素質・取り口
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均整のとれた体格をしており、足腰が強かった。また前述の通り様々なスポーツを経験しているため、高い運動神経を持ち、師匠によると入門当初から目立っていたという。 左四つ得意となっているが、差し身にはこだわらず、左右からのおっつけを生かした押し相撲を見せることが多い。立合いでのかち上げやのど輪も強く、若手時代はむしろ突き押し中心であった。また勝負勘にも長け、速攻相撲を見せる事もしばしば。うっちゃりも得意で、相手は右の上手を掴まれたら土俵際に気をつけなければいけなかった。ただし膝を痛めていることからうっちゃりの頻度は減り、本場所の土俵では2011年7月場所を最後にうっちゃりでの白星が無くなった。 玉ノ井親方は相撲が大き過ぎるのが弱点で、もう少し緻密な攻めが出来れば十分幕内で定着できると評していた。 左膝の怪我が慢性化していた時期があり、2012年7月場所にサポーターを外して本場所の土俵に上がったことが確認されるまで4年もの間において取組中に装着されていた。 年齢を重ねてからも立合いの威力は目立った低下を見せておらず、2016年5月場所7日目の対戦相手である宇良はその取組後に「今日は自分の作戦というよりも(相手の)かちあげに気をつけた感じ。若干かすったけど。かちあげを食らうか、食らわないかの勝負。食らったら死んでましたよ」とコメントしている。 立合いについては2014年1月場所14日目の大砂嵐戦で不成立が3度あったことで相手と共に注意を受け、その時の様子を審判部長の伊勢ケ濱が「北太樹はもともと合わせづらい」と評している。その後も立合いできちんと手を付かないことから、2016年10月28日に行われた土俵祭りの後に師匠の山響が友綱審判副部長から注意を受けた。
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素質・取り口
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立合いから諸手で突いて、のど輪(特に右が強い)からそのまま一気に押して出る怪力型の取り口。ツボにはまれば電車道で勝負を決める豪快な相撲を見せた。その一方で、四つ相撲は不得手であり、一度組まれると為す術がなく負けてしまう場合が殆どであった。また、腰が硬く胴が短い体型の為腰高な仕切りになり、また自分の呼吸で立とうとするため突っ掛けることが非常に多く、立合いは酷評されていた。立合いの不成立を繰り返し、審判からの注意や観客からのブーイングを受けることも少なくなかった。土俵上では感情を顔に出さないポーカーフェイス。「目標は横綱」「いつも15戦全勝するつもりで取っている」「この世界に入った時から(幕内最高)優勝を目標にやってきた」と強気に公言していた。
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素質・取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 08:22 UTC 版)
非常に力が強く足腰も強い。握力は左右ともに90kgを超える。右四つの相撲が得意で左上手を取ると力を発揮する。万全な状態であれば、右四つ左上手がっぷりとなると横綱クラスをも寄り切る程の地力がある。その状態から豪快な吊り出しを見せることがあり、土俵際でのうっちゃりも足腰の強さゆえによく決まる。極めて稀に内無双などの特殊技を使用することもある(2015年1月場所11日目において、逸ノ城に対して使用)。 決まり手は主に寄り切りが多いが、投げ技も力強く地力のある相撲を身につけてきている。調子の良い時は立ち遅れて攻め込まれても上手投げや叩き込みで逆転勝ちを収める。2013年7月場所に負った大怪我から復帰して以降はそれ以前より強くなったと評される事が多く、2014年11月場所前の座談会では元文化放送アナウンサーの坂信一郎が「廻しの取り方も下から取るようになった」と差し身が向上した様子を述べていた。同じ座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「十両であっても左上手を取ったら、絶対取りこぼしが無かった」と安定感の向上を評価していた。 しかし2016年3月場所前の座談会では振分が「パワー一辺倒だからもう少し器用さがないと」「大ケガをしたからさらにパワーをつけたんだなという感じがして、だからまたケガをしかねない」と指摘しており、浦風も「自分も力任せの相撲という印象なんだよな」と同調している。