨望眼差し向けたという。 海軍鍛えられた、陸軍雷撃精鋭部隊飛行第7戦隊飛行98戦隊の「飛龍68機は、海軍指揮下となり、第七六二海軍航空隊部隊T攻撃部隊)に編入されて、台湾沖航空戦を戦うこととなった陸軍雷撃隊の初陣10月12日夜間出撃となったが、出撃した飛行98戦隊の「飛龍22機は迎撃してきた夜間戦闘機次々と撃墜され、ようやく敵艦隊に接触した飛龍」が雷撃のために照明弾投下する激し対空砲火浴びて損害続出したため、雷撃することもできずに引き返した。この日の未帰還機は9機となり、わずか1回出撃雷撃することも無く半数の「飛龍」を失ってしまった。捲土重来燃え飛行98戦隊は、10月14日稼働15全機出撃可能な搭乗員全員再度出撃した。途中でF6Fヘルキャット1機から攻撃受けたが、編隊全機集中射撃でこれを撃退もしくは撃墜)し、日没直後敵艦隊に接触した。「飛龍全機激し対空砲火の中で敵艦隊に突入、うち1機が「魚雷命中」の無電発するも、その後次々と出撃機からの無電発進途絶えていき、結局この日出撃した15機中11機が未帰還となったアメリカ軍戦闘記録によれば飛行98戦隊雷撃命中したのは軽巡洋艦ヒューストン」と見られ、これは陸軍雷撃隊の最大かつ唯一の戦果となったが、精鋭の第98戦隊24機もの「飛龍」を失い熟練搭乗員多く戦死してしまった。 「台湾沖航空戦」は大戦果の虚報日本中を驚喜させたものの実態惨敗であった。これは、アメリカ軍トラック島空襲のさいに、日本軍雷撃機夜間雷撃正規空母イントレピッド魚雷1発が命中して損傷するなど、日本軍機の夜間雷撃による損害絶えなかったため、1944年8月以降空母部隊夜間戦闘能力の向上を図っていたからである。アメリカ軍は各空母4-6機の夜間戦闘機配置するとともに正規空母エンタープライズ軽空母インディペンデンス硫黄島の戦いのときは正規空母サラトガ)に夜間戦闘機専門部隊配置夜間戦闘専門空母群である第7夜間空母群(英語版)を編成して万全夜間防空体制整えており、「台湾沖航空戦」の時点では、飛躍的に夜間日没直後といった視界不明瞭時の雷撃対策強化していた。「台湾沖航空戦」に圧勝した第3艦隊司令ウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督は、日本軍機によるアメリカ軍艦隊対す夜間雷撃を含む攻撃を「それほど激しいものでも正確なものでもなく、よく訓練されアメリカ軍航空隊にとっては深刻な脅威ではなかった」と振り返っている。 以上の通り航空機による通常雷撃アメリカ艦隊に対して殆ど損害与えることができなくなっていたが、陸軍雷撃部隊の編成並行して連合軍採用しビスマルク海海戦などで成果挙げていた反跳爆撃陸軍名「跳飛爆撃」)なども研究行った跳飛爆撃演習担当として、「飛行場離陸して目的地直進し、高度を下げれば、そこが目的地」と評されたほど的確な航法操縦技術知識持ち航法天才」とも呼ばれるほど陸軍きっての熟練操縦者であり、のちに万朶隊指揮官となる鉾田陸軍飛行学校岩本益臣大尉53期)が選ばれて、1年以上訓練繰り返した。しかし、陸軍きっての操縦技術有する岩本とは言え陸軍爆撃機搭乗員は元々、ソビエト連邦軍地上部隊爆撃することを想定した投下した爆弾炸裂させて地上の広い範囲大打撃与えるような爆撃技術をたたき込まれており、海軍搭乗員訓練してきた、海上航行中艦船投下した爆弾命中させるといった精密性を要する爆撃不得手であった。そのために岩本陸軍搭乗員訓練初歩からやりなおす他なかった。 