平成の二大政党制とは? わかりやすく解説

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平成の二大政党制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:43 UTC 版)

二大政党制」の記事における「平成の二大政党制」の解説

1996年平成8年)の衆議院総選挙から、政権交代可能な二大政党制目指し小選挙区比例代表並立制導入された。 この制度の下、自民党公明党による自公連立政権1999年から成立したほか、自民党に次ぐ第二党かつ最大野党として新進党流れをくむ民主党1998年発足した民主党自由党吸収するなどして党勢拡大し与党自公政権相対した以後2003年ごろから2012年にかけては「保守政党としての自民党と、リベラル派中心に非自民勢力幅広く集まった民主党」による二大政党制様相呈した2003年衆議院総選挙では、与党自民党237議席公示前より10議席減。過半数を割る)にとどまったのに対し野党民主党177議席40議席増)を獲得し、さらに比例代表での獲得議席民主党自民党上回った。続く2004年参議院総選挙では、民主党は総獲得議席でも自民党上回った。翌2005年衆議院総選挙郵政選挙)では小泉旋風によっていった自民党大勝し民主党縮小した。しかし、続く2007年参議院選挙では民主党が再び躍進し、ついに参議院民主党議席自民党上回った衆議院では自民党公明党過半数維持して政権与党であるが、参議院では民主党中心とする野党過半数となったことで、与野党勢力拮抗するねじれ国会」に至った。 そして2009年衆議院総選挙によって民主党圧勝した第二次大戦後で初めて、選挙野党衆議院での単独過半数得たことに伴う政権交代起こり民主党国民新党社会民主党による鳩山政権発足した自民党大敗して15年ぶりに野党転落した民主党以後2012年末までの3年強にわたり政権担当した。 しかし、翌2010年参議院選挙では民主党人気陰りがみられ、自民党中心とする野党勢力が、与党民主党国民新党上回った今度2007年とは逆に衆議院では与党民主党過半数だが参議院では野党自民党らが過半数という形の「ねじれ国会」が出現した。 さらに、2012年衆議院総選挙では自民党大勝し過半数奪還した。再び政権交代し自民党与党復帰した民主党惨敗して野党転じ選挙前議席4分の1程度にまで縮小した

※この「平成の二大政党制」の解説は、「二大政党制」の解説の一部です。
「平成の二大政党制」を含む「二大政党制」の記事については、「二大政党制」の概要を参照ください。

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