けいけん‐しゅぎ【経験主義】
経験論
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概要
この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、イギリスを中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる[1]。
経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。
経験論における「経験」という語は、「私的ないし個人的な経験や体験」というよりもむしろ、「客観的で公的な実験、観察」といった風な意味合いが強い。したがって、「個人的な経験や体験に基づいて物事を判断する」という態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。
沿革
古代
古代ギリシア哲学においては、イオニア学派に始まる自然哲学をはじめとして、ソフィスト達、デモクリトスら原子論者、そしてキュレネ派、キュニコス派、エピクロス派などが、知覚経験を重視した経験論に分類される[1]。
これに真っ向から対立したのがピタゴラス学派やエレア派、またその影響を受けたプラトンであった。彼の主張したイデアは、仮象の現象界を超越したものであり、単に経験を積み重ねるだけでは認識し得ず、物の本質は、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって初めて認識することができるものであった。
プラトンの弟子アリストテレスは、その学問体系において両者を調停させ、統合することに成功した[2]。
中世
13世紀のオックスフォード学派は、スコラ学を批判して経験を重視し、数学や自然哲学の発展に寄与した。先駆的な研究はロバート・グロステストの「光の形而上学」であるが、その弟子のロジャー・ベーコンは、「無知の四原因」を挙げて数学の意義を強調し、実験を用いることの重要性を説いた。14世紀のオッカムは、内的な反省的直観のみならず、「具体的個別的な感性的経験をも認識の起源」として重視して「普遍は単に思考上の単なる記号にすぎない」として、スコラ学内の普遍論争において唯名論を主張し、近世の経験論を準備した。
近世
16世紀以降、フランシス・ベーコンは、ロジャー・ベーコンの「無知の四原因」を発展させ、四つのイドラを示し、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、従来のスコラ哲学で重視されてきた演繹と対比して、感覚的観察を無条件で信頼せず、実験という方法を駆使して少しずつ肯定的な法則命題へと上っていく帰納法を明示した。帰納法は、自然科学の発展を促したが、のちに18世紀、デイヴィッド・ヒュームの懐疑主義を生むことになった。
近代経験論の成立
17世紀、ジョン・ロックは、人間は観念を生まれつき持っているという生得説を批判して観念は経験を通して得られると主張し、いわば人間は生まれた時は「タブラ・ラーサ」(白紙)であり、経験によって知識が書き込まれる、と主張した。アイルランドのジョージ・バークリーやスコットランドのデイヴィッド・ヒューム、そしてフランスではエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックが観念、知識は経験によって得られるという考えをロックから受け継いだ。
功利主義
18世紀以降、ジェレミー・ベンサムは、経験を重視し、快楽と苦痛に支配される人間という冷厳な事実を直視し、倫理学において、功利性の原理を基礎に「最大多数の最大幸福」を主張した。「ある行為が道徳的に善いか悪いかの判断基準は、その行為が人々の幸福を全体として増大させるか否かにある」としたのである。
現代
ヘーゲル学派の台頭
ベーコンやロックによって打ち立てられた経験論の考えはバークリーを経てヒュームに流れ込み、ヒュームは経験論的な発想を極限まで推し進めてその帰結として懐疑論に陥り、そして18世紀以降、カントの批判哲学によって大陸合理論と総合された。経験論は、ドイツ観念論の成立によって衰退し、ヘーゲル学派の台頭を招き、イギリスではケンブリッチヘーゲル学派を形成した。
現代経験論
近代以降においては、現象主義、実証主義、論理実証主義(論理経験主義とも)などが経験論の一種として生まれ、特に論理実証主義は、経験に基かず経験的に検証や確証ができない形而上学的な概念や理論を痛烈に批判した。経験論は、我々の理論や命題そしてそれらの真偽や確実性の判断などは、直観や信仰よりむしろ世界についての我々の観察を基礎に置くべきだ、とする近代の科学的方法の核心であると一般にみなされている。その方法とは、実験による調査研究、帰納的推論、演繹的論証である。
