像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 3388 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1229 |
検索年代: | |
解説文: | 文治元年(一一八五)に建礼門院が隠棲したことで著名な寂光院の、本堂本尊である。江戸時代の地誌には、本尊八尺地蔵として存在が記されるが、それ以前の伝来は明らかにできない。 像は肩幅の広い太造りな躰躯に、力強い衣文を刻み、堂々とした風格をあらわすことに成功している。その大把みな面のとり方や、やや角ばった下ぶくれの顔だちは、建長六年(一二五四)供養の奈良・福智院地蔵菩薩坐像などに共通するものがあり、製作は鎌倉時代中期の十三世紀半ばから後半頃と考えられる。近年の小修理時に、像内から多数の木造地蔵菩薩立像(像高一〇センチ内外)が発見されたが、その全容は未詳である。現在、本像の周壁に六万躰地蔵と呼びならわされている多数の小像が安置されるが、あるいはその一部も、もと本像に納入されていた可能性がある。 檜材、寄木造、漆箔、彫眼。頭躰幹部は両躰側を通る線と正中線で四材を矧ぎ、内刳り。三道下に矧目がある。両躰側部に各前後二材を矧ぎ、袖、前膊、手首、足先等を矧ぐ。像表面の漆箔、持物等、及び光背、台座は後補である。 |
像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 1394 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1906.09.06(明治39.09.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 経巻 1238 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 1610 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1973.06.06(昭和48.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1285~1303 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 1615 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1924.08.16(大正13.08.16) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 像1280 納入品1247・1266・1270・1275 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 3375 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1983.06.06(昭和58.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1232 |
検索年代: | |
解説文: | 来迎印を結ぶ三尺の弥陀立像で、低い肉髻と鉢の張った地髪部に大粒の螺髪を刻み、髪際を波形にし面長な顔に造る頭部に特色がある。衣文は線条的な襞を多用して装飾的に表わしているが、それらには鎌倉初期彫刻の余韻が感じられる。頭・体部共桧材の前後二材矧とし、丁寧に内刳りを行って頭頂まで黒漆を塗り、全面にわたって種子曼荼羅や梵字の宝篋印陀羅尼等を朱書する。像内には曼荼羅や法華経、浄土三部経などを納めていたが、経典類は仏子永厳が貞永元年六~九月にかけて書写したもので、その紙背にも曼荼羅を摺写している。曼荼羅には二種類あるが、いずれも熱田神宮の本地仏を表わしたもので、熱田本地仏曼荼羅としては最古の遺品である。当代の垂迹信仰を背景とした熱田神宮寺関係の造像と考えられ、宗教史上にもその価値は高い。 |
像内納入品
主名称: | 像内納入品 |
指定番号: | 3460 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1996.06.27(平成8.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 烏帽子を被り、狩衣を着け、左肩に大袋を背負って立つ大黒天像である。下ぶくれの福々しい顔立ちと肥満した体躯、丸みのある手足など、福神らしい親しみやすい姿が堅実な彫技で表されている。頭体幹部を通して前後二材より造り、両肩外側部ほかに別材を矧ぎ付けている。表面彩色は大半が剥落し素地を表している。 像内には版本法華経(一部八巻)四帖、版本大般若経理趣分一帖、諸尊種字曼荼羅一巻、木製五輪塔一基、木造大黒天半跏像(曲物笥入)一躯、弁才天懸仏(同)一面が納められていた。このうち大般若経理趣分には建長七年(一二五五)、印玄の刊記がある。印玄の名は奈良・元興寺聖徳太子立像(重要文化財 文永五年=一二六八)納入品の結縁交名中に見える。『興正菩薩行実年譜』によれば建治二年(一二七六)、大黒天の霊験を感得した西大寺中興の祖、叡尊が仏工善春にその像を造らせ、浄廚に安置したという。本像はこれに当たる可能性が高い。善春は元興寺聖徳太子像や西大寺興正菩薩坐像(重要文化財 弘安三年=一二八〇)の作者として知られる仏師である。 納入品のうち総高五・三センチの大黒天像は当代木彫の技巧を如実に示す遺品である。懸仏は鍍錫した銅板に金銅製半肉彫の二臂琵琶弾奏形の弁才天坐像を付す。文永二年(一二六六)銘の鶴岡八幡宮像(重要文化財)とともにこのタイプの弁才天像の古例として注目され、これも叡尊の弁才天信仰との関わりが想定される。これらの納入品の有する意義は本体に勝るとも劣らぬものがある。 |
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