富山電気ビルデイング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 23:08 UTC 版)
富山電気ビルデイング | |
---|---|
![]() |
|
情報 | |
用途 | 賃貸オフィス、レストラン、結婚式場 |
旧用途 | ホテル |
設計者 | 富永襄吉[1] |
構造設計者 | 内藤多仲[1] |
管理運営 | 富山電気ビルデイング |
延床面積 | 19,557 m² |
階数 | 地上5階、地下1階(本館) |
竣工 | 1936年4月8日 |
所在地 | 〒930-0004 富山県富山市桜橋通り3番1号 |
座標 | 北緯36度41分48.6秒 東経137度13分0.5秒 / 北緯36.696833度 東経137.216806度座標: 北緯36度41分48.6秒 東経137度13分0.5秒 / 北緯36.696833度 東経137.216806度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2018年11月2日 |
富山電気ビルデイング(とやまでんきビルデイング)は、富山県富山市桜橋通りにある建築物。富山県内では電気ビルディングあるいは電気ビルと呼ばれている。1936年4月8日に竣工し、富山市内では富山県庁舎(富山県庁)とともに第二次世界大戦以前に竣工した建築物である。
富山電気ビルデイング株式会社が所有・管理を行っている。本項目では、法人の富山電気ビルデイングについても詳述する。なお、ビル名・会社名のいずれも正式名称は「ビルデイング」であり、「ビルディング」ではない。
概要

1936年に開催された日満産業大博覧会に合わせて、当時の日本海電気(富山県域を営業区域としていた電力会社・現在の北陸電力の前身)本社ビルとして1936年4月8日に県内初の複合オフィスビルとして竣工した[1][2]。建築の目的として地域産業の発展と地方文化の向上に寄与することを挙げており、日本海電気社長の山田昌作(後の北陸電力初代社長)の意向もあって、富山県内の経済人の交流の場としてビル内に社交クラブ(富山社交倶楽部)が置かれた[2]。
外観にタイル張りが施された鉄筋コンクリート製の建築物で、1936年に竣工した本館は地上5階・地下1階の構造となっている[2][3]。ビルの中央部を高くしてバルコニーを設け、両端に丸窓も設けられている。その外観から『埠頭に浮かぶ軍艦』とも呼ばれていた[1]。1945年8月1日の富山大空襲の戦災にも焼夷弾の屋上への直撃で焼失した5階部分を除き耐え[1]建築当時の外観が現在もほぼ保たれている、各階から投下する真鍮製郵便ポストが竣工当初以降現役である[1]など、1935年8月17日に竣工した富山県庁舎と並び昭和初期の富山の象徴となっている[3]。また、1956年11月には新館、1972年2月には新館東側に第二新館が竣工した(第二新館は北陸電力が所有)。
2018年7月20日、文化審議会は富山電気ビルデイングを国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申[3][4]、同年11月2日の官報で告示され正式に登録となった[5]。国登録有形文化財として登録されるのは、本館と新館の2棟となっている[6]。
歴史
富山電気ビルデイングの建設の背景には、富山市の旧都市計画法に基づく都市整備事業がある。神通川の廃川地が明治時代から放置状態にあり、都市機能の障害となっていた。北陸電力の前身であった日本海電気と富山市の思惑が一致し、富山県庁舎とともに富山市の近代化発展と賑い創出の象徴として建設された。完成後は、日本海電気の本社(地下1階から2階に入居[2])のほかに、日本海側では3番目(北陸では最初)に開業した「富山電気ビルホテル」も4階に併設され、1958年の第13回国民体育大会開催時には昭和天皇、香淳皇后が宿泊し、『富山の迎賓館』とも呼ばれていた(ホテルは1974年に閉鎖)[1][7]。この他、大ホールや能舞台も設置されていた[1]。
第二次世界大戦後の1945年11月には、進駐軍の富山司令部が設置(1952年6月廃止)。また、1951年5月1日に北陸電力が設立されてからは、1989年5月に富山市牛島町の北電ビル(富山駅北側)が完成・移転されるまでは本店が置かれていた。
沿革
- 1936年4月8日 - 富山電気ビルデイング竣工(後の本館)[8]。
- 1945年8月1日 - 富山大空襲で小被災するも大破を免れ、3か月後には業務を再開した[9]。
- 1951年5月1日 - 北陸電力設立(発足時は延床面積7,316m2が本店、北陸配電からの引継ぎ)[10]。
- 1952年9月 - 進駐軍の接収が正式解除[11]
- 1953年 - 進駐軍の接収解除に伴う改修工事が終了し、ホテルと食堂の営業が再開[1]。
- 1956年11月28日 - 6階に工事現場を結ぶマイクロウェーブの設備が施された新館が竣工[12](延床面積7,378m2)。同年12月1日に北陸電力本店が新館[13]、同年12月16日に富山支店が旧日本発送電社屋から本館(旧館)に移転[14][15]。
- 1972年2月29日 - 新館東側に第二新館竣工(延床面積10,569m2)。
- 1989年
エピソード
富山電気ビルデイングにはレストランを設けており、ホテルが開設されていた頃は帝国ホテルからサービスなどの指導を受けていた。作家の池波正太郎は電気ビル内のレストランのカレーライスを富山来訪時には食していた[17]。
2025年6月5日には、耐震改修工事中に5階にて空襲による火災によって波打つように変形した鉄骨や黒くすすけた天井といった戦災の痕跡が見つかった[18]。
完成当時は5階大ホールに格子状の装飾を施した緩やかなアーチ型の天井が設置されていた。富山大空襲でこの天井が焼失し鉄骨やコンクリートが剥き出しの状態となった。その後、GHQによる接収が決まったため、コンクリートに直接薄緑色の塗装を施すなどの簡易的な復旧工事が実施された(この時点で予算や資材の不足から、天井の装飾は再建されなかった)。さらに接収解除後の1954年に本格的な復旧工事が行われ、天井は一部を除いてベージュ色に塗り直され、さらに1983年の全面改修により天井が再建された。大ホールは2025年11月までに耐震工事を終え、同年12月の営業再開を目指すとしている[19]。
富山電気ビルデイング株式会社
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | ![]() 〒930-0004 富山県富山市桜橋通り3番1号 |
設立 | 1936年2月26日 |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 6230001002116 |
事業内容 | 不動産事業、食堂経営 |
代表者 | 代表取締役社長 山田岩男 |
