経典の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 17:04 UTC 版)
パーリ語経典においては、『大般涅槃経』等で繰り返し言及される他、以下でも、詳しく説かれている。 『大念処経』(大念住経、長部第22経) 『念処経』(四念処経、中部第10経) Kathañca bhikkhave, bhikkhu sato hoti: idha bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpīsampajānoatimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ,vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ,citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃdhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ. Evaṃ kho bhikkhave, bhikkhu sato hoti. 比丘たちよ、では、比丘は、どのように気づいて(サティ)いるのか?比丘はいま、身(kāye)について、身を観つづけ、正知をそなえ、気づき(サティ)をそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。受(ヴェダナー)について、受を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。心(チッタ)について、心を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。法(ダルマ)について、法を観つづけ、正知をそなえ、気づをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。比丘たちよ、比丘はじつにそのようして、正念のものとなる。 —パーリ仏典, 長部大念処経, Sri Lanka Tripitaka Project
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