平成の即位の礼
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「即位礼正殿の儀」も参照 第125代天皇明仁の即位の礼・大嘗祭を巡る儀式は、1990年(平成2年)1月23日の期日奉告の儀から始まり、1年間に渉り関連行事が行われた。 政府は国事行為「即位の礼」として、新天皇が即位を内外に宣明する「即位礼正殿の儀」、新天皇・皇后のオープンカーパレードである「祝賀御列(おんれつ)の儀」、即位の礼の祝宴「饗宴の儀」の3儀式を行うことを決定した。 即位の礼にあたり、式典の警備・要人警護には先帝・昭和天皇の大喪の礼での3万2000人を大きく上回る3万7000人の皇宮護衛官、警察官が動員され徹底した検問などが行われた。この警備の特別予算は54億円に上ったとされる。高御座の輸送に当たっては、過激派テロリストによる妨害を防ぐため、陸上自衛隊のヘリコプター(CH-47J)で隠密に行われた。 饗宴の儀は、宮殿豊明殿で11月12日から行われ、15日迄計7回、延べ3,500人の賓客が招かれた。 なお、平成2年(1990年)11月12日は「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」により休日とされたが、次代の令和の即位の礼(後述)とは異なり祝日扱いとはされなかった。 NHKが中継した「即位の礼・正殿の儀」(12時20分から1時間40分放送)は、平均視聴率31.9%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した。 1990年(平成2年)、大嘗祭 即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 饗宴の儀 即位礼正殿の儀での「おことば」 さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。 このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。 海部内閣総理大臣の寿詞 謹んで申し上げます。天皇陛下におかれましては、本日ここにめでたく即位礼正殿の儀を挙行され、即位を内外に宣明されました。一同こぞって心からお慶(よろこ)び申し上げます。 ただいまは、天皇陛下から、いかなるときも国民と苦楽を共にされた昭和天皇の御(み)心を心とされ、常に国民の幸福を願われつつ、日本国憲法を遵守し、象徴としての責務を果たされるとのお考えと、我が国が一層発展し、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを願われるお気持ちとを伺い、改めて感銘を覚え、敬愛の念を深くいたしました。 私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と、世界の平和、人類福祉の増進とを目指して、最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。ここに、平成の御代(よ)の平安と天皇陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。 平成二年十一月十二日 内閣総理大臣 海部俊樹 1990年(平成2年)、即位礼正殿の儀に際して 用語 賢所大前の儀及皇霊殿・神殿に奉告の儀 天皇が賢所・皇霊殿・神殿(合わせて宮中三殿と呼ぶ)に祀られている天照大神・天神地祇・歴代の天皇に即位の礼を行うことを告げる(神々に告げることを奉告という)儀式 斎田(さいでん) 大嘗祭の使用する新穀を作る田。田の選定は古代から亀卜(きぼく)により、京都以東以南の地方から選ばれる「悠紀田(ゆきでん)」と、京都以西以北の地方から選ばれる「主基田(すきでん)」の2つが定められる。 