ペール・ラシェーズ墓地とは? わかりやすく解説

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ペール・ラシェーズ墓地―結婚間近のカップル/オスカー・ワイルド

作者古閑希子

収載図書パリ、ジュテーム
出版社講談社
刊行年月2007.3


ペール・ラシェーズ墓地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 13:11 UTC 版)

ペール・ラシェーズ墓地の入口
丘の上から墓地を見下ろす
地図
ペール・ラシェーズ墓地の位置(パリ市)

ペール・ラシェーズ墓地(ペール・ラシェーズぼち、Cimetière du Père-Lachaise)は、フランスパリ東部にある墓地ショパンバルザックドラクロワロッシーニヴィンチェンツォ・ベッリーニオスカー・ワイルドモディリアーニプルーストエディット・ピアフマリア・カラス等の世界的な著名人の墓が多くあることで知られる。また、『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャン英語版もここに眠るとされる。

パリ・コミューン最後の戦いが行われた場所である。

概要

1850年代の門扉(J.フェラ画)[1]

ペール・ラシェーズ墓地の正式名称は、東墓地(cimetière de l'Est )である。パリ市内最大の墓地であり(44ヘクタール。ただし、パリ郊外にはさらに広大な墓地もある)、パリ東部の20区に位置している。世界で最も有名な墓地の一つであり、過去200年以上に亘り、フランスの文化や歴史に名を残した人々の墓に参るため、年間数十万人以上の人々が訪れる世界で最も訪問者の多い墓地だという人もある。ここには、五つの大きな戦争の記念碑もある。 墓地の周辺には花屋も多く、入り口で案内図やポスト・カードも販売している。

ペール・ラシェーズ墓地の庭園墓地のあり方は、19世紀アメリカ合衆国で庭園墓地の見本とされ、アメリカ人死生観にも大きな影響を与えることとなった[2]

コミューンの壁における年次追悼集会 (イリヤ・レーピン画、1883年)
パリ・コミューン150周年イベント (2021年5月29日)
墓碑の彫刻作業 (2009年)

アクセス

ペール・ラシェーズ墓地は、メニルモンタン大通り (Boulevard de Ménilmontant)沿いにあり、最寄り駅は地下鉄のメトロ2号線のフィリップ・オーギュスト駅である。2号線と3号線ペール・ラシェーズ駅があるが、こちらは正面ではなく側面の入り口に至るまでに500m程あり、分りにくい(なお、多くの観光客は3号線のガンベタ駅を利用している。これはオスカー・ワイルドの墓所に近いことと、墓地の入り口までは下り坂で距離が苦にならないという事情もある。)。

埋葬されている著名人

ギャラリー


脚注

  1. ^ カルナヴァレ博物館
  2. ^ アメリカの墓地の歴史②庭園墓地の誕生”. いわさき石材 (2015年). 2022年4月18日閲覧。
  3. ^ オスカー・ワイルドの墓英語版フランス語版

外部リンク

座標: 北緯48度51分36秒 東経2度23分46秒 / 北緯48.860度 東経2.396度 / 48.860; 2.396



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