不空羂索観音立像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 08:07 UTC 版)
詳細は「東大寺不空羂索観音立像」を参照 国宝。脱活乾漆造。像高362.0センチメートル。天平時代を代表する仏像彫刻の1つに数えられている。須弥壇中央部、八角形二段の壇上に立つ。この壇は「黒漆八角二重壇 1基」として、国宝の附(つけたり)指定になっている(2010年追加指定)。像は三目八臂で額に縦に第三の眼を有する。8本の腕のうち2本は胸前で合掌し、両掌の間に水晶珠を挟む。残りの6本の腕のうち、下方に伸ばした2本には持物(じもつ)はない。他の4本の手のうち左第1手には蓮華、左第2手には羂索、右第1手には錫杖をそれぞれ持つが、これらの持物はいずれも後補である。右第2手の持物は失われているが、他の不空羂索観音の造像例からみて、払子を持っていたものと思われる。左肩から腕にかかる布状のものは経典の記述に基づき、鹿革を表したものである。六重の台座は当初のものである。木造透彫の光背は、蓮弁形の枠に48本の光条を配したもので造像当初のものであるが、現状ではこの光背は本来の位置よりかなり下方にずれて取り付けられており、本来は頭光(ずこう、光背上部の円形部)の中心が像の頭部の真後に来なければならない。これについては、元来あった光背の基礎部分が失われたためではないかといわれている。像は全身に漆箔を施し、光背や宝冠には多数の光条を付けるなど、光り輝くイメージを強調している。 不空羂索観音は密教系の変化観音であり、経典にはこの観音を摩醯首羅天(まけいしゅらてん、マヘーシュヴァラ)と同体であると説く。摩醯首羅天は大自在天とも称し、バラモン教のシヴァ神を起源とする。不空羂索の「不空」とは「空(むな)しからず」の意であり、「羂索」は手に持つ縄(元来は狩猟用具)を指す。つまり、あらゆる衆生をもれなく救う観音との意である。不空羂索観音について説く主要経典は『不空羂索神変真言経』及び『不空羂索神呪心経』で、いずれも天平7年(735年)唐から帰国した玄昉がもたらしたものである。不空羂索観音を三目八臂に造ることは経典に明記されないが、経典に不空羂索観音は「摩醯首羅天のごとし」とあることをもって、摩醯首羅天(大自在天)と同じ三目八臂の姿としたものといわれている。 法華堂本尊像の造像の経緯については、直接記す同時代史料がなく、詳細は不明である。先に言及した天平19年(747年)正月8日付の正倉院文書をもとに、同年頃の完成とみる意見がある一方、天平12年(740年)、藤原広嗣の乱平定のため、国ごとに観音像を造らせたことを契機として造像されたとする説もある。いずれの説をとるにしても、不空羂索観音の呪術的威力に期待した造像であったとみなされる。前者の天平19年頃完成説を取れば、本像の制作は東大寺大仏開眼の直前であり、この観音の力によって、大仏造立を無事成就させようとの意図があったと推測されている。像が立つ八角二重の須弥壇は、年輪年代調査の結果、729年に伐採された木材が使用されていることが判明し、この年代を像自体の制作年代と関連づけようとする考えも出てきている。 なお、本像の頭上にある銀製の宝冠も、奈良時代の工芸遺品として価値の高いもので、世界三大宝冠のひとつに数えられている。宝冠は高さ88センチメートル。銀の延板製の輪を3段重ねた上にやはり銀の延板で籠状の構造を作る。この骨組の各所に銀製宝相華透彫の板を取り付け、頂上部には火焔宝珠、正面には銀製の阿弥陀の化仏、左右には銀製の竿の上に六稜鏡を取り付ける。さらにこれら全体を2万数千個を超えるコハク、ヒスイ、瑠璃、真珠、水晶などの宝石類で装飾している。各所の飾板は透彫に加えて鋤彫(すきぼり)で細かく文様を表す。宝冠の正面に阿弥陀如来の化仏を付けるのは観音像の図像的特色であるが、この宝冠に付けられた化仏は銀製の仏像の作例として稀有のものである。本像が立つ須弥壇は、「黒漆八角二重壇」の名称で、国宝の附(つけたり)として指定されている。
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