前四代天皇陵 上皇明仁の前四代天皇は孝明天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇。孝明天皇陵 後月輪東山陵(京都府京都市東山区今熊野字泉山) 明治天皇陵 伏見桃山陵(京都府京都市伏見区桃山町古城山) 大正天皇陵 多摩陵(東京都八王子市長房町) 昭和天皇陵 武蔵野陵(東京都八王子市長房町) 即位の礼に参列した各国要人 国家元首級:70カ国 皇室・王室:20カ国 副大統領級:15カ国 首相級:20カ国 閣僚級:35カ国 アジア イスラエル:ヘルツォグ大統領夫妻 インド:ベンカタラマン大統領 インドネシア:スハルト大統領 トルコ:オザル大統領 パキスタン:カーン大統領夫妻 バングラデシュ:エルシャド大統領夫妻 フィリピン:アキノ大統領 ブータン:ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王 ブルネイ:ハサナル・ボルキア国王 マレーシア:アズラン・シャー国王・王妃 モルディブ:マウムーン・アブドル・ガユーム大統領夫妻 モンゴル:オチルバト大統領夫妻 アラブ首長国連邦:ムハンマド殿下 韓国:姜英勲首相 クウェート:ナーセル(アラビア語版、英語版)殿下(当時イラクによって占領されていた為、亡命政権によって派遣される) サウディ・アラビア:ナワーフ(アラビア語版、英語版)殿下 シンガポール:リー・クアンユー首相 スリランカ:ウィジェートゥンガ首相 タイ:ワチラーロンコーン皇太子 中国:呉学謙国務院副総理 ネパール:ディペンドラ皇太子及び王弟ギャネンドラ・同妃 ベトナム:グエン・フー・ト国家評議会副議長 ミャンマー:ター・トゥン法務長官夫妻 ラオス:プーン閣僚評議会副議長夫妻 レバノン:エリアス・ヘラウィ大統領夫人 ヨーロッパ・北アメリカ アイスランド:フィンボガドッティル大統領 アイルランド:ヒラリー大統領夫妻 イタリア:スパドリーニ上院議長 オーストリア:ワルトハイム大統領夫妻 キプロス:バシリュウ大統領夫妻 スウェーデン:カール16世グスタフ国王・シルヴィア王妃 デンマーク:マルグレーテ2世女王・ヘンリク王配 ドイツ:ワイツゼッカー大統領夫妻 ハンガリー:ゲンツ大統領 フィンランド:コイビスト大統領夫妻 ブルガリア:ジェーレフ大統領夫妻 ベルギー:ボードゥアン国王・ファビオラ王妃 席次No.1であった ポルトガル:ソアレス大統領夫妻 マルタ:タポーネ大統領夫妻 ユーゴスラビア:ヨビッチ連邦幹部会議長夫妻 ルーマニア:イリエスク大統領 ルクセンブルク:ジャン大公・ジョセフィーヌ=シャルロット大公妃 アメリカ合衆国:ダン・クエール副大統領 イギリス:ウェールズ大公チャールズ皇太子・ダイアナ皇太子妃 オランダ:オラニエ公ヴィレム=アレクサンダー皇太子 カナダ:ナティシャン総督 ギリシャ:ミツォタキス首相夫妻 ソビエト連邦:アナトリー・ルキヤノフ最高会議議長夫妻 チェコスロバキア:ドゥプチェク連邦議会議長 フランス:ロカール首相夫妻 ポーランド:コザエキビッチ下院議長夫妻 ラテンアメリカ アルゼンチン:メネム大統領 エクアドル:パロディ副大統領夫妻 エルサルバドル:クリスティアーニ大統領夫妻 ガイアナ:ホイト大統領夫妻 グアテマラ:リベラ外相夫妻 コスタリカ:カルデロン大統領夫妻 コロンビア:ハラミージョ副大統領夫妻 ジャマイカ:マンレイ首相 チリ:シルバ・シマ外相 ドミニカ国:シグノレット大統領 パナマ:エンダラ大統領夫妻 パラグアイ:ロドリゲス大統領夫妻 ブラジル:コロール大統領夫妻 ボリビア:パス・サモラ大統領 ホンジュラス:カジェハス大統領夫妻 ウルグアイ:トマシーノ最高裁判所長官夫妻 セントクリストファーネイビス:アリンデール総督夫妻 