西岡による主張とは? わかりやすく解説

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西岡による主張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 23:02 UTC 版)

マルコポーロ事件」の記事における「西岡による主張」の解説

以下、要点。 まず、事実上全ての歴史家認めているように、ヒトラーが「ユダヤ人絶滅」を命じた命令書は、今日まで発見されていないそれどころか、戦後押収され戦時中ドイツ政府公文書を読むと、「ユダヤ人問題の最終的解決」という言葉は、ユダヤ人の「絶滅ではなく戦後ユダヤ人ソ連領内などに強制移住させる計画を指す用語だったことがわかる。 「ホロコースト」の内容は、戦後二転三転している。例えば、戦後しばらくの間は、ドイツ南西部ダッハウ収容所には、アウシュヴィッツなどと同様、処刑ガス室があり、使用されていたと説明されていた。ところがある時期から、ダッハウなどドイツ本国収容所ではガス室処刑行なわれていなかったという内容説明変わっている。では、ダッハウガス室に関する過去の「目撃証言」は、一体何だったのか? また、アウシュヴィッツについても、戦後間も無い時期には「ドイツアウシュヴィッツで、ユダヤ人を火に投げ込んで殺している」という話が語られていた。このような話は、今は語られなくなっている。それでは、こうした語られなくなった話の「目撃証言」は、一体何だったのか? 戦後アウシュヴィッツ公開されている「ガス室」のなかにはドイツ人用の病院前に面しているものもある。これでは死刑青酸ガス排気すると、向かい病院ドイツ人達の生命脅かされてしまう。場所と構造あまりにもおかしい。 「ガス室」の詳細検討すると、換気扇がないし、ガス素材であるツィクロンB加熱するための装置もない。 ドイツは、アウシュヴィッツ発疹チフス発生に非常に気をとがらせていた。ヒムラーは、アウシュヴィッツ収容所責任者に「死亡率は、絶対に下げなければならない」という指示出してもいた。このような命令は、言われているような「民族絶滅」と両立する命令であろうか? ドイツが最も占領地域を広げたでも、そこにいたユダヤ人400万人以下だった。それなのに、なぜ「600万人」を殺せるのか? など。 その他の理由をもって西岡アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内のガス室ユダヤ人虐殺の計画自体存在しなかった、と主張した冒頭で、著者はこう述べる。 いけにえとして捧げ、火で焼くというユダヤ教儀式を「ホロコーストと言った。これが転じて、「ナチスユダヤ人虐殺」を意味するようになったのは、ナチスドイツアウシュヴィッツなどの強制収容所ガス室作り毒ガス使って計画的に虐殺、さらにそれを焼いた――という恐ろしい話とイメージ重なったからだ。ところが、このホロコースト作り話だったという説が、今、欧米野火のように広がりはじめている。戦後五十近くもの間、語られてきたこの「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて、驚かない人はいないだろう。私自身、この話を六年前英文読んだ時には驚天動地思いしたものである。私は一医師にすぎないが、ふとした機会に、この論争知り欧米での各種文献読み漁るようになった。そして、今では次のような確信達している。--まず、日本の新聞テレビ言っていることは全部忘れてほしい。それから『シンドラーのリスト』も一旦忘れてほしい。-- 「ホロコースト」は、作り話だった。アウシュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑ガス室などは存在しなかった。現在、ポーランドアウシュヴィッツ収容所跡で公開されている「ガス室」なるものは、戦後ポーランド共産主義政権か、または同国支配し続けたソ連捏造した物である。アウシュヴィッツでもどこでも、第二次大戦中ドイツ占領地域で、「ガス室」による「ユダヤ人大量虐殺」などは一度行なわれていなかったのだ。こう断言する理由後述するが、その前に二つのことを言っておきたい。まず、第一に私は、第二次世界大戦中ドイツが採ったユダヤ人政策弁護するつもりは全くないということである。たとえ「ガス室による大量虐殺が行なわれていなかったとしても、ドイツが罪のないユダヤ人苦しめたことは明白な歴史的事実である。私はその事実を否定する者ではないことをここで明白にしておく。第二は、近年アメリカヨーロッパで、「ホロコースト」の内容疑問を抱人々急速に増えつつあるのに、日本の新聞テレビが、そのこと報道せず、結果的にそのこと日本人の目から隠しているという事実である。