ワンダ・ルッザートとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ワンダ・ルッザートの意味・解説 

ワンダ・ルッザート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 17:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。2019年5月

ワンダ・ルッザート(Wanda Luzzato, 1919年8月8日 - 2002年10月9日)は、イタリアヴァイオリン奏者。[1][2]

ミラノから移住してきた高級官吏の父と歌手の母の下にヴァレーゼでワンダ・ヴィターリ(Wanda Vitali)として生まれるも、1920年に父が他界[3]し、後に母親が再婚したことにより、本名はワンダ・ルッザート・カルピ(Wanda Luzzato Carpi)となった。幼少時より、アリオダンテ・コッジの下でヴァイオリンの手ほどきを受け、5歳の頃には人前で演奏するほどになった。その後、ミラノ音楽院に入学してアルベルト・ポルトロニエリのクラスでヴァイオリンを学び、12歳で卒業している。1932年にはウィーン国際音楽コンクールでジネット・ヌヴーと同着の4位入賞を果たし、審査員だったイェネー・フバイに見初められて、フランツ・リスト音楽専門学校のフバイのもとで研鑽を積んだ。フバイの元で学んでいた頃にもウィーンやミラノで演奏会を開き、第二次世界大戦が勃発するまでにルーマニアのほか、デンマークスウェーデンにまで足を延ばしている。第二次世界大戦中はハンガリーに留まったが、戦後は欧米各地で演奏を行った。1964年には来日もしている。1965年からはトリノ音楽院、その翌年からは母校のミラノ音楽院でも教鞭をとるようになった。

ミラノにて没。

[脚注の使い方]
  1. ^ RH-002|8CD box|WANDA LUZZATO”. 2017年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月31日閲覧。
  2. ^ Wanda Luzzato: Jenö Hubay's "most talented pupil after Vecsey"”. 2017年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月31日閲覧。
  3. ^ waibinger, Michael (2016) (英語). Wanda Luzzato. Melo Classics. pp. 2-7. ASIN B01LVUS9P2 

参考文献

  • Carla Moreni, Wanda Luzzato, l'allieva italiana di Jenö Hubay, (Conferenza 14 maggio 2003, Biblioteca Ariostea, Ferrara) Hubay, p.43
  • Carla Moreni, Wanda Luzzato, l’allieva italiana di Jenö Hubay, in Gianluca La Villa, La sala bianca della musica. Jenö Hubay e la Scuola ungherese del violino. Capriccio narrativo e documenti storici, [edizione italiana/inglese], San Pietro in Cariano [Verona], Il segno dei Gabrielli editori, 2008, pp. 163–167



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ワンダ・ルッザート」の関連用語

ワンダ・ルッザートのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ワンダ・ルッザートのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのワンダ・ルッザート (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS