ジネット・ヌヴーとは? わかりやすく解説

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ジネット・ヌヴー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 09:01 UTC 版)

ジネット・ヌヴーGinette Neveu, 1919年8月11日 パリ - 1949年10月28日 大西洋アゾレス諸島)は、フランスヴァイオリニスト。稀にみる天才的ヴァイオリニストで将来はフリッツ・クライスラージャック・ティボーと並ぶ名人になることを確実視されていたが[1]、航空機事故により30歳で死去。


  1. ^ a b c d e 名演奏家事典(中)音楽之友社 1982年3月20日
  2. ^ 「ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番をパリのサル・ガヴォーで奏いた」とのみ伝わり、共演者については伝わらない。ピアノ伴奏での演奏と思われる。
  3. ^ 『名演奏家事典(中)』(音楽之友社 1982年)には、パリ音楽院を11歳で首席で卒業したとある。
  4. ^ ヌヴー家はコンクールへの出場費用を工面できず、師のフレッシュが費用を全額負担した(「ジネット・ヌヴー2(Shellman)」)
  5. ^ ハンブルクでヌヴーと共演したオーケストラの指揮者については、「The First Recordings of Ginette Neveu (Testament)」には「オイゲン・ヨッフム」とあり、「ジネット・ヌヴー2(Shellman)」には「ハンス・シュミット=イッセルシュテット」とある。ヨッフムは、カール・ベームの後任として、1934年からハンブルク国立歌劇場en:Hamburg State Opera)ならびにPhilharmonisches Staatsorchester Hamburgの音楽監督であり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を定期的に指揮しており、日本で上梓された 『名曲決定盤』 (あらえびす著、 中央公論社、1939年)でも「ドイツの新進指揮者」と紹介されている。シュミット=イッセルシュテットは、1935年からハンブルク国立歌劇場の第一指揮者であった。
  6. ^ 戦後のEMIへの録音では、協奏曲以外は、全て兄のジャンがピアノ伴奏した。


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