ル・マン24時間レース
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日本での中継
日本では、株式会社マクランサ代表の林正史(株式会社童夢代表の林みのるの実弟)の企画により、1979年にTBSによる2時間番組「ルマン栄光への24時間」が全国放送された。同じく、林正史の企画・プロデュースにより1982年から1986年までテレビ朝日がダイジェスト版を放送し、 1987年から2003年まで中継を行っていた。2004年と2005年は、CS放送のスカイパーフェクTV!でレース前後を含めた25時間完全生中継、スポーツ・アイ ESPN(後のJ sports ESPN)でも部分的に中継を行っていた。
2006年から2008年までは、CS放送のG+でダイジェスト版が放送された。2012年以降はBSスポーツ専門チャンネルのJ SPORTSがスタートから8時間とゴールまでの6時間の計14時間[注釈 4] の生中継を実施。さらに2017年には念願だった完全生中継を25時間30分に渡って実施されることになった[20]。また、J SPORTSの契約者向けにスカパー!オンデマンドでの24時間ライブ配信を実施。2012年からは、日経CNBCが現地取材もとにした特別番組を放送。現地取材へは、谷中麻里衣が出向いている。
テレビ朝日のテレビ中継
毎年原則として、スタート直前の日本時間土曜22時59分(現地時間15時59分)フォーメーションラップがメゾンブランツェに到達する頃放送開始、放送開始直後に出場する全マシンのスターティンググリッドがテロップで紹介され、スタートから2周ほどした後オープニングと提供クレジット、そこから1時間程中継し(ここまでがパート1とされた)日曜午前0時過ぎ頃にニュース等による中断を挟み、その後午前2時過ぎまでパート2を中継し、ニュース等での中断を挟んでパート3を午前5時まで(年によっては4時までの場合もあった)放送。その後日曜午後にパート4を1時間半程放送(2003年は放送されず)。ここまでが生中継。ゴールとなるパート5はディレイ録画で日本時間日曜23時に放送開始し1時間半程中継、合計約9時間にも及ぶ長時間中継であった。
なおサッカー欧州選手権開催年にはスタート/ゴールが現地時間15時と1時間早まるため、日本でのスタート時の放送は録画であった。日本時間土曜23時の放送開始で、録画のためスタート進行はダミーグリッドからフォーメーションラップがスタートする場面から放送が開始された。
それぞれの時間帯がパートで分けられており、それに沿って実況するアナウンサーは交替していた[注釈 5]。
競合する同業社が同じ番組を提供するということは当時の広告業界ではタブーとされていたが、非常に長時間に及ぶこの番組を成立させるためには競合する自動車メーカーや、タイヤメーカーの協力が必要不可欠であった。企画者の林正史が各メーカーを説得して廻り、日本ではじめて競合社が提供する番組が誕生した。
- 実況
- 東出甫(1987年)
- 朝岡聡(1987年)
- 森下桂吉(1987年、1994年)
- 三浦智和(1988 - 91年) - マツダの日本車初制覇を実況。
- 松苗慎一郎(1988 - 93年、1995 - 96年) - 関谷の日本人初優勝を実況。
- 大熊英司(1991 - 92年) - この後は、スタジオ司会を多く担当している。
- 田原浩史(1993年、1995 - 2003年)
- 飯村真一(1994年)
- 国吉伸洋(1997 - 2000年、2003年) - 2002年はスタジオ司会を担当。
- 中山貴雄(2001 - 02年)
- 解説
- 熊谷睦(1987 - 1990年、1992年) - 『オートスポーツ』編集長(当時)、91年はスタジオ解説を担当。
- 赤井邦彦(1987年)- モータージャーナリスト、ピットレポートも併せて担当した。
- 津々見友彦(1991 - 95年)- 90年はスタジオ解説を担当。
- 由良拓也(1995 - 2003年) - 長年に渡って解説を担当、参戦しているマシンを分析する「由良拓也が斬る!」というコーナーを持っていた。1995年はピットレポートを担当。
- 郷和道(2001年)
- ピットリポーター
- ビル大友(1988 - 89年)
- 大石吾朗(1988年)
- 粕谷俊二(1993年、1996 - 2001年)
- 服部尚貴(1996年)
- 近藤真彦(1997年)
- 影山正彦(2002年)
- 飯田章(2003年)
- 現地リポート
- ゲスト解説
- 現地ゲスト
- 松尾雄治(1987年) - 実況席にゲストとして登場。
- 村上龍(1989年)
- 川島なお美(1990年) - 実況席にゲストとして登場。
- 酒井法子(1992年) - ピットバルコニーゲストとして登場。
- 岡本佳織(1994 - 1995年) - ピットリポートを担当した。
- MANISH(1996年) - この年のテーマソング(後述)を担当し、ピットバルコニーゲストとして登場。
- 伊達公子 (1999年) - ピットバルコニーゲストとして登場。
- 松岡充(SOPHIA)(2001年) - MANISHと同様、この年のテーマソング(後述)を担当。
- スタジオゲスト
- スタジオ司会
- 三好康之(1987 - 88年)
- 大熊英司(1989 - 90年、1993 - 97年、1999 - 2001年、2003年)
- 田原浩史(1991 - 92年)
- 中山貴雄(1998年)
- 国吉伸洋(2002年)
- 高橋享子(1990年)
- 佐藤紀子(1991年)
- 川瀬眞由美(1992年)
- 木下智佳子(1993年)
- 大下容子(1994 - 95年)
- 高橋真紀子(1996年)
- 下平さやか(1997 - 99年)
- 萩野志保子(2000年)
- 徳永有美(2001年)
- 石井希和(2002 - 03年)
- 歴代テーマ曲
