他のバンド関係者との関係
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「ノエル・ギャラガー」の記事における「他のバンド関係者との関係」の解説
自身に影響を与えた先輩ミュージシャンたちについては非常に尊敬しており、また仲の良い同世代・後輩のミュージシャンも多い。しかし気に入らないミュージシャンに対しては名指しで批判する(現在は和解しているデーモンもその1人だった)ため、諍いに発展することもしばしば(これは弟のリアムも同様)である。 デーモン・アルバーン ブリットポップの最盛期である1990年代当時、マンチェスターの労働者階級出身のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である芸術家気質のブラーとは、対立が度々メディアで取り上げられた。シングル対決で敗れた後、激怒したノエルが「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」と罵倒。それを知った母からは「そんな言葉を使うように育てた覚えはない」と叱られ、エイズ関連団体からは大バッシングを受けて謝罪に追い込まれた。現在では「デーモン・アルバーン は最高のアーティスト。俺はあいつのファンだ」とまで語っている。更に2011年には、クラブで偶然デーモンに遭遇し、酒を酌み交わし当時の事を笑い飛ばしたという 。2012年のブリットアワードのアフターパーティではお互いにカメラマンの前に姿を現し、抱擁を交わした 。その後も度々ツーショットが取られており、2013年にはライブでの競演が実現。2017年にはゴリラズのアルバムにノエルがゲスト参加し、話題を呼んだ。 U2 「14歳のころにU2のテレビ出演を見て以来のU2ファン」と公言している。デビュー当時からU2を目標としており、「U2になるのが俺のデカい夢」とインタビューで語っていた。また、2008年には「自分の事をオアシスのエッジだと思ってる」との発言もある。90年代後半のU2低迷時代から現在に至るまでU2を敬愛しており、ボノから「メディアがU2を大して取り上げてくれなくても、ノエルはいつもU2の偉大な擁護者であり続けてくれた」という言葉を贈られた。一番好きなアルバムは『アクトン・ベイビー』であり、デビュー前にそのアルバムツアーであるZOO TV ツアーを見に行き、「それまでの自分の人生で見た事がないくらい凄いと思った」と語っている。またアクトン・ベイビー収録の「ワン 」を「今まで書かれた中で一番偉大な名曲」と評している。そのため、ノエルはボノに対し「ボノはアフリカについては一言も喋らずにワンを演奏するべきだ」という発言も行っている 。 U2のアルバム『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の収録曲「ワン・ステップ・クローザー」は、ボノに対しノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。U2に対しては常に賞賛の言葉を惜しまず「U2は歴史上最も過小評価されてるバンド」「地球上最高の存在」「U2のRunning To Stand StillやPink FloydのNobody's Homeみたいな曲を書けたら、その後2度と曲が書けずに死んだとしても悔いはないだろう」「一番パワーを持ったミュージシャンはボノだと思う。ボノは凄く影響力のある人物だよ。世界を変えようとして実際にそれができてる」等の発言がある。また、2009年8月に行われたU2のライブの打ち上げにも参加した。 2017年に行われた『ヨシュア・トゥリー』30周年記念ワールド・ツアーには、ノエルがサポート・アクトとして参加した。 ジョニー・マー デビュー初期から交流があり、マーのバッキングに徹する演奏スタイルは、ノエルに強い影響を与えた。また、お金の無かった頃のノエルの音楽的才能を見抜き、自身のギブソン・レスポール・カスタムを無償で貸し与え、さらに不慮の事故で壊れてしまっても笑って済まし、別のレスポールを譲ったという逸話がある。 カート・コバーン ネガティブで悲観的と正反対の音楽性だが、自身に通じる悲惨な生い立ちや、同い年であり左利きの碧眼、無類のビートルズ好きであったことから、ノエルは常にカートに親近感を抱いており、彼に会ってみたかったと語っている。