その他の仏像とは? わかりやすく解説

その他の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 19:18 UTC 版)

鶴林寺 (大和市)」の記事における「その他の仏像」の解説

木造阿弥陀如来立像 1体 一木造、彫眼。上品下生来迎印を結ぶ。江戸時代素人作か。

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その他の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 04:42 UTC 版)

花応院」の記事における「その他の仏像」の解説

閻魔大王像 - 木造 像高104cm 近くにあった閻魔堂火災にあったため担ぎこまれたと伝えられている。 閻魔大王像 - 石造 安山岩伊豆石像高24cm 安土桃山時代木造閻魔像の胎内仏 藤沢市指定文化財

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その他の仏像

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法照寺 (藤沢市)」の記事における「その他の仏像」の解説

十一面観音立像 - 像高 115センチメートル総高118センチメートル一木造、彫眼、平安風。秘仏

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その他の仏像

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興福寺の仏像」の記事における「その他の仏像」の解説

中金堂の再建期に一部仏像安置場所が変更されている。以下に示した安置場所は興福寺公式サイトによる(参照国宝・重要文化財興福寺サイト))。 木造千手観音立像(附 像内納入品)(国宝所在旧食堂本尊) (国宝鎌倉時代寛喜元年1229年)頃。像高520.5cm 旧食堂じきどう本尊で、像高5メートル超える大作である。明治初期食堂取り壊されてからは、中金堂に仮安置されていた。1959年食堂跡地食堂外観模して国宝館が建てられると、本像はその中央安置されるようになった。像はヒノキ材の寄木造で、玉眼嵌入する。持物大半と、台座の下(したがまち)を後補とする。 『玉葉によれば治承兵火翌年養和元年1181年)、本像の再興担当仏師任命されたのは成朝であった。しかし、何らかの事情造像中断し最終的に完成したのは半世紀近く後のことである。部材には、像内側から見ると、風雨による汚損認められ部材雨ざらしになっていた時期のあったことがわかる。像内には後述のように、多数納入品があったが、納入品の経巻年記が、早いものは建保5年1217年)、もっとも下るものは寛喜元年1229年)にわたっており、長い年月をかけ、寛喜元年頃にようやく完成したとみられる成朝後を引き継いで像を完成した仏師が誰であるかは判然としない。像は通例四十二臂の千手観音像で、両脚部に表された、断面の丸い、太目の衣文奈良時代風である。 明治40年1907年)の修理時、像内から多数納入品が発見された。納入品の主なもの五輪塔形板銅鏡金銅仏経巻摺仏しゅうぶつ)などである。頭部内面打ち付けられ五輪塔は現在も像内にあるが、他の納入品は取り出され別途保管されている。銅鏡木製蓮台立てた白銅秋草鏡で、鏡面千手観音の小咒(しょうしゅ)と梵字針書きする。金銅仏は3躯あり、全高27.5センチ聖観音立像全高12.7センチおよび4.9センチ千手観音立像2躯である。聖観音奈良時代千手観音大きい方が平安時代後期小さい方が鎌倉時代作品とみられる納入経巻のうち、大般若経巻第五七十八と千手千眼陀羅尼書した1冊の奥書には安貞2年1228年権少僧都憲円の記があり、この憲円が勧進して千手観音像の完成至ったことがわかる。 本像の正式の国宝指定名称は以下のとおり木造千手観音立像旧食堂安置)一躯 像内に睿湛大法師、尼定阿弥陀仏、僧定増法師、祇徳丸等の名がある像内納入品木製五輪塔 1基 梵字千手観音小咒鏡 蓮台付(秋草双雀鏡)1基 銅造観音菩薩立像 1躯 銅造千手観音立像 1躯 銅造千手観音立像 1躯 紙本墨書大般若経 巻第五七十八・千手千眼陀羅尼経 合1冊 各安貞二年孟夏憲円書写奥書 紙本墨書般若心経 3巻 建保年より安貞二年まで堯春等毎月書写奥書 紙本千手観音摺仏 2,428 内4安貞二年の記がある 着色毘沙門天像及び同印仏 1幅 貞応年正三日の記がある 紙本毘沙門天印仏 820 承久年より安貞二年までの押印の記がある 版本千手千眼陀羅尼 46巻 内に寛喜元年四月弘真、道俊等の記がある 紙本墨書奉加結縁交名 1巻 板彫十二神将像国宝所在旧東金堂)(国宝平安時代像高100.3〜 88.9cm 各像は厚さ3センチほどのヒノキ一枚板に浮彫されたもので、12面が完存する因達羅像のみ2枚板)。