1944年には、航空本部主催で、神奈川県真鶴岬にて陸軍航空審査部と各航空隊との跳飛爆撃合同訓練が行われた。岬の南に点在している岩を目標として、爆弾投下訓練行った。この訓練大成功で、ほぼ百発百中に近い好成績得られた。特に岩本これまでの訓練成果発揮し命中弾の半数ひとりでたたき出している。しかし、この訓練視察していた鉾田陸軍飛行学校校長今西六郎少将(のちに中将)は「本戦法は鈍重低速機に適しない。波が高いときは、波の山に当たれば40mから50mの高さに跳飛して船を飛び越え、谷に落ちれば跳飛しないことがある」「波が静かなときは、目標から100mから200m投下して百発百中である。いずれの場にも効果があるのは、舷側水面下直撃するように投下することである。編隊のまま攻撃するのは相互に妨害して不利である」と穏やかな海面でしか十分な効果発揮できないという感想抱いた8月には、少し厳しい環境での実験として、沖縄那覇風速10mから15mの風が吹いている環境下で沈没船目標として実験行った。このときは全体での命中率60%に低下したが、岩本はただ一人ほぼ全弾命中という驚異的な結果残したという。この一連の実験で、陸軍作戦機の殆どで実施可能という長所があると判ったが、一方で投下爆弾海面でのバウンド減速するために、爆弾衝突時の速度が他の攻撃法比較して著しく遅くなり重装甲軍艦には通用しないことと、また爆撃機行動軽快、優速に保つため、大質量爆弾装備できないこと判明したが、これらは攻撃成果重大な懸念抱かせる致命的な欠陥と言えた。 また、鉾田陸軍飛行学校岩本とともに跳飛爆撃」の研究携わっていた倉澤清忠少佐が、同時期に反跳爆撃」の研究行っていた海軍航空隊横須賀鎮守府横須賀海軍航空隊訪ねて訓練見学をしたところ、海軍陸上攻撃機艦上攻撃機の数機が目標模擬航空母艦向けて同時に高度1,000mから急降下その後飛行移行し海面スレスレの高度で各方向から一斉に目標襲いかかる光景見て海軍航空隊訓練の凄まじさに言葉失い目標海上動いているだけに、跳飛弾訓練難しい。陸軍艦船攻撃は全くの初歩段階だ。最初からやり直すしかない」と岩本を含む陸軍航空隊海軍航空隊熟練度乖離絶望し、ともに「跳飛爆撃」を研究していた教導飛行研究部福島尚道大尉に「(跳飛爆撃研究続けている)もう、時間は無い」「跳飛爆撃訓練徹底的に行わせることによって、特攻隊攻撃転用できるのではないか。1,000mの高度から、跳飛爆撃と同じ角度突っ込み、その勢いをかって直接体当たりすれば成功する」と意見述べたところ、当初強硬な特攻反対派であったはずの福島も「やはりそれ以外敵艦撃沈する方法はありませんね」と同意し2人でその特攻戦術をまとめた意見書作成し航空本部通じて参謀本部提出している。その意見書に基づき別府湾海軍空母鳳翔標的艦摂津使用して行われた航行中艦船対す訓練では、九九式双発軽爆撃機に500kg爆弾搭載して、1,000mから急降下させたところ、陸軍軽爆撃機搭乗員ではその後海軍のような海面スレスレ飛行移行できず、なかには急降下惰性海上突っ込む機もあって、陸軍機に500kg爆弾上の大型爆弾搭載した跳飛爆撃」の実現性疑問符ついているそもそも連合軍の「スキップボミング」が成功したのは、日本軍輸送艦隊や「チャスタイズ作戦」におけるナチス・ドイツダム破壊など、対空砲火弱く不動もしくは動き緩慢な目標に対してであり、岩本陸軍による「跳飛爆撃」よりも圧倒的に反跳爆撃」に熟練していた海軍は、「反跳爆撃」の致命的な欠点として、爆弾投下した攻撃機そのまま敵艦上空通過するとき、激しアメリカ海軍対空砲火弾幕飛び込むこととなるため、被弾確率跳ね上がり、殆ど生還望めないことだと判断している。