高崎はこれに関して「右四つ左上手という型はあるんだけど、十分になるまでの工夫がもうちょっとほしいね」と注文を付けている。大怪我をする前は受ける相撲であったがその後は前に出るようになり、2017年1月場所前の座談会でお笑い芸人のはなわが指摘している。2017年3月場所前の座談会では甲山(元幕内・大碇)から「幕下まで落ちて復活したころはおっつけながら上手を取る相撲が目立っていましたけど」と評され上で竹縄(元関脇・栃乃洋)から「栃ノ心は上半身だけで相撲を取ろうとするのが、また目立ってきましたね。先場所(2017年1月場所)の休場するきっかけとなった一番もまさにそうでした」と再び相撲が雑になったと指摘された。 合い口を見ると、関脇以下でも玉乃島や朝赤龍といった一世代上の左四つ力士に対して不利であり、同じ左四つなら宝富士とも合い口はあまり良くない。大関以上には左四つの名手が多いため、それらの力士にも苦労している。相撲が遅いのも難点であり、2017年7月場所などは20秒以上所要した相撲が15番中6番、1分以上所要した相撲が15番中2番であった。とはいえ型にはまったときには得意の右四つの相撲が冴え渡り、自然と身体が付いてくる。また、立ち合いを工夫して立つことも増えており、時折諸手気味に立つこともある。2018年1月場所は4日目の高安戦で右のかかとが土俵外に突きそうなところで残したり、13日目の逸ノ城戦ではやくみつるからも「頭を付けたり、胸を合わせるのを避けたりするのでは?」と思われたところがっぷりになったりと、力相撲や腰の強さが最大限発揮された。 2018年1月場所後の武蔵川のコラムでは、自分の型があるからこそ優勝までたどり着けたのだと評価され、今後については突っ張りや押しを覚えて相撲の幅を広げるべきだと助言されている。初優勝した時点では自分でも突っ張りや右からのおっつけがある程度できるようになっている。2018年7月場所で新大関昇進したが7日目から休場した。新大関で休場は武双山以来18年ぶりであり、大関2場所目の角番も2000年の武双山以来となった。 大関陥落場所である2019年5月場所も怪力は健在で、初日の千代大龍戦では198kgの巨体を2回吊り上げ、寄り切りで勝利している。翌二日目の大栄翔戦も、万全に組み止め、吊り出しで勝利した。 2020年1月場所3日目の竜電戦での敗戦について16代高崎はAbemaTVの解説席において、怪我による稽古不足で相撲がぎこちなくなっていると分析していた。14代玉ノ井は12日目の相撲に関して「右を差したら右に寄るという定石を忘れて真っ直ぐ正面に寄るため小手に振られる」という趣旨の指摘をした。 30代に入ると経験値と勘を活かした相撲が目立ち、2020年9月場所中日の貴景勝戦で叩き込みによって白星を収めた際は花田虎上が「巧いですよね。やっぱり経験ですよね。相手の心理を読んでどういう相撲を取っていくか。悔しいですよね」と貴景勝の心中を察しつつ栃ノ心を評価していた。一方、7代高砂はこの場所の相撲振りを見て安易な変化の多用に苦言を呈していた。
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素質・取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 08:38 UTC 版)
幕内では一、二を争う軽量の力士であったにも関わらず、最高位の横綱に登り詰めた。尊敬している力士は、同じく軽量だった元大関・初代貴ノ花。稽古熱心な力士として知られており、ビデオで初代貴ノ花の相撲を研究していた。2012年7月場所、綱取りの時期からは元横綱・千代の富士の相撲を参考にしていることをしばしば語る。 非常に強気な面が目立つ力士であり、物怖じしない言動が随所に見られた。既に三役に定着していた2007年(平成19年)9月場所では、新入幕にして優勝争いを展開する新鋭の豪栄道の挑戦を送り吊り落としの大技で退け「三役をなめられては困る」と三役常連としてのプライドを示した。同年11月場所にも「全部勝ちたい。負ける相手はいないと思っている」と強気一辺倒の姿勢で臨み、見事2場所連続の二桁勝利を挙げて大関取りの足固めをした。2008年1月場所前の横審の稽古総見でも復帰した朝青龍と白鵬の両横綱の申し合いにただ1人割って入り、朝青龍にぶつかっていく向こう意気の強さを見せるなどした。