また、生きていれば今頃はアメリカのジョン・レノンになっていただろうとも語っている。 グリーン・デイ ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」とコメント。また最近では、「ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス」が、オアシスのヒット曲である「ワンダーウォール」に類似しているとノエルが抗議。曰く「俺達をパクるにはまだ早い」。この抗議に対して、グリーン・デイサイドからのアナウンスはされていない。また、グリーン・デイはマンチェスターでのライブでオアシスの曲をカヴァーしている。 ザ・ビーチ・ボーイズ 「連中が人気なのはAからZでロックバンドを並べた時、ビートルズの隣にあるからだ」「まあ6つくらい良い曲はあるよな」などと発言している。その中でもノエルはグッド・ヴァイブレーションを高く評価している。 レディオヘッド レディオヘッドに対しては前衛性を評価する発言やネガティブな一面に対して批判的な発言がある。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」という質問に、「彼らが何をやってるか気になる」という理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。ノエルはトム・ヨークに対し、「あんたがどれだけ"俺達は不運だ"って嘆く事に時間を空費した所で、最終的にはみんなあんたにクリープを歌って欲しいだけなのさ」とコメント(近年のレディオヘッドは「クリープ」をライヴではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言したことを受けて、トム・ヨークは「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている。他にも「間違ってれば正してくれよ。彼らは『キッド A』からずっと同じレコードを作ってないか?」、ダウンロード販売においてファンが値段を決める方法をとられた『イン・レインボウズ』に対して「あれは低予算のアルバム販促活動にしか見えなかった、彼らは反逆者やアウトサイダーを気取るのがお望みなんだろう」、「俺は彼らのCDは持ってない。でもライブに行くたびに打ちのめされるよ」などと発言。 基本的にはレディオヘッドを高く評価しており、「00年代以降イギリスで一番重要なバンドはオアシスではなくレディオヘッド」「レディオヘッドは常に自分達の領域を広げてるバンドだ。俺達はそういうバンドとは正反対なんだ。でもレディオヘッドはそういうやり方でうまくいってて、だから俺は彼らを高く評価するんだ」等と評している。 マムフォード・アンド・サンズ インタビューで「マムフォード・アンド・サンズは好きだ。俺もあんな曲を書いてみたい」と賛辞を送った。フロントマンのマーカス・マムフォードも、パブでノエルと偶然会った際に激励されたことを明かしている。 カサビアン 比較的若手バンドに対して辛口な評価が多いギャラガー兄弟が揃って絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。名古屋で開催されたサマーソニック05も含め過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーはプライベートでも親交がある。 アークティック・モンキーズ カサビアン同様、ギャラガー兄弟が評価する若手バンドの一つ。モリッシー(元ザ・スミス)が、「アークティック・モンキーズが成功するのは早すぎる」と発言した際、ノエルが「最初の1、2年でこれだけ騒がれるとそれだけで彼らを嫌う奴が出てくるんだよ。でも彼らにはどうしようもない事だろ」等と擁護し、モリッシーは謝罪した(ただしノエルはモリッシー及びザ・スミスのファンであり、モリッシーの発言内容を批判しただけである)。 ケミカル・ブラザーズ 「セッティグ・サン」と「レット・フォーエヴァー・ビー」でボーカルを担当した。「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。"Setting Sun"は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思ってる。リアムが聞いたら怒るだろうけどな」と語っている。 