P-MODEL
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P-MODEL(ピー・モデル)は、日本の音楽グループ。1979年結成、2000年より無期限活動休止中。ここでは、2004年より活動している核P-MODELについても扱う。
注釈
- ^ P-MODELとは明確に異なるものと定義されている。
- ^ 平沢側は「80年代の業界人」として名指しをしていないが、近田はクイックジャパンにて自分である事を明かしている。
- ^ テープエコーマシーンとキーボードを用いてサンプラーに似たシステムを構築したもの。当時のサンプラーは「1戸建ての家が買える」と言われた程高価であり、その後の音楽業界に「平沢進が宝くじを当てた(=当選金でサンプラーを導入した)らしい」との噂がしばらく立つ事になった。
- ^ 実際は一身上の都合で止む無く脱退となったもの。この後荒木は一時音楽活動を休止し、コンピュータプログラマーとして活動することになる。
- ^ P-MODELを凍結させた理由として、あくまでバンドという形で音楽活動を続けていきたかった平沢であるが、片腕的存在だった田中の脱退により、最終的にバンドが平沢のワンマン状態になってしまった事が主な要因であると語られている。
- ^ 実際は平沢がパニック障害の発作を起こし出演できなくなったためである。
- ^ このイベントの模様は後にテレビ放映されたが、TALBOを叩き付けるシーンはカットされている。
- ^ 公式サイトからは「風邪のため」と発表された。
- ^ 実際は「殺人的スケジュール」によってパニック障害を患っていたものと、後に新事務所設立時のコメントおよびTwitterで語っている。
- ^ 但し、ネット接続のないリスナーの為にインディーズレーベル「MAGNET」からCDでのリリースも行われた。
- ^ 高橋はオファーがあれば参加したい旨を述べている。小西も平沢が「(小西自身が)好きなだけドイツにいてもいい」と認めることを前提条件として述べているが再結成には前向きである。しかし平沢はインタビューやTwitterで再結成を否定している。
- ^ 『音楽産業廃棄物』内のインタビューにて、『メンバー全員「打倒・ピンクレディー」で行こうとしていた』と語っている。
- ^ 「LUCKY TIME」は後にIKARI名義で、ソノシートに収録された。「IKARI/NO PERSPECTIVE」を参照。
- ^ 『音楽産業廃棄物』のインタビューにて、ことぶきはトリガーを押しているだけで大半がパフォーマンスだったと語っている。
- ^ 後任である菊池は当時サポートメンバー扱いであったため、レコーディングには参加していない。
- ^ ただし、原作者のかきふらいから名前の由来に関する公式なアナウンスはなされていない。
出典
- ^ a b c d e f g Martin, Ian. P-Model Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年12月26日閲覧。
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- ^ “すべての記事一覧 - 詳細表示 - 秋山勝彦の宅録日記 - Yahoo!ブログ”. web.archive.org (2019年12月12日). 2022年1月2日閲覧。
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- ^ ボックスセット『太陽系亞種音』ファンクラブ会員限定特典「田井中貞利伝説」より。
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- ^ VHS『CG年賀状』(1989年)
- ^ キーボードマガジン 2010 AUTUMN No.370. リットーミュージック). (2010)
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- ^ ASCII. “「私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 本人に聞いてみた (5/6)”. ASCII.jp. 2020年4月13日閲覧。
- ^ a b 「P-MODEL BOX」目録(1987年)
- ^ 『来なかった近未来』(2012年)
核P-MODEL
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イラク戦争によるメディアや政治への不信感から、1年後の2004年にP-MDOELのコンセプトを軸とした「核P-MODEL」としてアルバム「ビストロン」を発表。 2004年からは、中心メンバーだった平沢がP-MODELの作風を継承したプロジェクト「核P-MODEL」として不定期に活動している。 なお、当初は平沢のソロバンドとして始まったが、2ndアルバム『гипноза』にはP-MODELのオリジナルメンバーだった田中靖美、平沢がプロデュースを手掛けたバンドPEVOよりPEVO1号が参加。 2014年に行われたライブ「パラレル・コザック」と「HYBRID PHONON」にはサポートメンバーとしてPEVO1号が参加した。その他、「パラレル・コザック」には「謎の毛糸帽の男」がスポット出演している。 2018年から2019年に行われたライブ「回=回」では、正体不明のメンバー「会人(EJIN)」がサポートメンバーとして参加している。
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