平成の大修理とは? わかりやすく解説

平成の大修理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:32 UTC 版)

勝興寺」の記事における「平成の大修理」の解説

1998年平成10年)より国の補助を受け、江戸時代の姿をよみがえらせるべく大規模な修理が行われた。痛みのひどい箇所半解修理を行うなど、復元保存修理進めた第1期に当たる本堂修理2004年平成16年)に完了し2005年平成17年以降第2期工事着手2020年令和2年1月総門残しほぼ完了し同年7月20日総門修理完了によって20年以上にわたった工事がすべて完了したその後境内景観整備などを進め2021年令和3年3月末に完工同年4月9日より完成イベント開催され4月11日竣工式が行われた。修理総額は約70億円である。完工記念し同年1月第45期棋聖戦挑戦手合七番勝負第二局が開催された。

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平成の大修理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:27 UTC 版)

東大寺の仏像」の記事における「平成の大修理」の解説

上述のように、『東大寺別当次第』の記載によって、仁王像制作時期作者についておおよそのことがわかってはいたが、1988年から1993年にかけて行われた解体修理によって、前述の4人の大仏師運慶快慶定覚湛慶)が仁王像作者であることがあらため確認されるとともに新たな謎も生じている。仁王像については、像表面清掃鳩の糞除去などは行われていたが、巨像であるため、本格的な解体修理造像以来1988年まで行われていなかった。しかし、経年変化による材の矧ぎ目のゆるみなどの損傷目立ってきたため、国庫補助得て美術院国宝修理所小野寺久幸中心となって解体修理実施された。通常美術院の行う仏像修理は、仏像京都にある美術院工房運び込んで行うが、仁王像場合巨像であるため、南大門近くにあった東大寺学園跡地修理場を特設して修理行った仁王像は、像の背面から突き出した「懸木」(かけぎ)という角材によって南大門の貫(ぬき)に固定され立っているが、平成修理ではこの懸木をはずし、像をクレーン吊り上げ初め門外搬出した。修理所に運び込まれた像は、細かい部品まですべて分解し木材の材質強化劣化した釘の取り換え彩色層の剥落防止などの処置行った後、再度組み上げられた。修理過程で像の構造細部判明したまた、像内からは経巻などの納入品が見出されるとともに数多く墨書発見され多く新たな知見得られた。

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