構造設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/15 07:57 UTC 版)
造型が決定すると構造設計の段階に移行。イオ・ミンは当初は木造を目指していたが、台湾の気候や国内での構造設計に適した木材の入手難を考慮し、U字型鋼を採用しようとしたが、コストの高騰が避けられなかった。構造設計を担った鳳後三は鉄筋コンクリートの使用を勧めた。構造計算書を作成し、ニューヨークで陳とともに、イオ・ミンにプレゼンテーションを行った(p9)。 片側2枚ずつの計4枚の薄いシェルを『ハの字』かつ菱形に並べ、下部は基礎と直結し、屋根部で両側のシェルが支えあうことで建材の軽量化が実現した。内部が格子状の凹面4枚のシェルは隙間を設けて採光性を高めた(p10)。
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構造設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:41 UTC 版)
「DNAナノテクノロジー」の記事における「構造設計」の解説
核酸ナノ構造を設計する最初のステップは、与えられた構造をどうやって核酸鎖の配列として表すかを決めることである。このステップでは求める形状の中で鎖をつなぐ塩基対の位置(二次構造)が決められる。これまでに複数のアプローチが確立されている。 タイルベースの構造 このアプローチではターゲット構造を小さなユニットに分割する。それぞれのユニットに含まれる鎖どうしは強く結合しているが、ユニット間の相互作用はそれより弱い。周期格子の作製に用いられることが多いが、アルゴリズミック・セルフアセンブリにも応用できるためDNAコンピューティングのプラットフォームになりうる。1990年代半ばから2000年代半ばまで主要な戦略だったが、DNAオリガミの方法論が発展するとその地位を失った。 折りたたみ構造 タイルベースのアプローチに代わるもので、1本の長い鎖を折りたたんでナノ構造を作る。長い鎖の各部が互いに結合するように設計することで折り畳みを行うか、あるいは短い「ステープル」鎖が留め金の役割を果たす。後者の方法はDNAオリガミと呼ばれており、2次元・3次元のナノスケール形状を作製することができる(離散構造節参照)。 動的アセンブリ 最終的な生成物だけでなく、反応機構の中間ステップすべてを設計することでDNAセルフアセンブリの動力学を直接制御するアプローチ。ヘアピン構造を持つ出発物質が決まった順序でカスケード反応(英語版)を起こして最終的な配座にアセンブルする(鎖置換カスケード節参照)。このアプローチには一定温度で等温的に進行する利点があり、アセンブリをトリガーして正しく構造形成を行うために高温の熱アニーリングステップを必要とする熱力学的アプローチとは対照的である。
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構造設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:28 UTC 版)
以下の年には竣工年でないものと竣工年のものが混在する。 名称年所在地意匠設計状態備考/芝浦製作所鋳物 1914年(大正3年) 斎藤久孝 現存せず /大阪髙島屋百貨店(長堀店) 1921年(大正10年) 大阪府大阪市中央区 岡田信一郎 現存せず /大阪商船神戸支店 1921年(大正10年) 兵庫県神戸市 渡辺節 /日本興業銀行本店 1923年(大正12年) 東京都千代田区 渡辺節 現存せず /歌舞伎座 1923年(大正12年) 東京都中央区 岡田信一郎 現存せず /実業之日本社ビル 1924年(大正13年) 東京都中央区 佐藤功一 現存せず /NHK愛宕山放送局鉄塔 1925年(大正14年) 東京都港区 木子七郎 現存せず /東京電灯千住火力発電所 1925年(大正14年) 東京都足立区 現存せず おばけ煙突で知られた /自邸(早稲田大学内藤多仲博士記念館) 1926年(大正15年) 東京都新宿区 木子七郎・今井兼次 DOCOMOMOJAPAN 176 /早稲田大学大隈記念講堂 1927年(昭和2年) 東京都新宿区 佐藤功一・佐藤武夫 重要文化財 /NHK新郷放送所鉄塔 1927年(昭和2年) 埼玉県川口市 今井兼次 現存せず /東京地下鉄道上野駅 1927年(昭和2年) 東京都台東区 東京地下鉄道建築課 /旧 山口萬吉邸 1927年(昭和2年) 東京都千代田区 木子七郎・今井兼次 登録有形文化財九段 kudan house /明治生命館 1930年(昭和5年) 東京都千代田区 岡田信一郎 重要文化財 /日本銀行本店増築 1930年(昭和5年) 東京都中央区 長野宇平治 /大丸心斎橋店本館 1933年(昭和8年) 大阪府大阪市中央区 W・M・ヴォーリズ 現存せず /大阪放送会館本館 1936年(昭和11年) 大阪府大阪市中央区 渡辺仁 現存せず 2002年取り壊し /富山電気ビルデイング本館 1936年(昭和11年) 富山県富山市 富永襄吉 登録有形文化財 /棒二森屋本館 1937年(昭和12年) 北海道函館市 明石信道 2019年以降取り壊し予定 /日本製鉄輪西製鉄所第四火力発電所 1938年(昭和13年) 北海道室蘭市 現存せず /日本航空格納庫 1938年(昭和13年) 現存せず /長者原発電所 1939年(昭和14年) 山形県小国町 /電興株式会社社寮 1939年(昭和14年) 山形県小国町 資料館 /旧東京厚生年金病院 1953年(昭和28年) 東京都新宿区 山田守 現存せず /世界平和記念聖堂 1954年(昭和29年) 広島県広島市中区 村野藤吾 重要文化財 /根津美術館 1954年(昭和29年) 東京都港区 今井兼次 現存せず /神戸新聞会館 1954年(昭和29年) 兵庫県神戸市 村野藤吾 現存せず /名古屋テレビ塔 1954年(昭和29年) 愛知県名古屋市 内藤 登録有形文化財 /二代目通天閣 1956年(昭和31年) 大阪府大阪市浪速区 内藤 登録有形文化財 /別府タワー 1956年(昭和31年) 大分県別府市 内藤 登録有形文化財 /さっぽろテレビ塔 1957年(昭和32年) 北海道札幌市 内藤 /山梨県民会館 1957年(昭和32年) 山梨県甲府市 内藤・明石信道 現存せず /早稲田大学内藤博士記念耐震構造研究館 1957年(昭和32年) 東京都新宿区 内藤・明石信道 /東京タワー 1958年(昭和33年) 東京都港区 内藤・日建設計 登録有形文化財 /遠光寺本堂 1958年(昭和33年) 山梨県甲府市 内藤 /甲府市役所1号館 1961年(昭和36年) 山梨県甲府市 内藤・日建設計 現存せず 設計指導 /總持寺大祖堂 1962年(昭和37年) 神奈川県横浜市 田辺泰 /早稲田大学文学部旧校舎 1962年(昭和37年) 東京都新宿区 村野藤吾 /山梨県庁舎 1963年(昭和38年) 山梨県甲府市 内藤・明石信道 /博多ポートタワー 1963年(昭和38年) 福岡県福岡市博多区 内藤 /日生劇場 1963年(昭和38年) 東京都千代田区 村野藤吾 /東海大学校舎 1964年(昭和39年) 神奈川県平塚市 山田守 /新宿区役所 1965年(昭和40年) 東京都新宿区 内藤・明石信道 /八重洲ダイビル 1965年(昭和40年) 東京都千代田区 村野藤吾 日本興業銀行本店(1923年) 東京電灯千住火力発電所(1925年) 大隈講堂(1926年) 大丸心斎橋店本館(1933年) 富山電気ビルデイング(1936年) 山梨県民会館(1957年) 名古屋テレビ塔(1954年) 二代目通天閣(1956年) 別府タワー(1956年) さっぽろテレビ塔(1957年) 東京タワー(1958年) 甲府市役所1号館(1961年) 博多ポートタワー(1963年) 山梨県庁舎本館(1963年)
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構造・設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 20:26 UTC 版)
「ジョン・ハンコック・センター」の記事における「構造・設計」の解説
ジョン・ハンコック・センターは、縦横やX字型の分厚いフレームがむき出しになった独特の外観が特徴である。これは建物を支える構造体を隠さずそのままデザインとして外に出す構造表現主義建築の一例であり、外観を見ればこの超高層ビルの重さを支えるチューブ構造や鋼鉄フレームの存在を感じることができる。 ビルの外側に配したフレームで筒状の構造体をつくり、全体を吊るして支えるチューブ構造は、風や地震の揺れからビルを守り、ビルの軽量化や100階以上への超高層化を可能とする技術的アイデアであり、その後完成したワールドトレードセンターやAONセンターもこの構造を採用している。特にこのビルでは縦方向や横方向のほか、さらにX字型のフレームで補強をしている。これは超高層ビルの構造をより丈夫にし、ビル内部の柱を極力なくしてオフィスに柱が立ち並ぶ事態を避けるための工夫である(柱を減らしてオフィスに賃貸できる面積を増やしたことで経済性も高まった)。 頑丈そうなフレームが壁面を覆う独特の外観はジョン・ハンコック・センターを建築史上でも記念碑的な存在としている。こうした構造表現主義的・ハイテク建築的手法は、1980年代以降香港上海銀行・香港本店ビルなどを手がけたノーマン・フォスターらが多用しているが、構造エンジニアでもあったファズラー・カーンがその先駆的役割を果たした。 内装は1995年に一新され、ロビーにトラバーチンや模様入り大理石が張られるなどした。ビル外側の楕円状の公開空地は、季節の草花や3.7m(12フィート)の滝がある市民の憩いの場になっている。ビル上方は夜になると白くライトアップされシカゴ全域から見ることができ、さらに祝日ごとにライトアップの色が変わる。
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構造・設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:19 UTC 版)
旧鳥羽小学校校舎は鉄筋コンクリート構造3階建ての建築物であり、上から見るとEの字形をしている。清水栄二の設計、西本組(現・三井住友建設)の施工による。清水は神戸市役所の職員で、作品は兵庫県神戸市周辺に集中しているが、鉄筋コンクリート構造の建築物を設計できる数少ない建築家であったことから、各地の町村役場から受注しており、旧鳥羽小学校校舎もその1つである。 移転直前の教室配置 階 西側 中央部 東側 3階 ロッカー、図書館、普通教室 講堂 普通教室 2階 理科室、普通教室 普通教室、コンピュータ室、資料室 普通教室 1階 昇降口、普通教室 玄関、校長室、資料室、宿直室、放送室、印刷室 職員室、普通教室(特殊学級含む)、保健室、昇降口 表面は長さ67.48 mあり、モルタルで仕上げている。ロマネスク建築を彷彿させる3連のアーチ窓や演台のようなバルコニーがアクセントになっている。 建築としての特徴は、背面の3階部分が斜面に張り出して、その内部が大空間の講堂となっていること、随所にアール・デコ調の意匠を取り入れていることである。窓、柱、バルコニーはゴシック調を取り入れ、校舎1階には太い円柱の柱が廊下に立っている。廊下は木材でできており、卒業生からは「温かみがある」と評価されていた。内壁は漆喰が塗られている。 正門は、コンクリートに人造石洗い出し仕上げを施した門柱と鉄の門扉で構成され、どちらも経年劣化が進んでいる。校舎北側の手洗い場は、水道の閉鎖に伴い蛇口が撤去され、外枠だけの状態で残っている。 現役の校舎として利用されていた頃には、プールや体育館がない、バリアフリー非対応などの課題があった。
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