このような前向きな姿勢と場所ごとに力強さを増す取り口などから、強力な大関候補として期待されていた。 日馬富士のかつてのブログのタイトルにもあったように「真っ向勝負」を身上としていた。体の重心が低い所にある上に、足腰が非常に強く、変化を喰いにくく、土俵際での粘りもある。立合いが鋭く相手に突き刺さるようであると形容されており、朝日山(元関脇・琴錦)からも絶賛されている。現代の力士の中では相対的に軽量であるにもかかわらず、突き押し相撲は出足が鋭く腕がよく伸び、相手を真っ直ぐに土俵外に出すことができるほどの力があった。廻しをとっての投げも、白鵬を下すほどの鋭さを誇っていた。また、肩が非常に柔らかく、他の力士では考えられない位置から廻しを取ることができた。対白鵬戦では特にこの特徴が発揮され、上手を与えず攻め続けることもあった。調子の悪い場所では低い立ち合いは行わず立ち腰で上手を取りに行き投げから攻めていた。 大関や横綱に昇進した頃の日馬富士は、右からの突き放しが強烈で、立ち会いから突き放しで相手を圧倒しての二の矢のスピードが持ち味であった。2017年の時点では右ひじの怪我から突っ張りが思うようにできないものの、立合いの鋭さでそれをカバーしていた。同時点では、突っ張れない時は前まわしを取って対処していた。 大関昇進前は真っ向勝負のイメージを逆手に取り、立合いの変化を使う事も多かった。2005年(平成17年)11月場所9日目の琴欧州(当時)戦では負けたものの、「変化はしたくなかった。これからも対戦する相手だから」と語るなど真っ向勝負をにおわせる発言をしていた。相手が変化を警戒しないので非常に決まりやすいため、実際には多くの取り組みで変化を用いていた。また2008年9月場所は12勝を挙げたが、勝ちにいく相撲を取っていたために変化が目立っており、客席からも冷ややかな声があったと夕刊フジの取材に答えている。ところが、大関獲りとなった翌11月場所では、変化を用いることなく13勝し、大関昇進を果たしている。しかしながら、2009年5月場所では11日目の稀勢の里戦で立合い変化しとったりで勝利を収めるなど、大関となった後も完全に変化を捨てたわけではなかった。この取組では、全勝と1敗の対戦で熱戦が期待されていただけに、館内は落胆の声に包まれた。しかし、横綱に昇進してからは変化らしい変化は陰を潜めた。 三役定着の頃から上位陣には闘志をむき出しにして強さを発揮するものの、時に同等以下の力士にあっさり取りこぼしてしまうことがあり、大関、横綱になった後もなお完全には改善されなかった。 日馬富士はその軽量や注文相撲、何より外国人力士という境遇(朝青龍が暴行事件で引退に追い込まれたこともあり、当時は外国人力士の昇進に関して平素以上に慎重な空気があった)、さらにしばしば上位を苦しめる安美錦と同じ部屋であるために綱取りに際しては厳しい意見が飛び交い、横綱審議委員会の内館牧子に至っては2009年(平成21年)7月場所前に「2場所連続で優勝すれば横綱昇進というのであれば横審はいらない」と発言し、日馬富士の綱取りには極めて高レベルな成績が要求された。こうした横審の逆風に遭う中、2012年(平成24年)9月場所にて2場所連続全勝優勝を決め、見事横綱昇進を果たした。2場所連続全勝優勝での横綱昇進は、1994年11月の貴乃花以来実に18年ぶりのことである。 横綱昇進以後も持ち前の集中力と鋭い立合いや素早い攻めで白鵬に次ぐ存在として角界を引っ張っていた。 しかし下位の力士に取りこぼす癖は改善されておらず、金星を配給してしまう事も多かった。 特に3日目は日馬富士にとって「鬼門」と言われており、特に平成28年春場所から平成29年の春場所に至るまで、実に7場所中6場所で3日目に黒星を喫している。平成29年の夏場所では勝利している。 逆に場所が進むにつれて調子を上げていく傾向があり、平成28年名古屋場所のように序盤、中盤に平幕相手に星を落としていながら、優勝争いを展開する相手を直接対決で自ら引きずり下ろし、優勝をさらうこともあった。調子の波が激しい部分があり、良いときは横綱に昇進した場所のように全勝して相手を圧倒していくが、調子が悪い場所では序盤で大きく星を落としてしまうことも散見された。 優勝回数9回、うち全勝優勝3回は歴代横綱と比較しても上位の記録だが、全6場所のうち、春場所だけ優勝経験がない(ただし序ノ口、三段目で優勝したのは3月場所である。)。
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