中岡家
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「はだしのゲンの登場人物」の記事における「中岡家」の解説
中岡 元(なかおか げん) この作品の主人公。通称「ゲン」。中岡家の第四子・三男。登場時は国民学校(小学校)2年生。以後は小学校4年生、中学校1年生、中学卒業後の順に章立てが成されていく。お調子者だが、根は真面目な性格。後に、次男の昭から「段々頑固な父ちゃんに似てきた」と評される。原爆投下の際に女性に呼び止められたことにより建物の塀の影に入っていたため、熱線の直撃を受けず奇跡的に助かった。原爆症の影響で直後に脱毛してしまうが後に再び生え揃った。原爆で父の大吉・姉の英子・弟の進次を亡くしながらもたくましく生きていく。特技は絵画と浪曲と読経。また、浪曲を朗々と詠み上げたり、英語の歌やお経を短期間で習得しており、一目見ただけで光子の肖像画を正確に描く等、記憶力にも優れている。ケンカも強く、相手の股間への頭突きや手足への噛み付きが得意技。劇中のケンカでは同年代相手や集団相手にも、ほぼ負け知らずで、時にはヤクザや元軍人にも立ち向かう。自ら「鍛え方が違う」と相手に度々言うほどの修羅場をくぐっている。 尊敬する相手は両親。小学校の作文では国民は天皇陛下の子供という考えが教育や風習として浸透している戦時中にもかかわらず、クラスで一人だけ「父ちゃんの子供」と言って担任教師から殴られたほどである。そのため、母の君江が亡くなった時には、彼女の遺体を持ってマッカーサー元帥や天皇の下へ行き、広島へ原爆を投下したことを非難しに行こうとする程だった(しかし、兄の浩二に止められ未遂に終わる)。両親は死後も回想シーンに幾度か登場しており、逆境に気持ちが折れかけても彼らの言葉に励まされ成長していく。初恋の相手は中尾光子であり、当初は光子が犬猿の仲の中尾重蔵の娘と知って落胆したが、自分が描いた光子の似顔絵を隆太が見せることで仲介し、それが縁で2回デートしたが、光子は原爆症で急死してしまう。 思想は戦時中の大吉の強い影響および戦争直後における悲惨な体験から、軍国主義や天皇制をその元凶と信じている。戦争を憎んでいるために、戦争を美化したりわずかでも肯定する者に対しては厳しく、大人に対しても鉄拳制裁を加えることがある。アメリカに対しても原爆投下以外に進駐軍兵士の横暴さや被爆者を食い物にする組織を目撃した影響などから快く思っていないが、被爆死したアメリカ兵の捕虜に対しては哀れむ様子も見せている。一方、大吉の影響と朴との交流で、当時差別の対象となっていた朝鮮人に対しては蔑視が無い。 小学校や中学校に通っているものの、隆太と関わったり、仕事でお金を稼ぐのを優先してズル休みをしていることが多い。また、命を尊重しており、お金よりも人の命を優先している。 中学生の頃知り合った天野の影響で画家を目指すようになり、最後は未来を切り開くために生まれ育った広島に別れを告げ東京に旅立つ。なお、幻となった続編の構想では、フランスで絵の修業をすることになっていた。 モデルとなった人物は作者本人。原爆が投下された時、女性に呼び止められて助かったのは事実だが、作者本人は当時国民学校1年生である。また、被爆時の脱毛も実際は後頭部にとどまっており、原因は火傷の放置によるものである。 中岡 大吉(なかおか だいきち) ゲン・浩二・昭・英子・進次・友子の父親。下駄の絵付け職人。京都で蒔絵と日本画の修行をして広島に帰り、君江と見合い結婚した。「踏まれても踏まれても真っ直ぐ伸びる麦のように強くなれ」とゲンら兄弟に言い聞かせて育てた。戦時中から「日本は負ける」「朝鮮人を馬鹿にするな」と叫んで戦争に強く反対していた。また、町内で開催される竹槍訓練に酩酊状態で参加したり、放屁するなど全くやる気が無く、そのことを指導官や町内会長の鮫島伝次郎らから指摘されても「こんなもので戦っても銃で攻撃されたら皆殺しにされるだけで無駄なこと」「日本は他の国と仲良くしなければならない」などと言い放ち、途中で抜け出した。