西岡による批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 23:02 UTC 版)
廃刊が発表された1月30日(月)、問題となった論考の執筆者である西岡は、『朝日新聞』夕刊紙上(社会面)で、文春の一方的な決定に対する強い怒りを表明した。この『朝日新聞』夕刊に掲載された西岡の主張は文春の謝罪と食い違っていたが、新聞で西岡が語ったとされる主張は西岡自身の主張である事実に違いはなかった。 西岡は、廃刊発表の2日後の2月1日に総評会館で木村愛二企画による記者会見を開いた。一方、文春関係者の一人も廃刊が発表された1月30日の夜、西岡に電話をかけ、文春・SWCに対抗する記者会見を開くことをひそかに提案しており、当時の文春社内での社員の不満が伺える、と西岡は述べた。しかし、それらを含めた会見発言や発言内容の動揺は執筆者の責任回避と受けとめられ、記者会見の西岡の主張が在京マスメディアで好意的に受け止められることはなかった。
※この「西岡による批判」の解説は、「マルコポーロ事件」の解説の一部です。
「西岡による批判」を含む「マルコポーロ事件」の記事については、「マルコポーロ事件」の概要を参照ください。
- 西岡による批判のページへのリンク