最近は論争断片的に伝え報道もでてきたが、そうした報道は、「ホロコースト」に疑問投げかける者は皆「ネオナチ」か「極右」であるかのような「解説」を加えている。事実は全く違う。「ホロコースト」に疑問投げかける人々中には政治的に明白に反ナチス立場を取る知識人ユダヤ人さえ多数含まれているのだ。例えば、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授子供の頃ナチス迫害を受けアメリカわたったユダヤ人一人で、日本でも有名なきわめて権威ある歴史家である。彼は「ガス室」の存在そのものまでは否定しない穏健な論者だが、それでもユダヤ人大多数は「ガス室」で殺されたのではないという「驚くべき主張をしている。このことは一九八九六月十五日号ニューズウィーク日本版でも取り上げられている。また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代属するデイヴィッド・コウルというビデオ作家がいる。彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張しているのである。「ネオナチ」の中にもホロコースト幻説」を取り上げ人間はいるだろうが、ユダヤ人中にもホロコースト」はなかったと主張する人間現われていることは注目に値する。とにかく、まず、日本の新聞テレビ言っていることは全部忘れてほしい。それから、『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きたい映画は、歴史ではないのだから。そこで皆さんにまず、何が真実であったのかを先に言ってしまおう欧米幾多研究一口に要約し結論述べ証拠はあとから示そうそうした方が、皆さんにとって後の話が理解しやすくなると思うからである。 ナチスがその政策においてユダヤ人不当な差別加え様々な圧迫加えたことは紛れもない事実である。そして、アメリカとの戦争突入した後、ドイツ本国及びドイツ支配下置かれヨーロッパ諸国ではユダヤ人対す圧迫強まりユダヤ人強制収容所収容する政策が全ヨーロッパ規模開始された。この点について、従来の説明は大筋正しい。 しかし、ヒトラー及びナチス指導部は、収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したことなど一度もなかった。ナチス指導部計画したことは、強制収容所収容したユダヤ人達を戦後ソ連領内などの「東方地域」に強制移住させることであった。彼らはこのユダヤ人強制移住計画ユダヤ人問題の「最終的解決(Endlösung)」と名付け東部戦線ソ連打倒 した後、実行するつもりでいた。 ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、ポーランド領内建設した強制収容所は、戦後ドイツソ連打倒占領した後に実行する最終的解決」のためのユダヤ人強制移住計画準備施設であった。すなわち、ナチスドイツは、アウシュヴィッツはじめとするポーランド領内収容所収容したユダヤ人達を戦争中労働力として利用し戦後ドイツソ連勝利した暁にはソ連領内ほかの「東方地域」に強制移住させる計画であった。従って、この計画とは両立し得ないユダヤ人絶滅」などをドイツ政府計画実行したことは、一度もなかった。 ところが、ソ連戦線ドイツ敗退した結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。そして、戦争末期混乱結果ユダヤ人達がいた収容所衛生状態悪化しチフス等の疾病爆発的発生起きたその結果多くの罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した戦後、それらの収容所病死しユダヤ人らの死体撮影した連合軍は、そうした病死者達の死体を「ガス室」の犠牲者あるかのように発表した読者多くは、こんな話をすぐには信じられない違いない。当然である。すぐに信じられる方がどうかしている。私も最初信じることが出来なかった。読者と同様、私も物心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィッツガス室」についてくりかえし教えられ聞かされてきた者の一人であって、あるきっかけから真実を知るまでは、「ガス室による大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度もなかったのである。しかし、ある機会から「ホロコースト」について実は論争存在することを知った私は、この論争に関する文献を買いまくり、読みまくった後、「ホロコースト」が作り話であるという確信至ったのである。