関連・関係人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:41 UTC 版)
関連リンクが存在する人物の詳細は当該項目を参照。 平沢裕一(平沢You1) - 平沢進の兄。グラフィックデザイナーとして凍結までのP-MODELのアルバムジャケットやプロモーションビデオを手掛けた。マンドレイク時代は演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率入り、P-MODELのメジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」リーダーを務めた。2013年4月より茨城県つくば市にてニューウェーブカフェバー「GAZIO」を経営していたが、2015年11月をもって閉店し、以降は不定期に、イベント「Cafe Gazio」や「ゆるGazi」などを開催している。CDやグッズの通販サイト「GAZIO WEB SHOP」も運営している。 鎮西正憲 - 平沢進の音楽作品、ライブイベントに長年携わっている音響技術者(サウンド・エンジニア)、レコーディング・エンジニア。平沢が参加した今敏の映画作品「千年女優」、「パプリカ」のサウンド・エンジニアも担当。平沢曰く、「ヒラサワの音楽作品には絶対に欠かせない存在」としている。2018年に脳溢血で倒れ、2019年に言語障害が残りながらも現場に復帰。2022年の『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』では、長年担当を躊躇していたPAエンジニアを担当。「復帰された鎮西さんは、これまで以上に笑顔とチャレンジ精神の溢れる方に進化された」と平沢は語っている。 中野泰博 - 中野ブロードウェイ3Fのレコードショップ『ショップメカノ』店長。FC会報でのライブレポートや、万国点検隊の隊長を務めたお礼として、平沢は核P-MODELのメカノ限定シングルを提供した。 高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」や作品のライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め、『初期三部作』のリマスター盤に解説を寄稿、ベストアルバム『Archetype』の選曲にも携わった。 Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。当時シンセサイザー教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理を、講師だった平沢がプロデュースした。1982年にデビューしその後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストの鈴木KCが参加し、2011年に正式加入。2018年にKCが逝去 し、再びソロユニットとなっている。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活動している。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加。2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している。2022年3月開催予定のインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に折茂が"シトリン"役として参加。 村田語(カタル) - パンクバンドニューロティカのメンバー。かつて平沢がプロデュースしたバンドTHE LOODSのメンバーであった。その時平沢がP-MODELの菊池達也が使用していたベースを譲り渡したものの、後にライブで壊してしまっている デヴィッド・ボウイ - マルチ・アーティスト。1979年から1980年に知り合いの京都宅に滞在していた事で知られ、P-MODELの京都公演に観客の一人として参加。ライブ後に楽屋にボウイは訪れ、メンバー達と語らった。平沢は黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7(エレキギター)にサインをボディー裏側に書かれたが、このギターはその後行方不明となっている。 ヴァン・ヘイレン - アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。当時P-MODELはワーナーの洋楽部門に所属しており、対バン希望について聞かれた際、テクノ以外のバンドと演りたいとして同じワーナーの洋楽部門所属のバンドのリストからヴァン・ヘイレンを希望した。1980年の来日ツアーをP-MODELが前座を務め、日本武道館での演奏も行った。楽屋でエドワード・ヴァン・ヘイレンとマイケル・アンソニーと仲良くなり、楽屋でP-MODELの曲を演奏した。平沢曰く、「ギターの人(エディ)はシャイでいい人」「ドラムの人(マイケル)は不思議な面白い人」だったと語っている。 今敏 - 漫画家、アニメーション監督。高校時代からの平沢のファンでもあり、表現スタイルに最も影響を与えたのは平沢の音楽であると語っていた。以降は『パプリカ』、『妄想代理人』の音楽も平沢が担当。