教育研究活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 06:51 UTC 版)
おもに、人のインターネットや携帯電話との関わり方、情報社会のルールについて研究している。インターネット・携帯電話の特性から、リアルないじめとネットいじめの共通点と差異性を明らかにし、ネットいじめマニュアルを作成し、リアルとネットをつなぐ対策を提唱している。 著書『「誰でもよかった殺人」が起こる理由―秋葉原無差別殺人事件は何を問いかけたか―(2008)』では犯行要因を「非正規雇用問題が原因だった」とするメディアに対し大きく異論を唱え、教育におけるレジリエンスの重要性を強調している。 著書『サイレントレボリューション ITによる脱ニート・フリーター(2006)』では世代の特徴から4つの世代に分類し、それぞれの世代の情報社会での生き方を分析している。 復興期世代(1950年代) 団塊の世代や全共闘世代を含め高度成長期を支えた戦後の復興期に新しい社会を築いた1940年代1950年代生まれの目標に向かって努力をすれば報われた世代である.復興期世代はエネルギーあふれ輝く太陽に包まれた社会を目指して皆が一致団結して社会の中心めがけて皆が向かうイメージで表現される。 エンジョイ世代(1960年代) フィギアやアニメ、ゲーム等が登場しそれらにはまるオタクやフリーターが登場しはじめた世代であり、大学のレジャーランド化が指摘されたのもこの世代であり、バブル期に就職時期を迎えた者が多く、希望する道に比較的障害が少なかった1960年代生まれの世代である。エンジョイ世代は太陽に照らされているのが当たり前で、エネルギーを一人一人興味関心に向かう方向へそれぞれ向かう様子を表現している. イリュージョン世代(1970年代) バブル崩壊後に就職時期を迎えた者が多く、不本意に派遣社員や請負労働に従事する者が多く、たとえ一流企業に入社しても自分は選択を間違ったのではないかと大学院に入り直すなど転職・人生の迷い(イリュージング)が多い1970年代生まれの世代である。イリュージョン世代はもはや明るい太陽はでていないが道に迷いながら紆余曲折しながら自分なりの到達点に到達する様子をしめした。ボタニカル世代は、与えられたステイタスをそのまま受け入れそこにじっととどまり身の丈にあった生き方をしようとする大多数と、一部のヒルズ族のように成功する一握りにわかれて固定化し流動しない様子をあらわしている. ボタニカル世代(1980年代) バブル崩壊後に生まれ育ち、かなわぬ夢を追求する者は少なく、生まれ育った土壌で自分だけの美しい花を咲かせようとする、身の丈にあった行き方を選ぼうとする者が多い1980年代生まれの世代である. 著書『情報社会論~超効率主義社会の構図(2007)では、年功序列・学歴主義・業成果主義の崩壊のあとに台頭してきたのは効率主義であるとしている。つまり、国内の工場で長い年月と労力をかけてしかも高い賃金を支払わなければいけない熟練工を育てるよりも、安い賃金で雇えるならばよその国から優秀な熟練工を連れてこよう、あるいは工場ごと海外に移動し低コストで世界相手に大量に製造していこうという発想である。学歴も業績も問わない、即戦力となる人材が可能な限り低コストでほしい、ルーチンな作業をこなすのは高いコストのかかる正社員でなく作業量に応じて調整のきく非正規の社員で補いたい、幹部候補として育てるためには途中で退職する可能性が低く育てた後も長く貢献してくれるできるだけ若い人材の方がいい、このように現代の日本社会は低コスト高効率を極限まで追求しようとする傾向が非常に顕著であり、この傾向を超効率主義と命名している. 著書『ネットジェネレーションのための情報リテラシー&情報モラル~ネット犯罪・ネットいじめ・学校裏サイト (2008)』では学校裏サイトを詳細に分析し、子どもが書き込んだかのようにメディアで批判されているアダルト画像や不謹慎な書き込みは子どもが書き込んだものとは限らないことを指摘し、その背景を具体的に説明している。また、フィルタリングは大切であるけれど、悪意の第3者とのいたちごっこになりかねず、根本的な解決ではないとし、ネット社会にデビューする前の教育が急務であり、鉄は熱いうちに打てというように、情報リテラシー・情報モラル教育はネット社会に出る前に学ぶべき必須課題であることを強調している。 このほか、文部科学省委託事業「子どもの安全に関する情報の効果的な共有システムに関する調査研究」ではMind Mapシステムを開発し、子どもの心の動きとGPS情報をリアルタイムに保護者に伝えることによる犯罪を未然に防ぐ対策を推進した。また、科研費研究「高等教育における情報リテラシー格差是正に資する研究」では情報リテラシー格差と家庭環境や生活習慣、得意教科等との関連を明らかにした。さらに、三菱財団研究助成では「ニート・フリーターおよび不登校児童・生徒とITの関わりに関する調査」では、職業の志向性と家庭環境や生活習慣、得意教科等との関連の調査などをおこなっている。 研究テーマ: 情報社会論 - ネットジェネレーションと現代社会の関係性について研究 情報モラル - 人のネットやケータイとの関わり方、情報社会のルールについて研究 情報リテラシー - 情報の伝達と表現、インタラクションについて研究
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教育・研究活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 06:47 UTC 版)