1987 - 89年はタイアップ曲ではない(オープニングに曲名、アーティスト名の表示がない)。また1987 - 88年は提供スポンサー紹介時はテレビ朝日スポーツテーマが流れた。 また、1997年 - 99年のテーマ曲は、テレビ朝日で中継されていたインディ500中継とのダブルタイアップとなっていた。
- 1987年 - Jerry Goodman「Rockers」
- 1988年 - 3「Talkin' Bout」
- 1989年 - Genesis「Behind The Lines」
- 1990年 - 高中正義「Can You Feel It」
- 1991年 - 外道「龍神 〜空に舞う (1991 Version)」
- 1992年 - DIMENSION「Out Of Wind」
- 1993年 - FORCE「HUNAUDIERES」
- 1994年 - FORCE「DISTANT VIEW」
- 1995年 - DIMENSION「Land Breeze」
- 1996年 - MANISH「It's so Natural」
- 1997年 - ケン・イシイ「DRUMMELTER」
- 1998年 - CORNELIUS「Count 5,6,7,8」
- 1999年 - LUNA SEA「G.」
- 2000年 - 東儀秀樹「COOL RUN」
- 2001年 - SOPHIA「KURU KURU」
- 2002年 - SOPHIA「ROCK STAR」
- 2003年 - B'z「IT'S SHOWTIME!!」
ラジオ中継
1990年、1991年に2年間、文化放送で中継された。
- 実況
- 扇一平(1990年 - 1991年)
注釈
- ^ 「ル・マン24時間(24 Heures du Mans)」に改称されたのは1937年からである。
- ^ ピットのガレージを拡張したため、2016年より最大59台。
- ^ ラリーやヒルクライム競技等から徐々に緩和された。完全に解禁する法案が2007年6月に下院を通過したが、上院で否決され2009年に撤回された。
- ^ 2013年以降。J SPORTSが放送開始した2012年はゴールまでの4時間だったため合計12時間、また2015年は直前に野球中継「オリックス対阪神」戦が放送された関係でゴールは5時間だった。
- ^ 主にスタートを担当したアナウンサーは日曜午後の放送とゴールの放送を担当し、中断から朝4 - 5時までのパート2 - 3は別のアナウンサーが担当する傾向にあった。
出典
- ^ “両手両足を失って、彼は「ル・マン」に挑み、見事に完走した”. WIRED (2016年6月20日). 2017年4月17日閲覧。
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.40、グランプリ出版。
- ^ 1952年のル・マン24時間(英語版)
- ^ 二玄社刊・世界の自動車「メルセデス・ベンツ」戦後編
- ^ 『死のレース 1955年 ルマン』p.214。
- ^ 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.42。
- ^ 『ワールドカーガイド8ロータス』p.131。
- ^ "フェラーリが2015年ル・マンへ? WECプロトタイプ参戦計画". Topnews.(2013年8月2日)2013年11月14日閲覧。
- ^ マツダ公式サイト内の、同年C2クラスで優勝したBFグッドリッチマツダローラT616
- ^ トヨタ、ル・マン24時間レース3位入賞も「結果は厳粛に受け止めなければ」
- ^ 【ル・マン24時間2014】中嶋一貴選手がル・マン初の日本人ポールポジションを獲得!
- ^ トヨタ初勝利の夢、残り3分で破れる。ル・マン24時間はポルシェ2号車が大逆転勝利
- ^ 当の5号車はのちにチェッカーを受け、周回数では2位ではあるが最終周回にかかった時間が規定(首位でチェッカーフラッグを受けた車両より6分以内にチェッカーフラッグを受けた車両を完走扱いとするルールが存在する)を超えたため完走扱いになってなく失格またはリタイア扱いとなる’この時はリタイアの届出を行わなかったため規定違反で失格となった。
- ^ [2019.6.17中日新聞朝刊]
- ^ 元WGPライダーの青木拓磨が2020年のWECル・マン24時間レースに出場,autosport web,2018年10月10日
- ^ 「障害あっても夢はかなう」 車いすレーサーの青木拓磨がルマン24時間に初参戦 青木3兄弟の次男,上毛新聞,2021年8月21日
- ^ “【決勝結果】2021年WEC第4戦・第89回ル・マン24時間レース/7号車トヨタが総合優勝 | ル・マン/WEC | autosport web” (日本語). AUTO SPORT web (2021年8月22日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “D’station Racing、ル・マン24時間は目標の完走果たしクラス6位「本当に素晴らしい結果」と藤井誠暢” (日本語). jp.motorsport.com. 2022年5月22日閲覧。
- ^ “D'station Racing、2022年のWEC/アジアン・ル・マン参戦体制を発表。初年度以上の結果目指す | ル・マン/WEC | autosport web” (日本語). AUTO SPORT web (2022年1月12日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “最後の最後まで何が起こるのか分からない…24時間筋書きのないドラマ「ル・マン24時間レース」J SPORTSで初の完全中継が決定!”. J SPORTS (2017年6月2日). 2017年6月13日閲覧。
- ^ 川喜田研 (2016年6月20日). “トヨタの悲願達成ならず。中嶋一貴が語ったル・マン24時間のラスト3分”. web Sportiva. 2017年4月15日閲覧。
固有名詞の分類
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