平沢から先に作中曲を提供してもらい、それを聴きながらコンテを起こしていた。2010年、平沢も参加予定であった新作『夢みる機械』制作中に膵臓がんで逝去。2010年11月15日、平沢は「今敏監督を送る会」に参加。今が自身をなぞらえて最も気に入っていた黄鉄石を受け取り、自身の引き出しに閉まっている。 秋元きつね - 丁稚奉公と称して80年代後半から90年代前半にかけてツアーライブや作品に参加。平沢を「師匠」と呼んでいた。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。1999年にスクエアエニックスよりゲーム『せがれいじり』を発表。2014年、糖尿病の悪化により逝去。 三浦建太郎 - 漫画作品『ベルセルク』の原作者。学生時代からの平沢のファンであり、漫画制作中も楽曲を流しながら作業していた。ベルセルクのアニメ劇伴を平沢が担当するようになり、以降20年来の付き合いとなる。ゲーム『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』主題歌の「Sign」、映画『ベルセルク 黄金時代篇』の主題歌「Aria」は三浦が作成した俗語一覧から平沢が作詞・作曲を行った。2021年5月20日、 大動脈解離により急死。同日、平沢は自身の公式ホームページに「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を掲載した。 戸川純 - 1983年に結成したヤプーズのリーダー。1991年には平沢がヤプーズのサポートに参加。同年にはTV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオⅡ」にヤプーズで出演した。また、1990年~1994年にかけて戸川が平沢のライブにサポートメンバーとして参加している。平沢は「戸川純が居れば、下手な女性活動家は必要ないのではないか」と戸川の楽曲と活動姿勢をリスペクトしており、雑誌上やTVで音楽やジェンダーに関する対談を行っていた。 砂原良徳 - テクノミュージシャン、マスタリング・エンジニア。電気グルーヴ加入前に平沢ソロライブ「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」のサポートメンバーに参加し、電気グルーヴ加入後も雑誌「WHAT's IN?」上で対談を行っていた。 巻上公一 - P-MODELと共に「テクノ御三家」と称されたヒカシューのリーダー。1990年に行われた平沢主催のライブイベント「ERROR FORCE」や2016年12月の「ヒカシューの絶景クリスマス」にて共演した。 ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天のリーダー。80年代後半には初期P-MODELのコピーバンド「此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド」を平沢と共に結成した。また、2013年「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー/生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念・新宿ロフト4days」に平沢がゲスト出演し、2016年12月の「ヒカシューの絶景クリスマス」には「キューピッター」として参加した。 大和久マサル - 3DCGムービーの制作やゲーム系デザイン、映像ディレクションなどを手がけている。1998年にTOWN-0 PHASE-5のMV制作を、1999年にP-MODELの論理空軍のMV制作を担当。以降、平沢のMV制作の他、映像作品の編集やインタラクティブ・ライブの3DCGも担当している。自身のブログ上にて過去の資料や文書一覧を公開している。2012年、2013年には初音ミクのオリジナルMVも発表している。 PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。1stアルバムはヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュースを行った。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した。 中井敏文 - 1993年に開催されたP-MODELコピーバンド大会の初代優勝者。その後平沢進のアルバムやビデオのデザインを担当する傍ら、小西健司の4-Dや中野テルヲのスタッフとしても尽力していた。近年の平沢進作品のアートワーク全般を手がけている。2021年5月24日には平沢の自社レーベル「TESLAKITE」よりアルバム2作品がリリースされた。 会人 - 読み方は「EJIN」。平沢進の2017年のライブ「第9曼荼羅」よりサポートメンバーとして参加している、謎の二人組。 それぞれ松(SSHO)、鶴(TAZZ)と名がある。2019年7月にはペストマスクを装着した「白会人」が2018年の核P-MODELのライブ「回=回」に参加。2019年、会人がフジロックへの出演を模索しており、そのことを知った平沢はそれを支援する形で、平沢がゲスト出演する「会人(EJIN)+平沢進」という形式で企画書をSMASHに提出したところ、「平沢進+会人(EJIN)」という形式であればより広い会場を提供するとオファーされた為、ユニット『平沢進+会人(EJIN)』としてフジロックフェスティバル'19に出演した。