これらの言動で家族と共に非国民扱いされて特高警察に連行され激しい暴行を受け、指導官や町内会長を始めとして町内の住民ほとんどを敵に回すことになり、一家は社会から迫害を受けていた。 実写版では、日頃の反戦的な態度に加え、戦意高揚のためのプロパガンダアートを描くことを拒否した過去(映画版)や、左翼系の劇団と関わりがある疑い(テレビ版)などの背景が付与されている。このため、自分はもとよりゲンら家族までが周囲から様々な迫害を受けたが、決して自分の考えを曲げることは無かった。 やんちゃが過ぎるゲンや進次、疎開から脱走した昭に体罰も辞さない威厳を持ち君江も呆れるほどの頑固者であったが、人の道を外れることを嫌い、飾り気の無い姿に君江を含める家族はもちろん、隣人の朴を含めた数少ない支持者から尊敬されていた。そんな不憫な家族を思い予科練に行くと決めた浩二を死なせたくない一心で反対したが、最後は浩二に対し生きて帰ることを願いながら涙ながらに万歳三唱で送り出す。原爆投下の際に英子・進次ともども自宅の下敷きになり、家族を見捨てることをためらうゲンに対し、強く生きることを諭しながら焼死した。物語の早い段階で死亡したが、ゲンの生き方、人格に最も強い影響を与えた人物であり、回想シーンや遺骨や幻影の形で死後も作中に頻繁に登場する。 モデルとなった人物は作者の父・晴海で、漫画と同じく日本画家であり原爆投下時に家の下敷きになり死亡している。なお、生前は広島の前衛芸術をリードした山路商が舞台美術にかかわり、薄田太郎が同人として、丸木位里が公演に参加した広島に存在した素人劇団「十一人座」に参加していた。 中岡 君江(なかおか きみえ) ゲン・浩二・昭・英子・進次・友子の母親。優しいが、いかなる理由でも他人に暴力を振るうことを良しとしない芯の強い女性。結婚前は、広島で評判の美人だった。大吉の志を理解しつつも、子供達までもが非国民扱いを受けることを苦悩し、戦争を恨む。原爆投下の際は、2階のベランダで洗濯物を干していた最中で、屋根の影に入っていたため熱線を浴びず、風圧で吹き飛ばされるも家屋の下敷きにならずに助かった。作品冒頭の時点で既に身重であり、原爆の猛火の中で末娘の友子を産み落とす。未亡人となりゲン達を抱えて艱難辛苦、辛酸を舐めるが、ゲンの大きな心の支えであり、 戦災孤児に対しても分け隔てなく優しく接するその慈愛に満ちた人柄から隆太や隆太の仲間からも実の母親同然に慕われる。1948年に吐血し、隆太の活躍で手に入れた金で入院する。そこで、余命4カ月を宣告を受けるが本人には知らされずに退院し、自宅療養する。1949年、大吉との新婚旅行先であった京都への旅行中に吐血、病院へ行くも、ゲンたちに看取られ客死する。火葬後は放射能の影響で遺骨らしい遺骨が残らなかった。死因は原爆症による胃癌であった。 モデルとなった人物は作者の母・君代。実際の中沢の母は60歳まで生きた(1966年死去)。脳出血を発症した後は長く寝たきり生活を送っていた。火葬後の遺骨が残らなかったのは作者の実体験を元にした話であるが、加齢や疾患の影響で遺骨が原型を留めないケースはままあり、原爆症との因果関係については作者の思い込みの可能性も高い。 中岡 浩二(なかおか こうじ) 中岡家の第一子・長男。登場時17歳。病理学の研究家を志していた。戦時中は家族が非国民として迫害されるのをはね返すため、海軍の予科練に自ら志願し、鹿児島県の海軍航空隊に入隊した。軍隊の内部から戦争の悲惨さを実感し、また同期の花田照吉の自殺を訓練中の事故死として処理され、国のために息子が死んだことを喜ぶ花田の両親を見て、大吉の言っていたことが正しかったと改めて知る。 戦場へ行くことなく終戦を迎え、広島に戻る。6巻の発言で特攻隊にいたようである。戦後は父亡き後の大黒柱として、家計のため鉄工所に就職する。後に高い給金に惹かれ景気の良い博多の炭鉱に出稼ぎに行くが、大黒柱の重荷に疲れ、飲んだくれの生活を送っていた。後半は広島市近郊の工場に再就職し、広子という女性と結婚する。アニメ映画版には登場しない。 