ポール・マッカートニー ティーンの頃からビートルズを熱心に聴き、同じアイルランド系、労働者階級出身のミュージシャンということもあり、彼を含めたビートルズを敬愛している。1996年にポールと対面した際、「俺が今日交通事故で死んでも、世界一幸せな人間として死ねる」と発言した。とはいえ近年のポールの作品に対しては「史上最高のシンガーソングライターだがここ四半世紀は肥溜めしか作ってない」と酷評しており、後日ポールに直接その発言を掘り返されて突っ込まれたノエルが苦笑する一幕があった。 ザ・コーラル かねてから彼らを「いいバンド」と評している。コーラル側は当初「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングはノエル所有のスタジオで行われるなど、結局仲は良い。ノエルはお気に入りのアルバムとして、「シングル・コレクション」を挙げている。 プロディジー 2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。プロディジーのリーダー、リアム・ハウレットの妻はリアムの元妻・ニコールと実の姉妹であり、その為に親交が深い。 ポール・ウェラー 2ndアルバム『モーニング・グローリー』収録の「モーニング・グローリー」「シャンペン・スーパーノヴァ」ではウェラーがギターを演奏し、『ザ・マスタープラン』収録の「ザ・スワンプ・ソング」ではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目『スタンリー・ロード』にゲスト参加。互いに度々ライヴでサポーターとして登場したり、音楽雑誌で対談を行ったり、テレビ番組で共演するなど多岐に渡って交流している。ちなみにウェラーは、オアシスの曲では「ハーフ・ザ・ワールド・アウェイ」がお気に入りであると公言している。また、弟のリアムと共にザ・ジャムの大ファンであり、別々の曲でトリビュートアルバムにも参加している。 トラヴィス トラヴィスのデビュー時、ノエルは彼らのファンであると公言していた。1997年にオアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴではノエル自身がゲスト参加したことがある。リアムは「トラヴィスは見上げたバンドだ、俺は大好きだよトラヴィス、曲もすごくいいし。あいつらの事はライバルとは思ってない。絶対違うね、偉大なバンドではあるけど」と話している。アルバム『ザ・マン・フー』収録曲の「ライティング・トゥー・リーチ・ユー」では歌詞に「ワンダーウォール」という単語が登場し、イントロも「ワンダーウォール」に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから、後にノエルの公認を受けている。 ベイビーシャンブルズ ノエルは懇意のピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』のワールドツアー(2005年)のオープニング・アクトに起用した。しかし、ピートがパリのファッション・デザイナーの誕生日パーティに出席したためサポートに現れず、直前で出演をキャンセル。ピートはフランスで当時の交際相手であるケイト・モスと大喧嘩しており、足止めを食らっていたという。結局ザ・ズートンズが代役を務めた。 エルトン・ジョン ノエル曰く「牛乳1本でさえ自分で買いに行かない重要人物」。このノエルの悪口に対し、エルトンは当時発売されていたベストアルバム『ストップ・ザ・クロックス』の話題を踏まえつつ、「オアシスのベストアルバムがチャート1位を取れなくて本当に嬉しい。ノエルの奴に批判されて以来、オアシスには我慢ならないんだ。牛乳ぐらい1人で買いに行ってるさ。あいつは本当に間抜けだよ。『サンダーバード』のパーカーにそっくりだろ? 最大のヒット曲3つが抜けてて何がベストだ。奴らには1位の資格は無い」と反発していた。しかしながら近年では、エルトンがチケット転売に関して意見を述べた際にはノエルも賛同するコメントを残したりする一方、エルトンは自身のラジオ「ロケット・アワー」にてノエルの「フー・ビルト・ザ・ムーン?」を「これは聴くのをやめられない、聴く人を幸せな気分にしてくれるアルバムの1枚だよ」と絶賛している。 レディー・ガガ ノエル曰く「レディー・ガガなんてどうでもいいよ。肉のドレスとか変な行動で注目を集めてばかりで、音楽はどうなってるんだ? 