同年11月のバトルスの来日ツアーには同ユニットにサポートドラマーのユージ・レルレ・カワグチと共に、オープニングアクトとしてツアーに帯同した。2021年にはルベドマスクを装着した正体不明の二人組「ルベダリアン会人」としてユージ・レルレ・カワグチと共に、『平沢進+会人(EJIN)』名義でのライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』に参加。同名義で同年8月のフジロックフェスティバル'21の最終日の大トリとしてWHITE STAGEに出演した。2022年3月開催予定のインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』にもサポートとして参加。 中村健寿 - 茨城県つくば市のヴィーガンラーメン専門店「KENJUキッチン」の店主。「KENJUキッチン創業三周年感謝祭」では平沢You1が創業三周年記念グッズであるランチョンマットのデザインを行った。また、平沢進と対談収録がYoutubeチャンネルにて無料公開された。 ベネディクト・シュナイダー(Benedykt Szneider) - 2014に設立されたポーランドのゲーム会社「REIKON GAMES」のコンセプトアーティスト、クリエイティブ・ディレクター。長年平沢のファンであり、自身らが当時開発していたサイバーパンクゲーム『RUINER(ルイナー)』のゲーム内にて平沢の楽曲を使用するアイデアを持ち出し、ゲームとマッチするとわかり楽曲提供を平沢の事務所に依頼。その後平沢が許可を出し、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等をゲーム内楽曲として提供。『RUINER』は2017年よりSteam、PS4、Xbox Oneにて配信され、2020年には任天堂Switchより配信並びにパッケージ版が発売された。 ユージ・レルレ・カワグチ - 小学校の音楽室にあったドラムから叩きはじめ、高校卒業と同じくしてハードコアバンド"ROSEROSE"にて活動。メジャー活動を経て現在はフリーランス。ロンドン/日本/ストリートと国内外・場所を問わずで活動するドラムソロプロジェクト(#STDRUMS)としても活動中。シェイクスピア劇団『カクシンハン』では演奏&役者出演を担当。舞台役者の横井翔二郎やナカムラルビイとも交友が深い。平沢が海外のドラマーをサポートとしてYouTubeで検索して探していた所、ロンドンの地下鉄内でのドラムパフォーマンス動画を発掘され、サポートドラマーとして呼ばれ、2019年末のバトルスの国内ツアー前座に「平沢進+会人」と共に参加。以降は2020年3月のライブ『会然TREK2K20▽03』、2021年の24曼荼羅、フジロックフェスティバル'21に「平沢進+会人」と共に参加。趣味は60〜70年代のロックレコード収集・美味しいGUINNESSビールのお店探し。キング・クリムゾンやレッド・ツェッペリン等も好み、平沢とは倍程年齢が離れているがルーツが近しい為、平沢からも「話がよく合い、会話しやすい」とされている。 ナカムラルビイ - 1996年1月10日生まれ。父親はドラムミュージシャン、俳優の中村達也。中学3年生時代に合法薬物バンド「酢酸カーミン」を発足。高校生時分には、当時のクラスメイトと「地下女子企画。」なるモツ投げ地下アイドルユニットを結成。同時期にDJも開始。2015年には、芝居方面でも表現の幅を広げ、田中要次監督作品などに出演。2019年3月には中村達也独り叩き旅にてソロサックスO.A.。同年7月、「太陽肛門スパパーン」にて『平沢進+会人(EJIN)』と同じくフジロックフェスティバル'19にてフジロック初出演。2020年、Freaky Style Locaの活動休止に伴い、説法パンクバンド「Buddhadatta」に加入。2022年3月開催予定のインタラクティブ・ライブ、『INTERACTIVE LIVE SHOW 2022 「ZCON」』に"ルビイ"役として参加。 吉田大八 - 映画監督。2013年、『桐島、部活やめるってよ』で第36回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀作品賞を始め各賞を受賞。学生時代から平沢のファンであり、「僕そのものの考え方を半分くらい作った」と語っている。2017年に三島由紀夫の小説「美しい星」の映画に平沢のソロ曲「金星」が提供されるにあたり、「CDジャーナル 2017年5月号」で対談が掲載された。 斎藤環 - 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。初期P-MODELからのファンであり、平沢とは2000年からの付き合い。2019年にはゲンロンカフェにて平沢と対談公演、配信を行った。自身のnoteでは『「平沢進」論』を寄稿している。 八木智晴 - デザイナー。回=回より平沢のステージ衣装を手掛ける。平沢は八木氏のデザインを気に入っており、私服のシャツの製作を依頼するほど。
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