各像は10世紀末の絵仏師玄朝(源朝)の図像依拠していることが指摘されている。18世紀には東金にあったことがわかっているが、それ以前伝来明らかでない。各像は緑青群青などで彩色されていたが、一部白土下地を残すのみでほとんど剥落している。そのなかで頞儞羅像の胸甲籠目繋ぎ文は比較的よく残っている。当初安置状況不明だが、仁和寺北院の白檀薬師如来坐像例のように、箱型台座四面に3躯ずつ嵌められていたと推定される。『七大寺巡礼私記』の元興寺条には、元興寺の仏後厨子三尺ばかりの「半出十二神将」があったことが記されており、元興寺衰退した後にこの「半出十二神将」が興福寺移されたとする見方もある。 木造阿弥陀如来坐像菩提院大御堂安置)(重要文化財体部鎌倉時代頭部室町時代像高282.0cm 像内納入経願文によれば天文3年1534年)の時点菩提院大御堂安置されていたことがわかる。体部鎌倉時代頭部時代下り室町時代の作とされている。 木造阿弥陀如来坐像(仮講堂所在)(重要文化財鎌倉時代像高225.7cm ヒノキ材、寄木造漆箔の像。もとは観禅院大御堂安置されていた。 木造釈迦如来坐像国宝所在)(重要文化財平安時代像高227.0cm カツラ材(ヒノキ材とも)、寄木造漆箔の像。平安時代末期定朝様阿弥陀如来像である。もと東金堂に安置されていたが、伝来不明である。 木造薬師如来坐像・像内納入経(仮講堂所在)(重要文化財平安時代長和2年1013年)。像高107.2cm サクラ材の一木造内刳りをほどこす。かつては釈迦如来像呼ばれていたが、1931年修理の際、像内から納入品の薬師経発見され、その奥書から、本来は薬師如来像として造られたことと、造像事情判明した。像内に木製蓮台上に立て経筒納入されており、薬師経2巻(うち1巻色紙経)が納められていた。経の奥書によると、本像は輔静が願主となり、長和2年1013年)に造像されたものである。輔静は薬師寺西大寺別当務めた僧である。造像年次明らかな11世紀基準作として貴重である。 像内納入経明細以下のとおり紙本墨書薬師経色紙経) 1巻 長和二年八月十二沙門輔静書写奥書宝治元年五月四日修復奥書 紙本墨書薬師経 1巻 宝治元年七月廿五日奥書 附:竹製経筒木製蓮台付)1口 木梵天立像(仮講堂所在)(重要文化財鎌倉時代建仁2年1202年)、定慶作。重要文化財指定名称は「木造帝釈天立像」。像高181.3cm ヒノキ材の寄木造玉眼嵌入する。像表面は布貼り錆下地彩色仕上げとする。像内の墨書により、建仁2年1202年大仏師定慶、少仏師盛賀、定賀らの作と判明する衣文扱いなどに装飾性の強い、鎌倉期流行した「宋風」の像の一例である。本像ともと対をなしていた帝釈天像は根津美術館所蔵となっている。帝釈天像の像内にも大仏師定慶等の墨書があるが、年紀梵天像より1年早い建仁元年1201年となっている。この帝釈天像は補修多く頭部は後補である。この梵天帝釈天一対西金堂旧安置とも伝えるが、西金堂では同じ建仁2年1202年)に薬王薬上菩薩像が造立されていること、東金堂の維摩居士像が本像と同じ定慶作であることなどから、この一対東金にあったものと推定されている。 木造梵天・帝釈天立像国宝所在)(重要文化財像高 171.5cm 166.5cm 鎌倉時代の像だが、肉付け平板で、慶派とは異な仏師の作と思われる東金堂旧安置伝えるが、東金堂に安置されていたのは上述定慶作の梵天帝釈天であった可能性高く、本像の本来の安置堂宇不明である。 木造地蔵菩薩立像(仮講堂所在)(重要文化財平安時代像高139.7cm 一木造内刳りほどこし台座蓮肉も本体と共木とする。肉身部に金泥、衣には截金をほどこすが、これらは当初のものではない。平安時代10世紀頃の作とみられる。なお、蓮華座室町時代のもので、光背も後補である。 厨子入木造弥勒菩薩半跏像国宝所在)(重要文化財) 附 弥勒仏弥勒菩薩千仏摺仏190像内納入品鎌倉時代像高57.7cm、厨子高さ165.8cm 大乗院持仏堂伝来した像。厨子含めて重要文化財指定されている。ヒノキ材の寄木造で、眼には玉眼嵌入し、宝冠、胸飾などは金銅製とする。