巻第五
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 14:02 UTC 版)
5-1 5-2 5-3 5-4 5-5 5-1(第三十六 小豆洗)小豆あらい(あずきあらい) 「山寺の小僧谷川に行てあづきを洗ひ居たりしを同宿の坊主意趣ありて谷川へつき落しけるが岩にうたれて死したりそれよりして彼(かの)小僧の霊魂おりおり出て小豆をあらひ泣(なき)つ笑ひつなす事になんありし」(山寺の小僧が谷川に行って小豆を洗っていたところ、同じ宿坊で修行する僧が来て、意趣のあったその小僧を谷川へ突き落とした。小僧は岩に叩きつけられて死んでしまったが、それ以来、小僧の霊はときどき現れ出て、泣いたり笑ったりしながら小豆を洗っているということだ) 5-2(第三十七 山男)山おのこ(やまおのこ) 「深山(しんざん)にはまま有(ある)者也背の高さ二丈斗(ばか)りにて其(その)形鬼のごとし山賤(やまがつ)など是に逢(あひ)て逃(にぐ)ればあやまちあり頼む時は柴(しば)を負(おひ)て麓(ふもと)までおくれりこれ其(その)力ぢまんとぞ」(深い山にはよくいる者だ。背の高さは2丈〈約3メートル〉ほどで、その姿かたちは鬼のようだ。山仕事をする者たちがこれに遭遇して逃げるときには間違いが起こる。頼りにした時は柴を背負って麓まで送ってくれる。これは山男がその力を自慢したいからだ) 5-3(第三十八 恙虫)恙むし(つつがむし) 「むかしつつが虫といふむし出(いで)て人をさし殺しけるとぞされば今の世もさはりなき事をつつがなしといへり下学集などにも見ゆ」(昔は恙虫という虫が出て刺されて人が殺されたりしていたという。であるから今も息災なことを「つつがなし」(無恙)という、これは『下学集』などにも見える説である) 5-4(第三十九 風の神)風の神(かぜのかみ) 「風にのりて所々をありき人を見れば口より黄なるかぜを吹(ふき)かくる其(その)かぜにあたればかならず疫(えき)傷寒(しやうかん)をわづらふ事とぞ」(風に乗って様々な所を歩き、人を見れば口から黄色い風を吹きかける。その風に当たれば必ず流行り病や傷寒を患うことになるということだ) 5-5(第四十 鍛冶が媼)鍛冶が嬶(かじがばば) 「土佐国野根(のね)と云処に鍛冶屋ありしが女房を狼の食殺しのり移りて飛石(とびいし)といふ所にて人をとりくらひしといふ。」(土佐の国の野根〈土佐国安芸郡野根村。現在の高知県安芸郡東洋町野根〉という所に鍛冶屋がいたのだが、その鍛冶屋の女房を狼が食い殺したところ、死んだ女房の霊が狼に乗り移り、飛石という所で人間を捕らえ食らうようになったという) 本文では、野根助四郎国延(のねのすけしろうくにのぶ)という刀工の流れを組む野根重国(のねのしげくに)の女房が狼に喰い殺されてしまい、人を襲うようになったという話が書かれている。逸作(いつさく)という郷士が白い毛の狼を退治したところ、重国の女房の幽霊は出なくなったという。 5-6 5-7 5-8 5-9 5-6(第四十一 柳婆)柳ばば (やなぎばば) 「古き柳には精(せい)有て妖(よう)をなす事むかしよりためしおほし」(柳の古木には精が宿っていて、妖しい出来事は昔から数多く起こっている) 5-7(第四十二 桂男)桂おとこ (かつらおとこ) 「月をながく見いり居(い)れば桂おとこのまねきて命ちぢむるよしむかしよりいひつたふ」(月を長く見過ぎてると、桂男が手招きしてきて寿命が縮んでしまうよと、昔から言い伝えられている) 5-8(第四十三 夜の楽屋)夜楽屋(よるのがくや) 浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』に用いられる高師直と塩冶高貞の人形が夜間に争っていたという話。 昭和以降の妖怪図鑑や事典などでは「人形の霊」の名で紹介されている。 5-9(第四十四 舞首)舞くび(まいくび) 「三人の博徒(ばくと)勝負のいさかひより事おこりて公にとらはれ皆死罪になりて死がいを海にながしけるに三人が首ひとところによりて口より炎をはきつけたがひにいさかふを昼夜やむことなし」(博打をしていた3人の博徒は激しく争ったことで公儀に囚われ、みな死罪となったが、その遺体を海に流したところ、3人の首は一箇所に集まり、口から炎を吐きながら諍いつづけており、それは昼夜終わり無く続いている)
※この「巻第五」の解説は、「絵本百物語」の解説の一部です。
「巻第五」を含む「絵本百物語」の記事については、「絵本百物語」の概要を参照ください。
- 巻第五のページへのリンク