平成の大修理
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1998年(平成10年)より国の補助を受け、江戸時代の姿をよみがえらせるべく大規模な修理が行われた。痛みのひどい箇所は半解体修理を行うなど、復元保存修理を進めた。第1期に当たる本堂の修理が2004年(平成16年)に完了し、2005年(平成17年)以降第2期工事に着手。2020年(令和2年)1月に総門を残しほぼ完了し、同年7月20日の総門の修理完了によって20年以上にわたった工事がすべて完了した。その後、境内の景観整備などを進め、2021年(令和3年)3月末に完工。同年4月9日より完成イベントが開催され、4月11日に竣工式が行われた。修理総額は約70億円である。完工を記念し、同年1月に第45期棋聖戦挑戦手合七番勝負第二局が開催された。
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平成の大修理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:27 UTC 版)
上述のように、『東大寺別当次第』の記載によって、仁王像の制作時期と作者についてはおおよそのことがわかってはいたが、1988年から1993年にかけて行われた解体修理によって、前述の4人の大仏師(運慶、快慶、定覚、湛慶)が仁王像の作者であることがあらためて確認されるとともに、新たな謎も生じている。仁王像については、像表面の清掃、鳩の糞の除去などは行われていたが、巨像であるため、本格的な解体修理は造像以来1988年まで行われていなかった。しかし、経年変化による材の矧ぎ目のゆるみなどの損傷が目立ってきたため、国庫補助を得て、美術院国宝修理所の小野寺久幸が中心となって解体修理が実施された。通常、美術院の行う仏像修理は、仏像を京都にある美術院の工房へ運び込んで行うが、仁王像の場合は巨像であるため、南大門の近くにあった東大寺学園の跡地に修理場を特設して修理を行った。仁王像は、像の背面から突き出した「懸木」(かけぎ)という角材によって南大門の貫(ぬき)に固定されて立っているが、平成修理ではこの懸木をはずし、像をクレーンで吊り上げて初めて門外に搬出した。修理所に運び込まれた像は、細かい部品まですべて分解し、木材の材質強化、劣化した釘の取り換え、彩色層の剥落防止などの処置を行った後、再度組み上げられた。修理の過程で像の構造の細部が判明した。また、像内からは経巻などの納入品が見出されるとともに、数多くの墨書が発見され、多くの新たな知見が得られた。
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