ドミニカ共和国:モラレス副大統領夫妻 トリニダード・トバゴ:ダス大使夫妻 ニカラグア:トレホス最高裁判所長官夫妻 ハイチ:ラトルチュー外相夫妻 バハマ:メイナード副首相夫妻 ベネズエラ:モラレス国会議長夫妻 ペルー:マルチャン外相夫妻 ベリーズ:ゴードン総督 メキシコ:サリーナス大統領夫人 オセアニア キリバス:タバイ大統領夫妻 ナウル:ドウィヨゴ大統領夫妻 西サモア:マリエトア・タヌマフィリ2世国家元首 フィジー:ガニラウ大統領夫妻 マーシャル諸島:カブア大統領夫妻 ミクロネシア連邦:ハグレルガム大統領夫妻 オーストラリア:ヘイドン総督夫妻 ソロモン諸島:レピン総督夫妻 ニュージーランド:リーブス総督夫妻 パプアニューギニア:エリ総督夫妻 アフリカ カメルーン:ビヤ大統領夫妻 ガンビア:ジャワラ大統領 ケニア:モイ大統領 ザンビア:カウンダ大統領 ジブチ:グレド大統領 セネガル:ディウフ大統領 中央アフリカ共和国:コリンバ大統領夫妻 トーゴ:エヤデマ大統領夫妻 ボツワナ:マシーレ大統領夫妻 スワジランド:デイビッド殿下(駐韓国大使)及び妃殿下 マリ共和国:トラオレ大統領夫妻 モロッコ:ラシド殿下(第2王子) アルジェリア:ベンハビレス憲法評議会議長夫妻 ギニア:トラオレ外相 ナミビア:グリラブ外相夫妻 ニジェール:ムタリ国民会議議長夫妻 ブルンジ:ムボニンパ外相 南アフリカ共和国:クーン総領事夫妻 スーダン共和国:バシール革命評議会議長 国際機関 国際連合:ハビエル・ペレス・デ・クエヤル事務総長 ヨーロッパ共同体:アンドリーセン副委員長夫妻 招待状を送付したが各国の事情により参列しなかった国 東ドイツ:東西ドイツ統一により消滅。 イラク:クウェート侵攻により、宮内庁・外務省側からの一方的な取り消し通告。 カンボジア:内乱継続中のため。 開催地 近代に入ってからの天皇3代の明治天皇・大正天皇・昭和天皇においても、正式な高御座が常設されている京都御所に於いて「即位の礼」が行われていた(※厳密にいえば、高御座は即位および大嘗祭後の節会だけのもので、近世には通常は紫宸殿には白い帳のかかった四角い御帳台-大正以降の即位礼で皇后が使用するものとは同名異物-が置かれていた。また戦前の古写真でも紫宸殿内に帳台がおかれた写真があり、高御座が常設されるようになったのは比較的近年のことのようである-といっても半世紀以上は経つが)。 1989年(平成元年)、明仁天皇の代には即位の礼・大嘗祭の開催地を巡り、「東京都」と「京都府」で議論となったが、最終的に東京都千代田区の皇居内で開催された。これには時代の変遷により止むを得なかった事情がある。前3代と異なり、平成の天皇即位の礼(即位礼正殿の儀)においては、一連の式典に外国の要人も多数参列し、京都に比べ東京のほうが警備がしやすく、かつその費用も抑えられた。当時はまだ関西国際空港が建設中で、京都迎賓館もなく、関西では要人の大規模な受け入れ態勢が十分には整っていなかったのである。 専門家による「伝統を守るべき」との主張もあり、京都側は京都商工会議所が懇談会を設置する等、京都での開催が多方面から主張された。また、平安京以来1000年余に渡り“天皇”の存在が当たり前だっただけに、京都近辺の市民の落胆ぶりは大きかったといわれる。そういった事情への配慮もあり、皇居での「即位の礼」関連行事をほぼ終え、三重県伊勢市の伊勢の神宮内宮や奈良県橿原市の神武天皇陵に親謁し、先帝四代の陵のうち京都府京都市にある孝明天皇陵(東山区)・明治天皇陵(伏見区)に親謁に伴い、同市上京区にある京都御所において各地方公共団体の首長や関西経済同友会など近畿地方の各種団体の代表、経済界の首脳陣らを招いて大規模な茶会が催された。
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