スポーツ教育・健康教育の実践をいかにして科学するかという課題に取り組んでいる。現在は、近代史上の健康教育の実践を科学する試みという文脈において、日本における健康形成理念及びその制度の形成・確立のプロセスを考究するべく、特に明治期の衛生学・衛生行政の医史学的研究に焦点を当て取り組んでいる。 研究分野はスポーツ科学で、ソフトボール指導方法論、幼児体育の理念、ソフトボールの効果的な指導法を研究課題とし論文や著書を多く発表している。 日本スポーツ方法学会理事(2007年3月~2010年3月)、日本幼少児健康教育学会理事長(事務局長)(2005年4月~2009年3月31日)、身体運動文化学会理事(1996年11月~2008年3月31日)を務めた。
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教育・研究活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 22:10 UTC 版)
「ダニエル・ベンサイド」の記事における「教育・研究活動」の解説
教育活動においては、北部コンデ=シュル=レスコー(ノール県)の高等学校で哲学を教えた後、1971年から72年にかけてアラン・ブロッサ、アンリ・ウェベールとともにヴァンセンヌ大学(フランス語版)の哲学科に参加し、ブロッサは「若きトロツキー」、ウェベールは「フランス極右の構造」、ベンサイドは「労働者国家の性質」と題する講義を行った。ヴァンセンヌ大学は五月革命の翌年に、大学制度改革の一環として創設された、労働者や外国人にも開かれた大学であり、「フランス現代思想」を代表するミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、フランソワ・シャトレによって創設された哲学科は、形式・内容ともに伝統的なパリ大学にはない新しい試みであった。1982年にモンペリエ大学で政治学の博士号を取得した後、パリ第8大学(ヴァンセンヌ大学が1980年にパリ郊外のサン=ドニに移転し、パリ第8大学に改称)の哲学科の助手として赴任。1994年に助教授、2001年1月21日に教授に昇任した。 1990年に病に倒れたベンサイドは、以後、研究活動と著書の執筆に専念した。マルクス研究においては、教条主義的マルクス主義に対抗する試みとして、パリ第8大学の講義で何年にもわたってマルクスの『資本論』、『経済学批判要綱』、『剰余価値理論』を取り上げながら、講義ノートとして膨大な注釈や解説を書き留めていった。このとき、ヴァルター・ベンヤミン、オーギュスト・ブランキ、シャルル・ペギー、ジョルジュ・ソレル、ベルナール・ラザール(フランス語版)の思想がベンサイドに時と歴史の概念を捉え直す契機を与えた。1990年代に発表された『ヴァルター・ベンヤミン』、『時ならぬマルクス - 批判的冒険の偉大さと逆境』、『時代の不一致 - 危機、階級、歴史に関する随筆』、『憂鬱な賭け』、『時勢への抵抗の讃歌』は、ベンサイドのこうした思考を跡付けるものである。 歴史の概念の再考から、過去を継承することは時勢に抗して思考するであると考えるベンサイドは、1991年に「時勢に抗するための協会(Société pour la résistance à l’air du temps, Sprat)」、次いで2009年に、ヴィクトル・ユーゴーが讃歌「Viro Major(男まさり)」を書き贈ったアナーキスト、フェミニスト、パリ・コミューンの闘士ルイーズ・ミシェルに因む「ルイーズ・ミシェル協会(Société Louise Michel)」を創設。後援会には、作家のジョン・バージャー(英国)、エリアス・サンバー(パレスチナ)、ジル・ペロー(フランス語版)(フランス)、タリク・アリ(英語版)(英国)、社会学者のジルベール・アシュカル(フランス語版)(レバノン)、リュック・ボルタンスキー(フランス語版)(フランス)、マイク・デイヴィス(米国)、人類学者のクロード・カラム(フランス語版)(フランス)、政治学者のエリック・トゥーサン(フランス語版)(フランス)、経済学者のミシェル・ユソン(フランス語版)(フランス)、歴史学者のエレン・メイクシンズ・ウッド(米国)、映画監督のケン・ローチ(英国)、カルメン・カスティージョ(フランス語版)(チリ、フランス)らが参加した。 ラピエールによると、ベンサイドは、2004年に発表した回想録『はやる心でゆっくりと(Une lente impatience)』において自分は政治には向かなかったのではないかと自問しているが、世界を変えるために闘わなければならないという信条、父が経営していたカフェ「バール・デザミ」の常連であった労働者の抵抗を受け継ぐことについては疑いは一切なかった。『はやる心でゆっくりと』の最後の章は「終わりと続き(Fin et suite)」と題されている。 2010年1月12日、パリにて死去、享年63歳。遺骨はペール・ラシェーズ墓地の納骨堂に安置された。
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教育・研究活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:03 UTC 版)
「アンナー・ビルスマ」の記事における「教育・研究活動」の解説
アムステルダム及びハーグ音楽院で教授を務め、ピーター・ウィスペルウェイや鈴木秀美を育てた。また、アンナ・マクダレーナ・バッハの写譜が残されている作品のボウイングについて研究書を著している。著書『フェンシングの達人バッハBach, the Fencing Master 』は、バッハの無伴奏チェロ組曲についての様式的・美学的な分析を取り扱っている。
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