陸軍における陣形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 10:19 UTC 版)
密集陣形 - ファランクス ファランクスの軍事教義では戦闘隊形として方陣を採用していた。これはギリシア諸国において盛んに用いられ、手持ちの大盾を、最前列の兵士は前面に、後列の兵士は上方に並べ持ち、槍をその隙間から出して戦った。陣形は16名を16列配置した方陣を基本的な戦闘単位としており、この方陣8個を8列配置してファランクスの方陣を構成していた。その圧倒的な突撃力は会戦における正面戦闘では無類の強さを発揮し、マケドニア王国のアレクサンドロス3世(大王)は騎兵部隊と併用して運用、歴史的な戦果を挙げた。一方でその性質上、非正規戦には不向きであり、また緊密な密集隊形であるが故に柔軟性や機動性に欠け、一度側面を突かれると脆いという脆弱性を持っていた。 斜線陣 相対するファランクスを崩壊させるためにテーバイの将軍エパメイノンダスが改良を加えて、レウクトラの戦いにおいて創作した陣形。ファランクスの最右翼(敵側から見て最左翼)は盾の防御がなく側面攻撃に弱いことから、通常は屈強な兵士を配置するが、これに対抗するため自軍の最左翼に兵力を集中させる。 ローマ式陣形 - レギオー レギオーはローマ軍団を表す言葉で、中隊歩兵陣形とも呼ばれる。共和政後期には3列に並ぶ陣形が組まれた。これは、ガリア人の散開戦術に度重なる敗戦を強いられたローマ軍が対抗策として発案したものである。その根幹はファランクスにはない隊列の柔軟さで、散開による包囲殲滅に移れる事と、3列に並んだ兵士を必要に応じて入れ替えることで得られる持久力にあった。代償として突進力を弱めたが、軍団兵による投槍や補助兵からなる弓兵と投石兵の射撃、さらには工兵が運用する投石器やバッリスタによる援護によってそれをカバーした。この時代の軍兵運用に芸術的な才能を発揮したのはカルタゴの将軍ハンニバルであり、2000年以上経た現在でも彼の戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされている。 テストゥド 古代ヨーロッパの陣形。特にそれを構成する個々の隊列を指す。ガリア人や共和政および帝政ローマで用いられた。大盾を装備した歩兵が密集隊形を組み、最前列の兵士が全面に盾を構え、後方の兵士が盾を掲げた状態で行軍する。一部隊全てが盾による防護を得る事で、弓矢や投石などの飛び道具に対して高い防御力を発揮した。一方で機動力の低さや白兵戦への速やかな移行が難しいなどの短所も存在し、カルラエの戦いではパルティアの弓騎兵(パルティアンショット)と重装騎兵の波状攻撃に苦戦を強いられている。 テルシオ 近世ヨーロッパの陣形でスペイン方陣とも呼ばれる。長槍兵を方形に並べ突撃に対する防御とし、周りに配置した弓兵・銃兵で攻撃を加える陣形。攻防バランスの取れた陣形だが、槍兵は攻撃に参加できない欠点がある。そのため、銃剣の誕生と共に廃れることとなる。 方陣 近代初頭における歩兵の代表的陣形。二列または三列で正方形を組む。前列は片膝を付き後列は直立、三列目がある場合は二列目の兵士の間から狙撃する。この陣形はどの面から攻撃されても味方によって射角が阻まれることがすくないため、極めて高い防御力を発揮できる。 カラコール 単発フリントロック式ピストルが登場したことにより、竜騎兵による一撃離脱の戦法が開発された。理論上は騎兵隊による機動力を利用し敵兵に一方的な攻撃を仕掛けられる事が期待されたが、実際には歩兵に対して有効な打撃とならず、反転時に歩兵のマスケット銃で狙い撃ちされることのほうが多かった。 大陸軍の陣形(ナポレオン1世) 「大陸軍 (フランス)#陣形および戦術」を参照 ライフル銃や機関砲、大砲の登場以降、火線を構築する目的での部隊配置としての陣形法が研究されることになった。構築陣地においては敵の接近や侵入を効率的に制圧するために機関砲や大砲による火線に死角が生じないように部隊配置することが重視された。
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