現代の科学哲学における経験論の重要な批判者はカール・ポパーである。ポパーは「理論はしばしば誤ることがある経験的・帰納的な仕方(cf. 帰納、自然の斉一性)で検証されるべきではなく、むしろ反証のテストを経てその信頼性が高められるべき」として反証主義を唱えた。
主な論者
脚注
出典
参考文献
- 杖下隆英「経験論」(Yahoo!百科事典)
- 一ノ瀬正樹『功利主義と分析哲学』(2010年、日本放送出版協会)
関連項目
外部リンク
- Rationalism vs. Empiricism (英語) - スタンフォード哲学百科事典「合理主義 vs 経験主義」の項目。
- Empiricism (英語) - ディクショナリー・オブ・フィロソフィー・オブ・マインド「経験論」の項目。
- Empiricism (英語) - Skeptic's Dictionary「経験論」の項目。
- 『経験論』 - コトバンク
- 『イギリス経験論』 - コトバンク
経験主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:19 UTC 版)
経験主義は実在論の一種であるが、数学がアプリオリに知られうるということを全く否定するものである。経験主義は、ちょうどすべての他の科学の事実がそうであるように、我々は経験的な探求によって数学的事実を発見する、とする。経験主義は、20世紀初頭に唱導された古典的な3つの立場とは別に、同世紀中葉に最初に成立した。ただし同様の見解は先駆的にはジョン・スチュワート・ミルが提起していた。ミルの見解は広く批判された。なぜなら、その見解に従えば、「2 + 2 = 4」のような言明でも不確実で偶然的な真理にすぎず、2個の事物が2組合わさると4つとなることを観察することによってしか学ぶことができないものとされてしまうからである。 クワインとパトナムによって定式化された現代の数学的経験主義の主な論拠は、不可欠性論法(英: indispensability argument)である。これは、数学は全ての経験科学にとって不可欠であり、もし我々がその科学によって記述される現象の実在性を信じたいのであれば、我々はその記述のために必要とされるそれらの事物の実在性もまた信じなくてはならない。つまり、電球があのように振舞うのは何故なのか述べるために物理学は電子に言及しなければならないのだから、電子は実在しているはずである。科学がその説明を提供するのに数について語る必要があるのだから、数は実在しているはずである。クワインとパトナムの哲学全体からは、これは自然主義的な議論である。この立場は数学的対象の存在を経験の最善の説明として論じ、そのようにして、数学からそれを他の科学から区別しているものを剥ぎ取る。 パトナムは「プラトニスト」という言葉を、いかなる本当のいみでの数学的実践にも必要とされない特定の存在論を示唆する言葉として、強く拒否した。彼は一種の「純粋な実在論」(英: pure realism)を擁護した。それは、真理についての神秘的な考え方を拒否し、数学における準経験主義を大いに受け入れるものであった。彼は、「純粋な実在論」という言葉を生み出すことにかかわった(後述)。 数学についての経験主義的な見解へのもっとも重要な批判は、ミルに対して提起されたものとおおよそ同じである。もし数学が他の科学と同じだけ経験的ならば、そのことは数学の結果も他の科学の結果と同じだけ誤りやすく、同じだけ偶然的であることを意味している。ミルの場合は経験的正当化は無媒介的になされたが、クワインの場合は間接的で、科学理論全体の整合性(エドワード・オズボーン・ウィルソンのいうところのコンシリエンス)を通してなされる。クワインが指摘するところでは、数学が完全に確実なようにみえるのは、数学が演じている役割が我々の信念の網の非常に中央にあるからであり、それを修正することは我々にとって不可能ではないまでもとてつもなく困難だからである。クワインとゲーデルのアプローチの欠点をそれぞれの面から克服しようと試みる数学の哲学については、ペネロプ・マディー (Penelope Maddy) の著書『数学における実在論』Realism in Mathematicsを参照せよ。
※この「経験主義」の解説は、「数学の哲学」の解説の一部です。
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