肉身部は漆箔着衣金泥塗に群青緑青などの彩色截金雷文亀甲七宝つなぎなどの文様を表す。獅子支え蓮華座上に左脚を踏み下げて坐す光背は後屏形の上円光乗せた独特の形式になる。像内には弥勒摺仏しゅうぶつ90納入されていた。なお、重要文化財指定名称は「半跏像」となっているが、右足を左腿に乗せていないため、厳密に半跏ではなく踏み下げ坐像である。厨子黒漆塗、方形で、天井には天蓋飛天6躯を取り付ける飛天は後補)。厨子四面の扉(計8)には極彩色絵画があり、文殊菩薩維摩居士像、無著世親像のほか、四天王不動明王大輪明王祖師像などを描く。像は鎌倉時代前期厨子鎌倉時代後期の作とみられる厨子入木造吉祥天倚像中金所在)(重要文化財南北朝時代暦応3年1340年)、寛慶作。像高64.3cm、厨子高さ102.0cm 厨子含めて重要文化財指定されている。本像は台座裏の墨書から造像年代経緯が明らかである。それによると、作者木所大仏師寛慶絵所大仏師法眼命尊であり、唐招提寺十代長老慶円導師として、暦応3年1340年5月晦日供養され、同年6月1日唐招提寺から興福寺金堂移された。ヒノキ一木造内刳りはない。彩色截金仕上げ天冠、胸飾、腕釧(わんせん)は金銅造のものを取り付け光背金銅製である。像を納める春日厨子は像と同時期の作で、正面扉の左右に梵天帝釈天像、奥壁に七宝山を描く。この厨子と像とは全体吉祥天曼荼羅形成している。 銀造仏手国宝所在)(重要文化財奈良時代現存長42.2cm 1937年10月30日銅造仏頭とともに東金堂本尊台内部から発見されたもので、銀造の仏像右腕である。火災で像が焼け落ちた後に右腕のみが運び出されたものと思われ、肘上約20センチほどの部分から右手指の第一関節あたりまでが残存する興福寺記録に残る銀仏としては、『興福寺流記』「延暦記」にある東金堂の純銀弥勒仏像(のち西金堂へ移る)、『七大寺巡礼私記』に言及される西金堂の銀釈迦立像(高さ六尺三寸、旧海龍王寺像)がある。この仏手が以上の記録に残る像に属していた可能性もあるが、正確なことは不明である。古い時代の銀仏の現存するもの少なくわずかに残る作品東大寺法華堂不空羂索観音立像頭上化仏(けぶつ)などの小品であり、本作右腕のみの残欠とはいえ、銀仏の実例として貴重である。 木造大黒天立像中金所在)(重要文化財鎌倉時代像高93.8cm ヒノキ材の一木造。像表面荒彫り風の仕上げで、一部ノミ痕を残す。彩色剥落している。後世福神型の大黒天像とは異なり、本来の武神面影を残す。 木造広目天立像奈良国立博物館寄託)(重要文化財鎌倉時代像高157.4cm 四天王像のうちの1躯。カツラ材の一木割矧造で、玉眼使用しないが、瞳に黒色の珠を嵌入する。右手首から先を欠き左手の持物欠失している。本像と本来一具をなしていた四天王像の他の3躯は寺外に流出したが、いずれも現存し重要文化財指定されている。持国天像は、実業家茶人美術コレクターとして知られる益田孝所蔵となり、他の所蔵先経て滋賀MIHO MUSEUM蔵となっている。増長天像と多聞天像は、別々の所蔵先経て奈良国立博物館となっている。この一具四天王像は、本来興福寺のどの堂に所属していたもの不明である。制作年代鎌倉時代初期とみられるが、11世紀頃の定朝派の作とする研究者もいる。 木造聖観音立像弥勒菩薩立像)(本坊持仏堂安置)(重要文化財鎌倉時代、快円作。像高87.0cm 寄木造玉眼嵌入する。肉身部は粉溜、衣は彩色の上截金蓮華唐草七宝繋ぎ卍字繋ぎ雷文などのさまざまな模様を施す。体部台座蓮弁一枚一枚瓔珞ようらく)を飾り両脚部を横切る2本の天衣互いにからんでW字形をなすなど、全体的に装飾性の強い像である。本坊持仏堂安置され平素は公開されていない聖観音像と呼ばれているが、本来は弥勒菩薩像として造立されたものである木造釈迦如来立像重要文化財1929年盗難

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その他の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 04:50 UTC 版)

大興善寺 (佐賀県基山町)」の記事における「その他の仏像」の解説

重要文化財木造広目天立像多聞天立像 2躯 本堂内に、元太宰府天満宮本地仏であった十一面観音座像不動明王立像毘沙門天立像安置されている。これは明治初期廃仏毀釈の際に大宰府から招来されたと伝えられている。

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