「ホロコースト」に疑問投じる人々は、自分達のことを「ホロコースト・リビジョニスト(Holocaust revisionist)」、すなわち「ホロコースト見直し論者」と呼んでいる。筆者は、一医師であり歴史学専攻したわけでは全くないが、六年前一九八九年)に、ふとした機会に彼らの存在研究知りその後複数大学教授に手紙などを書いて意見求めてみた。その結果有名な国立大学教授含めた日本学者たちがそれらホロコースト・リビジョニストたちの主張を全く論破出来ないことを知り日本アカデミズムあり方疑問抱かずにはいられなくなったのであるまた、英字紙マイニチ・デイリー・ニュースの投書一九九三年五月に大論争をやったことがあるが、その時リビジョニズム正しさ確信する経験をしている。 気の早い読者は、「ホロコースト・リビジョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た人間だと思うかもしれない実際、「ネオナチ」の中にもホロコースト」の虚構強調するグループはいる。だが、「ホロコースト・リビジョニスト」の中には明らかに反ナチス立場を取る個人ユダヤ人多数含まれているのであって、「ホロコースト・リビジョニスト」を「ネオナチ」や「反ユダヤ」などというでくくることは余りに事実懸け離れている。その反証として最も明らかなものは、最初の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼べ歴史家が、フランスのポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、戦争中フランスレジスタンス運動参加して戦後、そのレジスタンス活動故にフランス政府から勲章まで授与され人物だったという事実ではないだろうか?このラッシニエという学者は、元は地理学者で、左翼思想持ち主だったため、反ナチスレジスタンス運動参加したのであるが、そのレジスタンス活動故にナチス占領下フランスでゲシュタポ捕らえられ強制収容所入れられたという人物のであるこうした主張の根拠として、著者は、例えば、こうした点を挙げる連合軍は、戦後ドイツ大量ドイツ政府公文書押収した。それによって、戦争中ドイツ政府何を検討し何を命令していたかが明らかになるからだが、その押収されドイツ公文書の量は、アメリカ軍押収したものだけでも千百トン及んでいる。ところが、戦後連合軍押収したそれらのドイツ政府公文書中にヒトラーもしくは他のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定命令した文書一枚もなかったのである実際連合国は、ニュールンベルク裁判において、ドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定命令した証拠となる文書提出していない。 これに対しては、「ナチ証拠隠滅したから文書が残らなかったのだ」とか、「ユダヤ人絶滅計画極秘事項だったので、命令全て口頭なされたのだ」とかいう反論予想されるが、そうした主張は、あくまでも仮説」でしかない事実としてそのような文書は、今日まで一枚発見されていない。もし証拠となる命令文書はあったが隠滅されたとか、命令口頭なされたとか主張するなら、その証拠提示するべきである。実際アメリカにはこのような主張をする人々がおり、それなりの証言」や談話記録会議録手紙などを引用する人すらいるが、結論から言うと、彼らが引用するそれらのものは、全く「証拠」になるようなものではない。具体的には、ニュールンベルク裁判におけるハンス・レマースの証言ハインリヒ・ヒムラー1943年10月4日行なったとされる談話筆記録、ヴァンゼー会議記録ヘルマン・ゲーリング1941年7月31日書いた手紙ベッカーという軍人サインがあるソ連発表の手等々であるが、これらの文書は、しばしばそれらの反論者たちによって「ユダヤ人絶滅命令記録したドイツ文書」として引用されるものの、よく読むと、全くそんな文書ではないのであるそれどころか、ドイツ政府計画したユダヤ人問題の最終的解決」なるものの内容が、実はユダヤ人の「絶滅」等ではなくユダヤ人強制移住であったことを明快に示す文書が、押収されドイツ公文書中に多数発見されている。それらの文書は、ポーランド作られアウシュヴィッツ収容所等へのユダヤ人移送が、ドイツ政府にとっては「一時的措置」でしかなかったことを明快に述べている。 このように虐殺に関して直接証拠存在しない著者主張する一方で強制移住示唆する文書発見されていることから、ユダヤ人問題の「最終解決」とは虐殺ではなくユダヤ人強制移住」を意味するのである、と西岡主張するまた、ホロコースト」の内容が、戦後二転三転していることも重大である、と著者はいう。例えば、ドイツ西部にあったダッハウ収容所について、戦後しばらくはガス室による処刑が行なわれていたと言われていたが、ある時期からダッハウではガス室による処刑行なわれていなかったという説明変わっている、と著者述べる。