娘が家で彼女のアルバムをよく聞いてるけど、マドンナのライト版だ。マドンナはハードコアだった。音楽も含め、すべての面で先端的だったよ。20年後、人はレディー・ガガの音楽を聞くと思うか? 彼女は奇人や変人のために立ち上がってるつもりかもしれないが、まともな音楽を残す事はできないよ」 エミリー・サンデー ノエル曰く「エミリー・サンデー? あんなのばあちゃん向けの音楽じゃないか。わけわからん」。ノエルのこの発言を知ったエミリーは、自身のツイッター上で「ノエル、ありがとう」と皮肉を込めて反撃。そのツイートにはファックサインを出している老女の写真が一緒に添えられていた。なお、このコメントの際には、パロマ・フェイスのことを「パロマ・フェイス?頼むよ。誰が彼女がスターだなんて判断したんだ?」と一刀両断している。 AKB48 2012年5月25日の『ミュージックステーション』で共演し、その後のブログで「俺と共演したこの日の日本のアーティストのうちのひとつがAKB48という出来合いの女子グループでね。これがまた30人くらいのグループで全員が13歳から15歳くらいでさ。すんげえ(自分が)年老いた気分にさせられたよ」と綴った(因みに実際 出演した人数は22人で、平均年齢は20歳)。その2か月後のインタビューでは「いや、かなり異様な体験だったよ。48人のティーンエイジャーに囲まれて座ってんだぜ。マジかよ、って感じだったな。日本には何回も来てるし、そもそも日本のクレイジーなところが好きだしさ。というか、日本に来る欧米人は、そういう異様さというか、ヘンテコなところが大好きで、だから日本に来るんだよ。友達とかに、『日本って、どんな国なの?』と訊かれると、『ファッキン狂ってるよ! メンバーが48人もいる女子アイドル・グループがいるんだぜ』、『ワオ!』ってなるんだ。『でさ、その48人のうち、だれがリード・ヴォーカルを取るか、ファンが投票するんだぜ。でもって、その48人と一緒に、歌番組にこの俺が出たんだよ!』みたいなさ」と笑いながら語っている。 アデル ノエル曰く「最近じゃよく訊かれるトピックはアデルだね。アデルについて俺がどう思うか知りたいやつがいるんなら、ファッキン教えてやるよ。それはそうお願いされてるからとか、そういうことじゃなくて、世の中で盛り上がってる事についてはいつも興味津々だからなんだ。アデルについてはなんであんな騒がれてるのかさっぱりわからないんだ。アデルの音楽は好きじゃないんだ。なんかおばあちゃん向けの音楽だろ、あれって」と2015年12月にオーストラリアのカルチャー・サイト、ミュージックフィーズのインタヴューで語っている。翌年の2016年にはGQ誌とのインタヴューで彼女についてどう思うか問われると、「アデル? おれはファンじゃないね。彼女の曲はいつも俺が朝コーンフレークを食べようとしている時にかぎってラジオから流れてくるんだよな。『おはよう(“Hello”)』だって? ほんと、勘弁してくれよ」と語っている 。 デヴィッド・ボウイ 影響を受けたミュージシャンの一人。オアシス時代にはヒーローズを自らのボーカルでカバーし、CDシングルに収録した。ボウイが2016年の1月に亡くなった際に、自身のTwitterでボウイとのツーショット写真を載せ、「俺の人生最高の瞬間のひとつさ。だけど、少し若すぎてそのありがたみがしっかりと分かってなかった事を後悔してるよ」 と追悼した 。 ザ・フー 影響を受けたバンドの一つで、彼らの伝記映画『アメイジング・ジャーニー』にコメント出演した際には「ザ・フーの事はいくらでも語れる」と言い切った。オアシス時代にはマイ・ジェネレーションをライブで頻繁に演奏しており、その録音をCDシングルにも収録した。2000年、ザ・フーがロイヤル・アルバート・ホールで開催したライブの無法の世界にギターとコーラスでゲスト参加し、始終笑顔でプレイしている。後にオアシスに参加することになるザック・スターキーはザ・フーのドラマーでもあり、ドラムはかつてその席にいたキース・ムーンから教わっている。 ABBA ノエルのやっている音楽とは異なるジャンルだが、「俺もああいう曲を書ければいいのに」「バレずに済むならパクりたい」と公言するほどの大ファンである。また、曲だけではなくステージでのパフォーマンスも評価している 。
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