資本金 | 3億9000万円 |
売上高 | 69億2228万円(2009年3月期) |
総資産 | 105億1,227万円(2009年3月31日時点) |
従業員数 | 188人(2009年6月時点) |
決算期 | 3月 |
主要株主 | 北陸電力、北陸銀行 |
主要子会社 | 日本海冷蔵、北産運輸 |
外部リンク | https://www.toyamadenbil.co.jp/ |
概要
沿革
- 1936年2月26日 - 富山電気ビルデイング設立。
- 1952年7月 - 東京支店開設。
- 1958年4月 - 丸善石油(現・コスモ石油)特約店として石油販売を開始。
- 1969年6月 - 金沢出張所開設(1973年4月に金沢営業所に改組)。
主な事業内容
- 不動産・賃貸ビルの運営
- レストラン・喫茶店運営
- 電気ビルレストラン(本館4階・県民会館店)、北電食堂など
- 石油販売、電力・電子機材の販売
参考文献
- 『ふるさと富山歴史館』 - 富山新聞社
- 『北陸電力五十年史』 - 北陸電力
脚注
- ^ a b c d e f g h i 北日本新聞 2019年1月5日付30 - 31面『祝・富山電気ビルディング国登録有形文化財(建造物)登録記念 いつも、いつまでも、富山とともに』より。
- ^ a b c d “挑戦 北陸財界ものがたり 北陸電力(4) 電気ビル 発展に貢献”. 中日新聞 (2014年10月21日). 2019年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ a b c “富山電気ビルを国有形文化財に 文化審が答申”. 北國新聞 (2018年7月21日). 2018年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ 『登録有形文化財(建造物)の登録について』(PDF)(プレスリリース)文化庁、2018年7月20日 。2019年2月10日閲覧。
- ^ “電気ビル本館・新館の国登録有形文化財(建造物)の正式登録”. 富山電気ビルデイング管理部 (2018年11月2日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ “国の登録有形文化財(建造物)の登録について”. 富山県教育委員会 (2018年7月21日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ 『まんまる』2018年6月号(北日本新聞社)10ページ
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第一巻』(2000年5月20日、富山市発行)224頁。
- ^ 『保存版 富山市今昔写真帖』(2003年3月24日、郷土出版社発行)25頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)193頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞発行)68頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)673‐674頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)592頁。
- ^ 『北陸電力70年史』(2021年11月、北陸電力発行)601頁。
- ^ a b 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)194頁。
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)32 - 33頁。
- ^ 電気ビル物語
- ^ 『北日本新聞』2025年6月6日付1面『すすけた天井/変形した鉄骨 電気ビルに大空襲痕跡 富山 改修中に見つかる』より。
- ^ 『北日本新聞』2025年6月6日付27面『復興から成長 改修重ね 富山電気ビル アーチ天井 空襲で焼失 「今後も使われる建物に」』より。
関連項目
外部リンク
- 富山電気ビルデイング - 公式サイト
- 富山電気ビルデイング本館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 富山電気ビルデイング新館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- とやまの文化遺産 富山電気ビルデイング本館、新館 - とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会(富山県教育委員会)
- 富山電気ビルデイング株式会社 - 企業公式サイト
富山電気ビルデイング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:26 UTC 版)
「富山電気ビルデイング」も参照 1935年、富山市中心部において市街地を南北に分断していた神通川廃川地の埋め立て工事が完成した。工事を行った富山県では、造成地を売却するにあたり、新社屋建設を検討していた日本海電気へと打診する。それを受けて同社は埋立地のうち約3000坪の土地を購入し、新ビル運営・管理のための新会社「富山電気ビルデイング株式会社」を1936年(昭和11年)2月に設立した。設立時の資本金は100万円で、計2万株のうち1万3250株を日本海電気で持ち、ほかに黒部川電力・小松電気・高岡電灯や中央の大同電力・日本電力(日電証券)、富山県周辺に工場を持つ日本カーバイド工業・日満アルミニウム・電気化学工業・日清紡績・大日本人造肥料などが出資した。 富山電気ビルは1936年3月31日に竣工。地下1階・地上5階からなり、日本海電気・黒部川電力が入居したほか、4階にはホテル・レストランと富山社交倶楽部、5階には大ホールが開設された。
※この「富山電気ビルデイング」の解説は、「日本海電気」の解説の一部です。
「富山電気ビルデイング」を含む「日本海電気」の記事については、「日本海電気」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
日本の不動産業 |
東急モールズデベロップメント ソロンコーポレーション 富山電気ビルデイング 日本エイペックス 野村不動産ホールディングス |
近代建築 |
聖和大学 創宇社建築会 富山電気ビルデイング 野良時計 彦根高等商業学校 |
富山市の企業 |
リッチェル 富山ライトレール 富山電気ビルデイング 品川グループ ウェルテクノ |
かつて存在した日本のホテル |
阿蘇観光ホテル ホテルニュージャパン 富山電気ビルデイング リーガグランドホテル ホテルエイペックス洞爺 |
- 富山電気ビルデイングのページへのリンク