平成の大合併における動向
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比企地区8市町村合併2003年3月3日 - 比企地区任意合併協議会設置(東松山市・比企郡滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・吉見町・秩父郡東秩父村) 2003年4月1日 - 協議会事務局設置(東松山市役所内) 2003年5月21日 - 第4回協議会において比企地区任意合併協議会解散を決定 比企地区6町村合併2003年7月 - 滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・東秩父村の6町村は合併研究会を設置。 2003年12月 - 滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・東秩父村の6町村は比企地域3町3村合併協議会を設置 2004年7月 - 滑川町で合併の枠組みを問う住民投票を行った結果、東松山市・吉見町を含む8市町村で合併が過半数を占めたために滑川町は比企地域3町3村合併協議会から離脱 2004年8月 - 比企地域3町3村合併協議会が解散
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平成の大合併における動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:02 UTC 版)
久喜地区は商業都市として発展してきたために、古くからの商店も多く、歴史・趣きのある店構えをうかがうこともできる。しかし、そのような商店の店構えも現在は徐々に失われつつある(提灯祭り通り、久喜中央の埼玉県道87号上尾久喜線など)。久喜市は周辺からの道路交通の便がよく、埼玉県道153号幸手久喜線沿線のイトーヨーカドー久喜店(三高ビルに入居)や埼玉県道3号さいたま栗橋線沿線のアリオ鷲宮など、大型小売店の出店も盛んである。近年では国道122号騎西菖蒲バイパス沿線の菖蒲地区北部にも大型商業施設の立地が目立つようになり、2008年に(平成20年)はモラージュ菖蒲が、2010年(平成22年)にはフォレオ菖蒲がそれぞれ開業した。また、商店会ではふれあいカード加盟店で買い物をするとポイントを加算するポイントカードの仕組みを導入している。
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平成の大合併における動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 19:11 UTC 版)
北埼玉郡北川辺町・北埼玉郡大利根町との合併で「東埼玉市」の新設を予定していたが、2004年9月26日に行われた大利根町の合併の是非を問う投票で反対票が賛成票を上回り、合併協議会は解散した。 2007年 - 鷲宮町・菖蒲町・白岡町・久喜市の1市3町による合併協議会が設立され、参加表明。協議の結果2007年12月12日に(蓮田市と合併する意向を示し、2007年12月6日付で合併協議から離脱した白岡町を除く)、久喜市・鷲宮町・菖蒲町・栗橋町の1市3町で、合併新法の期限内に合併を行うことで合意した。各市町で実施された合併に関する住民意向調査では全市町において賛成の過半数が確認され、事実上合併は決定した。合併方式は編入合併ではなく新設(対等)合併で、新市名は「久喜市」、市庁舎の位置も現久喜市役所を使用する。また、この合併協議には幸手市も参加の意向を示していたが、合併新法の期限に間に合わないことを理由に拒否した。なお、町名、字名については、栗橋町・鷲宮町・久喜市は原則現行通りとし、菖蒲町は「菖蒲町○○」、栗橋町・鷲宮町・久喜市にそれぞれ存在する「東・西・南・北・中央」は「旧市町名 + ○○」(例:栗橋町中央→久喜市栗橋中央、久喜市北→久喜市久喜北)となる。 2009年5月28日に1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月23日、新たに「久喜市」の発足により栗橋町は消滅した。
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平成の大合併における動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:14 UTC 版)
久喜市・幸手市と合併協議を行い、2005年に「桜宮市」となる予定であったが2004年9月11日の住民投票で久喜市において反対票が上回り、合併は白紙になった。その後、町長は市町村の合併の特例等に関する法律(新・合併特例法)の効力を失う前に久喜市を中心として合併したい旨2007年9月、定例会で表明した。2008年8月、第4回1市3町合併協議会で2010年3月までに久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡栗橋町、当町の1市3町での合併を目指すこととし、新しい市名は「久喜市」とすることと決定した。 2009年5月28日に1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月23日、新たに「久喜市」の発足により鷲宮町は消滅した。
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平成の大合併における動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 20:45 UTC 版)
「藤岡町 (栃木県)」の記事における「平成の大合併における動向」の解説
2003年5月1日 - 大平町、岩舟町、藤岡町の3町による合併協議会が設置される。 2004年4月30日 - 「みかも市」として新設合併を予定していたが、新市庁舎の位置などをめぐり調整がつかず合併を断念。合併協議会が廃止される。 2007年7月9日 - 栃木地区1市5町(栃木市、大平町、岩舟町、藤岡町、都賀町、西方町)での合併へ向けた栃木地区広域行政圏首長懇談会が設置される。 2007年11月13日 - 県市町村合併推進審議会において栃木地区1市5町での合併、および栃木地区1市5町に小山地区1市1町(小山市、野木町)を加えた2市6町での合併の2案を併記し、このうち栃木地区1市5町での合併を先行させる答申が決定される。 2008年8月 - 岩舟町が栃木地区1市5町の合併構想から離脱したのを受け、佐野市、小山市との合併の可能性も含めた住民アンケートを実施。佐野市との合併を希望する住民が大勢を占めるが、町長は栃木地区1市4町(離脱した岩舟町を除く)での合併を推進することを宣言。 2008年12月17日 - 栃木市、大平町、藤岡町、都賀町、西方町の1市4町による合併協議会が設置される。 2009年7月26日 - 佐野市との合併協議会設置の是非を問う藤岡町の住民投票が行われる。この結果、合併協議会設置反対票が有効投票の過半数に達する6595票を集め、賛成票を3000票余り上回った。これにより栃木地区1市4町での合併を推進する形となった。 2009年9月4日 - 8月18日に1市4町の首長が合併協定書に調印したが、その後西方町議会が合併関連議案を否決。この結果を受け、2010年3月末に迫った合併新法期限内での合併を目指し、栃木市、大平町、藤岡町、都賀町の1市3町による合併協議会が設置される。 2009年10月7日 - 1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月29日、新たに「栃木市」が発足することが決定。 2010年3月16日 - 閉町式。町政55年間の歴史を閉じる。 2010年3月29日 栃木市、大平町、都賀町と合併し、新・栃木市の一部となり消滅。
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