それでは、戦後しばらくの間語られていた「ダッハウガス室」での処刑に関する生々しい目撃証言」は、一体何だったのか?と著者問いかける。 そして、冒頭言及しているように、こうしたガス室に関する目撃証言などを最初に疑った歴史家が、フランスの元レジスタンスであった左翼歴史家ポール・ラッシニエであったことに触れてこうした検証は「ネオナチ」のプロパガンダなどではない、と著者述べる。 こうしてナチス政権下ドイツは、確かにユダヤ人差別迫害した、と著者結論づけるドイツは、ユダヤ人戦後ロシア強制移住させる計画立て、それを「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んでいた、と著者述べる。そして、その準備施設として作られたのが、アウシュヴィッツはじめとする収容所であったとする。ところが、東部戦線ドイツ敗退した結果そうした戦後強制移住計画頓挫し収容所衛生状態悪化する中で、発疹チフス爆発的発生起きたのだ、と著者述べる。そうした悲劇の中で病死しユダヤ人死体連合国は、ガス室などによる計画的な大量殺人犠牲者であったかの様発表宣伝したのだ、と西岡主張する。その傍証として、西岡は、当時ドイツが、「ユダヤ人絶滅」とは両立しない命令出していたことに言及するアウシュヴィッツはじめとする強制収容所戦争末期チフス発生し多く死者出したことは、明白な事実である。このことについては「ホロコースト」があったとする人々異論唱えてはいない。ナチス建設したユダヤ人収容所衛生業務当たったドイツ軍軍医による記録ドイツ西部解放直後強制収容所衛生状態観察したアメリカ、イギリス医師たちによる報告などは、一致して戦争末期から戦争直後にかけての強制収容所でのチフス発生のひどさを詳細に記録しており、このことについては論争余地はないものと思われるJ・Eゴードンなど)。問題は、ドイツそのような状況どのように対応したかであるが、ドイツ軍当局は、ユダヤ人戦時下労働力として温存たかったのであり、意図的に衛生状態悪化させたと考えさせる証拠は見つからない例えば、ドイツ政府の中でユダヤ人問題総括する立場にあったハインリヒ・ヒムラーは、チフス等の病気によるユダヤ人死亡が多いことに神経とがらせ収容所管理者たちに対し、もっと死亡率低下させよという命令出してすらいる。例えば、一九四二年十二月二十八日日付け強制収容所統括司令部アウシュヴィッツ収容所送った命令書には、こう書かれている。「収容所医師達は、これまで以上に被収容者栄養状態観察し関係者連携して改善策収容所司令官提出しなければならない」これは、ヒムラー自身言葉ではないが、この命令書はヒムラー次のような言葉引用しているのだ。「死亡率は、絶対に低下させなければならない」この命令は、言われているような「民族皆殺し」と両立する命令であろうか? なお、こうした議論の中で西岡は、いわゆる反ユダヤ主義」的な言葉一言書いておらず、イスラエルについても、全く言及していない。記事末尾以下の通りである。 ナチスドイツユダヤ系市民に対して行なった様々な差別政策弾圧は、民主主義原則対す明白な挑戦であり、その最終局面としての強制移住計画は、私自身含めて誰もが不当言わざるを得ないのである。しかし、だからといってドイツがやっていないことまでやったと強弁することは間違っているし、そのことで、戦後生まれの若いドイツ人罪人扱いされることも、こうした事実検証しようとする言論政府抑圧することも明らかに間違ったことである。詳しく述べることが出来なかったが、六百万人という犠牲者数にも全く根拠がない。そもそもドイツが最も占領地域を広げた時ですら、そこにいたユダヤ人の数は、四百万人もいなかったという指摘もある。最後に一言言っておきたいアウシュヴィッツはじめとする強制収容所生命落としたユダヤ人達の運命は、悲惨である。彼らは、その意志反して各地収容所移送され戦争末期混乱の中でチフス等の疾病によって生命落としていった。その運命悲惨さは、日本軍によって苦しめられ中国民衆や、原爆犠牲者と同様、現代生きる我々が、忘れることを許されない今世最大悲劇一つである。現代世界生きる我々は、それを忘れ権利持たない。しかし、そうであるからこそ、真実明らかにされなければならないし、虚構を語ることは許されないのである。この記事アウシュヴィッツその他の地で露と消えたユダヤ人霊前捧げたい

※この「西岡による主張」の解説は、「マルコポーロ事件」の解説の一部です。
「西岡による主張」を含む「マルコポーロ事件」の記事については、「マルコポーロ事件」の概要を参照ください。

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