桜宮市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 07:17 UTC 版)
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さくらのみやし 桜宮市 | |
---|---|
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国 |
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地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
合併協議会 | 久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会 |
参加自治体 | 久喜市、幸手市、北葛飾郡鷲宮町 |
解散日 | 2004年11月30日 |
面積 | 73.20km2 |
総人口 |
163,116人 (国勢調査、2000年10月1日) |
隣接自治体 |
加須市、南埼玉郡菖蒲町、白岡町、宮代町、北葛飾郡杉戸町、栗橋町 茨城県:猿島郡五霞町 千葉県:東葛飾郡関宿町 |
桜宮市役所 | |
所在地 |
〒346-0022 埼玉県桜宮市下早見85番地の3 |
外部リンク | 久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会 |
特記事項 | 合併予定日(2005年5月1日)時点での情報 |
ウィキプロジェクト |
桜宮市(さくらのみやし)は、平成の大合併において埼玉県久喜市、幸手市、北葛飾郡鷲宮町の3市町の合併により、2005年(平成17年)5月1日に誕生する予定だった市[1][2]。
経過
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久喜市の主導による合併協議開始
久喜市は幸手市・蓮田市等の周辺自治体に呼びかけ、埼玉県北東部9市町による「30万人田園都市構想」を提唱していたが、独自路線を取る自治体が多かったため、合併協議に唯一応じた鷲宮町と、2003年4月に合併協議会を設置した。
幸手市の参加
幸手市は当初、県は異なるが経済圏や生活圏が同一であることから、隣接する茨城県猿島郡五霞町との越県合併を推進し、法定協議会を設置して準備を進めていた。しかし、合併後の帰属県など越境合併特有の難点もあり、市民の間で越県合併への反対運動が起こり、この運動が越県合併推進派であった増田実市長に対するリコール運動へ発展し、発議自体は無効となったものの増田市長は責任を取って辞職した。2003年(平成15年)11月22日に出直し市長選が行われ、越県合併反対派から立候補した元久喜市水道部長の町田英夫が新市長に当選。この結果を受けて同じ埼玉県内での合併へと方針転換し、同年12月に久喜市と鷲宮町が設置していた合併協議会へ加わった。
新市名への反対と住民投票
2004年5月26日、一般公募に寄せられた2525通の意見から新市名を「桜宮市」に決定した。この名称は桜の名所として知られる幸手市の権現堂堤と鷲宮町の鷲宮神社に由来するが、当初から合併構想を主導し、3市町で最大の人口を有する久喜市が名称の由来から外れていることに対して、久喜市民の間に反発が生じ、各市町で住民投票を実施することになった。その他の新市名案は、「さくら市」「みどり市」「ゆめ未来市」などのひらがな地名や、「美咲市」「桜花市」「彩都市」「緑市」などの田園都市構想に基づく瑞祥地名が主であった。また合成地名の「幸喜宮市(さきみやし)」もあった。
同年9月19日、各市町で住民投票の投開票が実施された。投票率は3市とも有権者の過半数に達し、投票が成立した。その結果、幸手市と鷲宮町では賛成が過半数に達したが、久喜市では反対が上回り、3市町での合併構想は白紙撤回されることになった。
市町 | 投票率 | 賛成 | 反対 |
---|---|---|---|
久喜市 | 53.53% | 13748 | 16904 |
幸手市 | 62.10% | 15488 | 11874 |
鷲宮町 | 55.07% | 12089 | 2532 |
同年11月30日、住民投票の結果を受けて久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会は解散した。
新制・久喜市の誕生
その後、2007年に再び久喜市の主導で、鷲宮町と南埼玉郡菖蒲町及び白岡町の4市町で新たな枠組みの合併協議が開始され、後に北葛飾郡栗橋町も協議に加わったが、12月14日に白岡町は蓮田市との合併協議開始を理由に協議会を離脱した。幸手市も協議会に再度参加する意向を表明したものの、協議会側が「市議会の同意」を条件としたことから、合併特例法の期限である2010年3月に手続きが間に合わないとしてこれを拒否し、単独で存続することとなった。
久喜市と鷲宮町、菖蒲町、栗橋町は、2010年(平成22年)3月23日に合併し[3]、新市名は「久喜市」(新制)に決定した[3]。なお、住所の表示については「大字」を削除した上で、久喜市・栗橋町・鷲宮町では原則として変更なし、菖蒲町では元の大字名の前に「菖蒲町(しょうぶちょう)」を加えることとした。旧市町に重複していた「北」「中央」「東」は旧市町名を冠することとした[3]。また、鷲宮町で交錯していた「わしみや」「わしのみや」の読み方はすべて「わしのみや」に統一することとした[3]。
平成の大合併で誕生する予定だった埼玉県の市名
参考文献
- 久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会 編『久喜市・幸手市・鷲宮町の将来 ゆたかで活力あふれる16万人都市を目指して』(PDF)久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会、2004年7月 。
脚注
注釈
出典
- ^ 「5項目の重点施策/合併特例債は363億円」『埼玉建設新聞』2004年8月24日。2025年2月8日閲覧。
- ^ 久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会 2004, p. 15
- ^ a b c d “合併後の住所の表示”. 久喜市ホームページ. 2021年9月13日閲覧。
関連項目
- 桜宮 - 大阪市の地名。埼玉県の市名候補「桜宮市」とは無関係。
- 日本の市町村の廃置分合#平成の大合併
外部リンク
- 久喜市・菖蒲町・栗橋町・鷲宮町合併協議会 久喜市[リンク切れ]
- 久喜市・幸手市・鷲宮町合併協議会国立国会図書館
桜宮市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 01:37 UTC 版)
田口公平 東城大学医学生→同大学医学部付属病院神経内科学教室講師及び、不定愁訴外来責任者→同病院教授。 他の院内の役職はリスクマネジメント委員会委員長。 電子カルテ導入委員会委員長。東城大学Aiセンターセンター長。 同期の速水晃一、島津吾郎からは「行灯」と、また他の病院関係者からは陰で「グッチー」と呼ばれている。 速水晃一 東城大学医学生→同大学医学部付属病院総合外科学教室→同病院オレンジ新棟救命救急センター部長→極北救命救急センター副センター長。 「ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)」の異名を持つ救命医。 高階権太 帝華大学医学部第一外科講師→東城大学医学部付属病院総合外科学教室講師→同病院消化器腫瘍外科ユニット教授及び病院長→同大学学長。 田口に何かと厄介事を押しつける。また医学生時代より剣道に勤しみ帝華大学、東城大学医学部剣道部の顧問を務める。 世良雅志 東城大学医学生→同大学医学部付属病院総合外科学教室→極北市民病院院長。 医学生時代はサッカー部に所属し、東城大学医学部付属病院で研修医生活を送ったのち病院再建請負人として極北の地を踏む。
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