政治社会・国際問題への積極的な参加
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「アラン・フィンケルクロート」の記事における「政治社会・国際問題への積極的な参加」の解説
アラン・フィンケルクロートの学生時代には、中国の文化大革命がフランスにも大きな影響を与え、1967年のパリでは『毛沢東語録』が売り切れるほどのマオイズムの流行が起こり、共産党に属する共産主義学生連合(フランス語版)(UEC) から離れた学生たちが、1966年12月10日にマルクス・レーニン主義青年共産主義連合(フランス語版)(UJCml) を結成した。アラン・フィンケルクロートもベニ・レヴィらとともにUJCmlに参加する一方で、1973年にイスラエルに占領された領土の奪回を目的としてエジプト・シリア両軍がイスラエル国防軍に対して攻撃を開始すると(第四次中東戦争、キプール戦争)、これを喜ぶ仲間らと違い、フィンケルクロートはイスラエルを支持した。 1977年、パスカル・ブリュックネールとの共著『新たな愛の無秩序 (Le Nouveau Désordre amoureux)』を発表。五月革命から生まれた「性の革命」は「神話」であると批判した。 1982年、イスラエルによるレバノン内戦への介入に対する非難、さらにはファランヘ党の民兵によるサブラ・シャティーラの殺害の責任はアリエル・シャロン国防相にあるとする非難について、これに反論するために著書『イスラエルの糾弾 (La Réprobation d'Israël)』を発表した。 1989年にクレイユ市でイスラム系の2人の女生徒がスカーフを校内で着用していることを理由に、教師により教室に入ることを禁止された事件が発生すると、11月に歴史学者・哲学者のエリザベット・バダンテール、作家のレジス・ドゥブレ、哲学者・随筆家のエリザベット・ド・フォントネ、美学・ライシテ専門の哲学者カトリーヌ・キンツレール(フランス語版)とともに『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール(フランス語版)』紙に「イスラムのヴェール」と題する記事を掲載し、「自ら考える力を育てるためには、出自の共同体を忘れて、自分とは違うものについて考える喜びを知る必要がある。教師がこの手助けをするためには、公立学校は今後も本来あるべき場、すなわち解放の場でなければならず、宗教が幅を利かせる場であってはならない」と主張した。 1990年代には、ユーゴスラビア紛争について、フランソワ・ミッテラン大統領がセルビアを支持し、西側諸国による軍事介入に反対の立場を表明していたが、フィンケルクロートはベルナール=アンリ・レヴィらとともに当初から介入を支持していた。また、ユーゴスラビア崩壊後も、『いかにしてクロアチア人たり得るか (Comment peut-on être croate ?)』を著し、大セルビア主義に対してクロアチアの民族自決を「小さい国民国家」として支持した。「小さい国民国家」はフィンケルクロートにとって自由と同義であった。 1995年5月に、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞すると、『ル・モンド』紙に、「クストリッツァのいかさま」と題する記事を発表し、セルビア人勢力の砲撃によって71人の若者が死亡する「トゥズラの虐殺」(5月25日)が発生した直後の受賞であることに触れ、「クストリッツァが音楽や映像により示したものは、殺害者が正当防衛であると相手を説得し、かつ、自ら納得するためのロジックである」と非難した。また、ベルナール=アンリ・レヴィも別の観点から、「文学史上には反ユダヤ主義者、ファシスト、スターリン主義者でありながら偉大な作家がたくさんいる」、カンヌ映画祭の審査員らがクストリッツァにパルム・ドールを与えるのは、「たとえば、1938年にルイ=フェルディナン・セリーヌに賞を与えるようなものではなかったか」と問いかけている。 1998年、哲学者ロジェ・ガロディが自著において、ナチスによるユダヤ人大量虐殺は極右シオニストらによる政治的誇張(神話)である旨の主張をしたかどでパリ軽犯裁判所にて有罪判決を受けたが ― ホロコーストの否認 ―、フィンケルクロートは控訴審に証人として出廷し、「有罪判決は思想・良心の自由、表現の自由の侵害だ」とするガロディの主張に対して、「事実の否認は弁論の対象にならないし、ガロディは他の事実と照らし合わせていない。彼はかつてユダヤ人を殺すために使われた理屈」を再びこの著書において繰り返しているだけであり、この著書は「反ユダヤ主義への素晴らしい贈り物(貢献)である」、これまでにも同様に事実を否認して(クラフチェンコ裁判におけるガロディの証言、ソヴィエトの収容所の存在の否認)「訓練を積んでいる」として、表現の自由に当たらないことを主張した。 2000年9月28日に第2次インティファーダが発生した。首相直属の国家人権諮問委員会(フランス語版)は、毎年、特に人種主義的・反ユダヤ主義的な事件に関する報告書を公表しているが、2000年に人種差別的な暴力行為の件数が265%増加し、ゼノフォビア的な言葉による脅迫は385%の増加であった。2000年に発生した暴力行為は146件で、このうち116件(80%)がユダヤ人に対する暴力であった。また、2000年に発生した反ユダヤ主義的な暴力行為の3分の2が9月から10月にかけて発生しており、これらは主に中近東で発生した事件、特に第2次インティファーダに関係があるとされた。この頃、フィンケルクロートは、「新たな反ユダヤ主義の台頭」を指摘し、「現実に直面しなければならない」、「このような反ユダヤ主義について、もはや口実は通用しない、ダブルスタンダードは通用しない、『王様は裸だ』と言わなければならない」と糾弾していた。 