畠中家住宅(野良時計)主屋
名称: | 畠中家住宅(野良時計)主屋 |
ふりがな: | はたなかけじゅうたく(のらどけい)しゅおく |
登録番号: | 39 - 0001 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、瓦葺、建築面積126㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治20 |
代表都道府県: | 高知県 |
所在地: | 高知県安芸市土居638-4 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 高知県近代和風建築総合調査 日本近代建築総覧 |
施工者: | |
解説文: | 複雑な平面になる主屋北側の突出部の屋根に擬洋風の時計台が載る独特の構成を持つ。時計は当時の亭主の手造りと思われ,我が国の近代化が地方に浸透した過程を示す。「野良時計」の愛称でよく知られた住宅で,広く親しまれている。 |
畠中家住宅(野良時計)蔵
名称: | 畠中家住宅(野良時計)蔵 |
ふりがな: | はたなかけじゅうたく(のらどけい)くら |
登録番号: | 39 - 0002 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、瓦葺、建築面積21㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治20 |
代表都道府県: | 高知県 |
所在地: | 高知県安芸市土居638-4 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 高知県近代和風建築総合調査 日本近代建築総覧 |
施工者: | |
解説文: | 時計台のある主屋に近接して建つ大壁造の土蔵は,腰下を板張りとし,妻壁に開いた小窓と水切りの小庇で外観を飾る。「時計台」の載る主屋とともに,静かな田園地帯によくなじんだ風景として知られ親しまれている。 |
野良時計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 10:26 UTC 版)
野良時計 | |
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2009年5月撮影 | |
情報 | |
用途 | 民家、時計台 |
建築主 | 畠中源馬 |
管理運営 | 畠中家 |
竣工 | 明治20年(1887年) |
所在地 |
〒784-0042 高知県安芸市土居 |
座標 | 北緯33度30分56.7秒 東経133度54分41.3秒 / 北緯33.515750度 東経133.911472度座標: 北緯33度30分56.7秒 東経133度54分41.3秒 / 北緯33.515750度 東経133.911472度 |
文化財 | 国の登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 平成8年(1996年) |
野良時計(のらどけい)は、高知県安芸市にある時計台である。明治時代に作製され、その地の地主宅に据えられた。安芸平野のほぼ中央に位置し田園風景にたたずむ姿は安芸市の観光名所の一つとなっている。国の登録有形文化財[1]。
沿革
土居村(現在の安芸市土居)の大地主であった畠中源馬は時計に興味を持った。明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、やがて自作の時計を作ることを思い立った。独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。当時はほとんどの人が時計を持っておらず、周囲の田園で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立っていたと言われる。
時計は北側正面と東側・西側の3面にあり作製当初は3面同時に動いていたと言われている。その後は正面のみが動いていた。
平成8年(1996年)国の登録有形文化財となった。登録名は、畠中家住宅。
作製後120年あまり動いていたが、源馬の孫にあたる畠中秀雄が平成16年(2004年)に死去すると管理する者がいなくなったため止まった。翌年の平成17年(2005年)6月10日(時の記念日)に遺族が協力して再稼働を果たした。
櫓の内部は一般公開されていない。
アクセス
- 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線 安芸駅下車。市内循環バス畑山行で15分、野良時計前バス停で下車。
脚注
参考文献
- 高知県高等学校教育研究会歴史部会/編 『高知県の歴史散歩』 山川出版社/刊 2006年 168ページ
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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