モデルとなった人物は作者の長兄・浩平(作者の自伝漫画『おれは見た』では「康人」となっている)。本作と異なり航空隊に志願しておらず、学徒動員で召集を受け呉で泊まり込みで働いていた。戦艦大和を溶接したのが彼の後の自慢でもあったという。 中岡 英子(なかおか えいこ) 中岡家の第二子・長女。国民学校5年生。物静かで大人しく清楚な少女だが、無鉄砲な弟たちを叱ったりもするしっかり者として描かれる。元々病弱だったゆえに学校の集団疎開には行けなかった。鮫島竜吉に金を盗んだなどとでっち上げられ、担任の沼田も「非国民の子供だから」などと言い分もろくに聞かず事実確認もせず身ぐるみ剥がされる身体検査をされる(同時にゲンも「戦争反対」の作文を書いたことで職員室に連行されている。テレビドラマ版では上級生から「英子が校長室に連れていかれた」と聞かされ急いで駆け付けた)など理不尽な嫌がらせを受けることもあった。このことを聞いた大吉は激怒し、学校に殴り込んで竜吉と沼田を鉄拳制裁し、竜吉が嘘を白状したことで英子の無実が晴れた(テレビドラマ版では竜吉は殴られていない)。原作とアニメ版では原爆投下の際に家の下敷きになり、大吉と進次と共に焼死しているが、実写映画版・テレビドラマ版・小説版ではゲンが家に戻った時には、既に家の下敷きとなって死亡している。 モデルとなった人物は作者の姉・英子。作者の話によれば原爆投下時に家の下敷きになり死亡しているが、立ち会った中沢の母から姉に呼びかけても返答がなかったので即死だったのだろうと伝えられている。 中岡 昭(なかおか あきら) 中岡家の第三子・次男。登場時は国民学校3年生。原爆投下時は、学校の集団疎開により広島県山県郡の山間部にいたため、原爆投下の難を逃れた。集団疎開の際にはあまりにひもじい生活のため友人の田村と共に一度脱走したが、家族の想いを受け止めて疎開先へ戻る。戦後は、中岡家の暮らしを支えるために家庭菜園をはじめとする食糧調達に勤しんでいた。浩二が博多に出稼ぎに行った後は、ヒステリックな言動が多くなる。中学2年生のときに繊維問屋の商人を目指すため、大阪に旅立った。アニメ映画版、テレビドラマには登場しない。 モデルとなった人物は作者の次兄・昭二。作者の話によれば、疎開していた時に枕の中に入っていた大豆を食べ尽くしたことがあったという。 中岡 進次(なかおか しんじ) 中岡家の第五子・四男。未就学児。いつもゲンの傍にいて、ゲンの浪曲に合わせて踊るのが得意。食べ盛りでいつもお腹を空かせてはゲンと兄弟喧嘩になる。原爆投下の際に家の下敷きになり、ゲンがガラス屋の堀川から貰った模型の軍艦(ガラス屋のエピソードが割愛されたアニメ版ではゲンの手製となっている)を抱いたまま焼死した。 テレビドラマ版では大吉に促され、軍艦マーチの替え歌を唄いながら焼死するエピソードになっている。 モデルとなった人物は作者の弟・進。実際に漫画と同じく原爆投下時に家の下敷きになり死亡しているが、軍艦のエピソードは脚色である。作者の実体験では、家族の遺骨を掘り起こした際、弟の頭蓋骨を持った瞬間が脳裏にこびりついて、焼かれて死んだことを「殺すんだったらもっと楽に殺してくれと思った」と後に語っている。 中岡 友子(なかおか ともこ) 中岡家の第六子・次女。とてもかわいらしい女の子で、孤児たちの希望だった。1945年8月6日、原爆投下後間もなくして誕生。「友達がたくさんできるように」との願いをこめてゲンが名づけた。しかし栄養失調と原爆症の併発のため1年後(テレビドラマ版では1946年8月)に死去。ただし友子の生前に広島市の第1回平和祭が開催される場面がある(平和祭が開催されたのは1947年8月6日)。単行本では1947年8月6日と記載されているものもある。 モデルとなった人物は作者の妹・朋子(作者の自伝漫画『おれは見た』では「友子」と表記されている)。被爆直後に誕生している点は同様だが、実際には4ヶ月後の12月に栄養失調で亡くなっている。
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