また、跳飛爆撃」「反跳爆撃いずれも航行中敵艦爆弾確実に命中させるためには、敵艦の1,000mから高度は約10mを保ちながら接近し敵艦200mから300mの距離で投弾することを求められた。高度が高すぎると海面でのバウンド大きくなり敵艦飛び越し投弾が早すぎるとバウンド後に敵艦到達せずに海中没する可能性高かったまた、適切な高度と距離で投弾した場合においても、わずか2秒程度敵艦まで到達するため、迅速に機体を引き起さないと、そのまま敵艦激突することとなった。従って体当たり辞さない覚悟がないと正確な投弾を行うことができなかった。 それでも陸軍では、急降下爆撃よりは機体負担をかけず、水平爆撃よりは命中率がいい艦船攻撃法として、実際に採用する部隊もあった。飛行第3戦隊岩本指導のもとで南西諸島跳飛爆撃の猛訓練行って練度高めたが、結局は敵艦対空砲火対策妙案なく、日の出30分前及び日没30分後の5分間に、敵艦より上空航空機視認しにくい時間があり、その時間に攻撃するという苦肉の策講じてレイテ沖海戦中の1944年10月24日に「九九式双軽爆撃機22をもって陸軍航空隊最大規模跳飛爆撃敢行したが、アメリカ軍護衛空母群から出撃した「F4Fワイルドキャット」隊の迎撃により、途中で引き返した4機を除いて18全機撃墜され初回出撃全滅し戦隊長木村修一中佐も戦死するなど失敗終わっている。飛行95戦隊一〇〇式重爆撃機も、満州からフィリピン送られる際に、艦船攻撃法として「跳飛爆撃」を習得させられることとなったが、これまで同じ陸軍航空隊岩本らが「跳飛爆撃」を散々研究訓練してきたにも関わらず飛行95戦隊搭乗員訓練海軍航空隊の「反跳爆撃」の教本によって行われている。しかし、陸軍重爆撃機では「跳飛爆撃」に不可欠な爆弾投下後の急激な機体引き上げにより、ビス緩んでしまうほど機体大きな負担がかかることが判明し、「跳飛爆撃」は非常に困難ということ判明している。飛行95戦隊フィリピン進出後に「跳飛爆撃」で戦果挙げることはできず、飛行場攻撃などで戦力消耗し最後に残った7機で特別攻撃隊菊水隊」を編成して特攻出撃したが、敵艦隊に到達することなく全滅した。 同じ頃に「反跳爆撃」の致命的な欠点認識していた海軍においても、捷号作戦において、航空打撃力強化するため、マリアナ沖海戦時と同様に戦闘機爆装して(爆戦敵艦攻撃に回すこととしたが、艦船攻撃不慣れな戦闘機搭乗員攻撃手段として、熟練要する急降下爆撃ではなく操縦技術的にはまだ簡単な反跳爆撃」を導入せざるを得なくなっていた。これには多分に体当たり辞せず」という決死攻撃意図含まれていたが、訓練中にダバオ誤報事件発生し第一航空艦隊100近くの「零式艦上戦闘機」を損失戦力激減した第一航空艦隊は「神風特別攻撃隊編成大きく舵を切っていくことになった結局陸海軍ともに大きな労力時間をかけて研究訓練した跳飛爆撃」と「反跳爆撃であったが、実戦役に立つことは無かった

※この「陸軍による対艦船攻撃の研究」の解説は、「万朶隊」の解説の一部です。
「陸軍による対艦船攻撃の研究」を含む「万朶隊」の記事については、「万朶隊」の概要を参照ください。

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