2002年フランス大統領選挙の第一回投票で、事前の予測に反し、社会党のリオネル・ジョスパン首相が敗退し、極右政党「国民戦線」のジャン=マリー・ル・ペンが決選投票に進むと、フィンケルクロートは4月28日、パリのパンテオン広場でル・ペンに抗議し、国民の結集を呼びかけた。 2005年、フランスで反ユダヤ主義的な感情を煽っている張本人は極右政党「国民戦線」ではなく、コメディアンのデュードネ(フランス語版)であると指摘した。実際、デュードネは過去に何度か反ユダヤ主義的な発言で有罪判決を受けているが、問題は、実際の犯罪は別として、彼がその影響力を利用して反ユダヤ主義的な「空気」を醸成していることであると主張した。 2005年パリ郊外暴動事件の際、暴動は民族的・宗教的な反乱であること、ユダヤ=キリスト教的伝統をもったフランス社会への憎悪からくる「共和国に対するポグロム」であること、堕落した消費社会の鏡であること、植民地支配にも肯定的な側面が存在するのに絶対悪としている教育に遠因があること、反人種差別主義がユダヤ人やフランス社会への憎悪を煽っていることなどを主張し、議論を呼んだ 。特にハアレツでは「これは民族宗教的性質の反乱であることは明らか」「フランスのサッカーチームはブラック(黒人)・ブラン(白人)・ブール(マグリブ二世)で賞賛されているという。実際には今日、ブラック・ブラック・ブラックでヨーロッパ中から笑われている。私たちがフランスでそのような発言をした場合、私たちは刑務所に行く。」と発言し問題視された。この発言は後に真意からかけ離れているとして撤回して謝罪し「私はいかなるコミュニティに対しても軽蔑や憎しみを抱いていません。使命によってフランスの新しい移民、特に第二、第三世代との連帯を感じています」と表明したが、黒人とアラブ人の暴動だとする見方は国内の新聞でも繰り返した。Acrimedはフィンケルクロートが物議を醸すトピックについて、歪曲や誤解の理由で破棄する傾向があると指摘している。エリザベット・ド・フォントネは 「実際、彼にとって、郊外での暴動が最初に示したのは、国家教育に割り当てられた機会均等化の使命の崩壊でした。そして私たちが高等教育の卒業生は移民の背景から来ているため、仕事が少ないことを思い出さずに彼を責めることができたとしても、このフランスの学校への情熱以外のものに発言の残虐性を関連付けるにはかなりの悪意が必要でした。彼は統合の真のチャンスとして恵まれない子供たちに教育を提供することができなかったこと、そして、ブルジョア階級の子供たちを除いて、それはもはや正しく機能しないことを絶望的に観察しています。」 と主張した。エマニュエル・トッドは 「決してフランスにおいては暴徒が肌の色で性格づけられるのが許されることはなかっただろう、もしその冒涜的言辞がユダヤ出自の知識人の発言でなかったなら、[…]何しろ、ユダヤ出自の者には、ショアー(ホロコースト)の神聖化によって確実な保護が保証されているのであり、それは植民地という過去が郊外の若者に保証する保護よりは段違いに確実なのであるから。」 と主張した。 1985年から30年以上にわたって担当しているラジオ局「フランス・キュルチュール」の番組「Répliques (反論)」(土曜の朝9時から10時まで放送)はゲストとの対談であり、これをテーマ別にまとめた『現代において文学を教えるということ (Enseigner les lettres aujourd'hui)』(Tricorne, 2003)、『文学が求めるもの (Ce que peut la littérature)』(Stock, 2006)、アイデンティティと国民国家の問題に関する『フランスとは何か (Qu'est-ce que la France)』(Stock, 2007)、『公立学校に関する論争 (La querelle de l'école)』(Stock, 2007)、ホロコースト文学に関する『絶滅をめぐる終わりなきエクリチュール (L'Interminable écriture de l'extermination)』(Stock, 2010) などが出版されている。 2019年2月16日、自宅近くで黄色いベスト運動の一部の参加者から反ユダヤ主義的な言葉を投げつけられた。この様子を写した動画がソーシャルネットワーク上に拡散し、政治家らは与党・野党、右派・左派を問わず異口同音にこれを非難した。フィンケルクロートの告訴を受けて行われた捜査より、中傷者の一人はイスラム過激派の傾向がある人物として当局に知られていたことが明らかになった。ルーベン・リブリン・イスラエル大統領はフィンケルクロート及びエマニュエル・マクロン大統領に対する支援を表明した。 ロマン・ポランスキーを「ポランスキーはエソンヌの強姦者ではない」「彼は小児性愛者ではない。相手は流行のために裸でポーズをとっている10代の少女だ」と擁護しており、2019年11月13日、TV番組 La Grande Confrontationで「今日、レイプの文化(英語版)には猥褻な冗談、暑苦しいナンパ、触ること、ギャラントリー(フランス語版)さえ含まれます。ギャラントリーは多くの研究者によってレイプの文化の一形態と呼ばれています。したがって、私たちは性差別の概念のこの拡張を目撃しています。フランスでは、潜在的なレイプ犯がたくさんいるでしょう。」と言い、フェミニスト活動家Caroline de Haas(フランス語版)にポランスキー擁護を批判された際、「レイプ、レイプ、レイプ!私は男たちに言う、レイプしろ!私は毎晩妻をレイプしている」と発言し、大きな批判を浴びた。フェミニスト集団 Nous Toutes(フランス語版) は「夫婦間レイプの被害者への侮辱」と批判した。David Pujadas(フランス語版)が「裏の意味」を示唆するなど、「文の皮肉を見る」ことを要求する声も存在し、フィンケルクロートも「今日私達は皮肉を理解できない」と主張したが、社会党第一書記オリヴィエ・フォール(フランス語版)は「皮肉や笑いの対象にすべきでない」と主張した。
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