平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:54 UTC 版)
2002年(平成14年)7月1日 東濃西部3市1町(土岐市、瑞浪市、多治見市、土岐郡笠原町)を枠組みとする東濃西部合併協議会が設置される。 2004年(平成16年)1月25日 東濃西部の合併に関する住民投票が行われ、笠原町以外の3市で合併反対が賛成を大きく上回り、その結果を受け合併計画は白紙となる。この時、新市名の投票も行われ、「土岐川、織部、東濃、陶都、桔梗」から「東濃」が一位となった。尚、市役所新庁舎は土岐市内に建設が決定していた。 2004年(平成16年)3月31日 東濃西部合併協議会が解散する。 以後単独市政をあゆむ。
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:43 UTC 版)
2005年の合併に伴い、地名は、以下の通り変更された。 岡山県津山市○○ → 岡山県津山市○○ 岡山県苫田郡加茂町○○ → 岡山県津山市加茂町○○ 岡山県苫田郡阿波村○○ → 岡山県津山市阿波○○ 岡山県勝田郡勝北町○○ → 岡山県津山市○○ 岡山県久米郡久米町○○ → 岡山県津山市○○ ただし、以下の例外がある。 岡山県勝田郡勝北町山形 → 岡山県津山市新野山形 岡山県久米郡久米町福田上 → 岡山県津山市八社 市外局番は、0868(21 - 32,36,42,46,57)となっている。 0868(21 - 69)エリア津山市・鏡野町(富地区を除く)・勝央町・奈義町・美咲町(旭地区全域と柵原地区の一部(王子・高下・飯岡)を除く)
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 22:28 UTC 版)
2005年(平成17年)と2007年(平成19年)に7町1村を合併した。合併した地区は大字をそのまま継承している。ほとんどは大字の前に旧町名「○○町」を冠する(例:佐賀郡大和町大字久池井→佐賀市大和町大字久池井)。三瀬村のみ、「大字」を表記しないものとした(例:神埼郡三瀬村大字三瀬→佐賀市三瀬村三瀬)。 この地区の大字の変遷については、大和町 (佐賀県)#字の変遷、富士町 (佐賀県)#字の変遷、三瀬村 (佐賀県)#字の変遷、諸富町#字の変遷、川副町#字の変遷、東与賀町#字の変遷、久保田町#字の変遷をそれぞれ参照。
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 16:40 UTC 版)
三瓶町は、もともと山を挟んで隣接する東宇和郡宇和町やごみ処理を共同していた同郡明浜町との関係が深かった。一方、東宇和郡4町は、合併による市への昇格(合併特例)に期限が設けられていたため、急ピッチで合併協議を進めていた。三瓶町が東宇和郡の組み合わせに加わるなら早い時期が望ましいとの姿勢であった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}三瓶町が独自に実施した職員アンケートでも東宇和郡の合併を求める比率が高かった。[要出典]こうした事情のため三瓶町では、郡の属する西宇和郡と八幡浜市との合併ではなく、東宇和郡との合併を志向した。最終的には、東宇和郡全体+三瓶町の合併となった。合併の形態は新設合併である。 課題となったのが、広域行政の処理。消防・救急は消防本部は八幡浜市にあった。ごみ処理も八幡浜市の施設へ持ち込んでいた(元は明浜町との共同で設置した処理施設で処理していたが、老朽化していたうえ、処理人口が少なく、高温連続燃焼などダイオキシン対策が講じにくいといった問題があった)。結果として、三瓶町は長いつきあいのある八幡浜市・西宇和郡の側ではなく、つきあいが薄かった東宇和郡側につき、八幡浜市と郡内の他の町を「振った」形となった。このため、特に、消防や救急などを引き受けてきた八幡浜市は態度を硬化させ、「三瓶地域の消防などは新設される西予市でカバーすべき」「市になる(人口5万人や人口連坦の要件は満たしていないものの、合併特例で市昇格)ならそれくらいの行政能力はあるだろう」との態度であった。[要出典] なお、農業協同組合のエリアとしては西宇和農業協同組合のエリアである。
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:19 UTC 版)
合併協議では、上島地域が離島の集合体であることから合併後の姿の選択肢として次の四つが想定された。 4町村の合併(現在の姿) 他の島しょ部を含む越智郡全体で今治市と大合併「今治地方局市町村合併検討協議会」(2001年4月26日設置、2002年8月9日離脱) 因島市や瀬戸田町との越県合併「因島・上島諸島連携交流協議会」・「しまなみ市構想」 越智郡島しょ部の架橋自治体の合併構想「しまなみ海道周辺市町村合併研究会」(2001年1月4日設置、2002年5月7日断念)に参加 当初、「しまなみ市構想」が模索されたが昭和の大合併でも両県が受理しなかった経緯があり、越県合併の高いハードルから断念せざるを得なかった。(なお、しまなみ市構想自体、瀬戸田町が新三原大橋の架橋を前提に三原市との合併を選択したため断念、その後紆余曲折を経て因島市、瀬戸田町ともに尾道市に編入された。) その後、今治市との合併も検討されたが、因島の生活圏に属する特長を踏まえて地域の特性を保存しようということで、2002年8月9日に正式に今治市との合併断念を表明(残りの11町村は今治市に編入された。)。弓削町、魚島村、生名村、岩城村の4町村で合併することになった。
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:07 UTC 版)
当町は平成の合併で誕生した町であるが、さらに合併協議の中で当初は協議に加わっていたものの、後に離脱した松野町と合併協議を進めていたが、2010年(平成22年)3月末に合併協議会が廃止され、松野町との合併は白紙となった。 このことについての詳細は、松野町の記事を参照のこと。
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平成の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「平成の合併」の解説
新潟市は、2001年(平成13年)1月1日の黒埼町との合併を皮切りに、2005年(平成17年)3月21日には、豊栄市、亀田町、横越町、新津市、小須戸町、白根市、味方村、月潟村、中之口村、西川町、潟東村、岩室村の近隣12市町村を新潟市に編入合併。同じ年の10月10日には巻町も編入。これによって新潟市は現在の市域となり、人口約81万人、面積約726平方キロメートルを有することになった。 いわゆる「平成の大合併」のひとつではあるが、合併の背景としては、道路網や情報伝達手段の発達により、通勤、通学、買い物などの住民の日常生活の範囲が居住する市町村に関係なく拡大。1日の大半を新潟市で過ごす周辺市町村の住民は多いが、他市町村の住民であるために十分な行政サービスを受けることができないといった問題や、行政区域が異なることによる行政サービスの格差が顕在化してきた。 住民サービスを提供する行政側としても、受益の負担と乖離といった問題を直視しなければならず、各市町村では住民に一番身近な自治体として、多様化、高度化した住民ニーズに応えるために、効率的、効果的な行政運営を行うことが求められてきていた。
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