マインドスポーツ
(頭脳スポーツ から転送)
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マインドスポーツとは、高い思考能力を用いて競われるゲームを一種の「スポーツ」と見なしたもの。頭脳スポーツとも呼ばれる。
概要
1996年に教育コンサルタントトニー・ブザンによって、バックギャモンが記憶能力や判断能力などの脳の肉体的能力を使う「スポーツ」であると呼ばれ始めたのが起源である。ブザンは1997年からマインドスポーツオリンピアードという複数のボードゲームやカードゲームで競う大会を毎年開催し、「スポーツ」といえば運動競技という考えが定着しているヨーロッパに、新しい「マインドスポーツ」の概念を導入しようと試みた。
2005年には、国際チェス連盟(チェス)、国際ドラフツ連盟(チェッカー、ドラフツ)、国際囲碁連盟(囲碁)、世界ブリッジ連盟(コントラクトブリッジ)の4つの国際競技団体が結集し、国際マインドスポーツ協会(IMSA)が創設された(2015年に世界シャンチー連盟(シャンチー)、2017年に麻雀国際連盟(麻雀)、2018年にカードゲーム連盟(トランプ全般)が加盟)[1]。国際マインドスポーツ協会による国際オリンピック委員会(IOC)への働きかけ[2] でワールドマインドスポーツゲームズ(WMSG)第1回大会が2008年に北京オリンピック後の中国北京市で開催されている。WMSG組織委員会の名誉会長には当時のIOC会長ジャック・ロゲが就いた[2]。スポーツアコードワールドマインドゲームズも国際競技団体連合とIMSAによって北京で行われている。
また、頭脳スポーツ財団(brain&mind-sports foundation)主催の「国際頭脳スポーツフェスティバル」が東京体育館で2004年から開催され、2回目が2013年に横浜で開催されたがトラブルとなった。なお、アジア・オリンピック評議会(OCA)が主催するアジア競技大会では、カタール・ドーハの2006年アジア競技大会でチェスが、中国・広州の2010年アジア競技大会で囲碁が、インドネシア・ジャカルタの2018年アジア競技大会でコントラクトブリッジが正式種目となっており、同じくOCAが主催するアジアインドアゲームズでは中国・マカオの2007年アジアインドアゲームズからチェスとシャンチーが正式種目となった。
日本でも頭脳スポーツ財団が総合の競技大会の開催を目標に活動しており、文部科学省も頭脳スポーツふれあい体験会などを開催している。「頭脳スポーツ Mind Sports[3]」、「Mind Sports[4]」は、日本国において頭脳スポーツ財団が登録商標を取得している。
代表的なマインドスポーツ
伝統的なボードゲームやカードゲームの大半がマインドスポーツに含まれる。丁半やルーレットなど運が支配的なカジノゲーム(ギャンブルゲーム)は除外されることが多いが、運要素のあるゲームであってもポーカーやバックギャモンのように戦略・競技性が高ければマインドスポーツに分類される。
国際マインドスポーツ協会が主催するワールドマインドスポーツゲームズでは、2008年の第1回大会ではチェス、シャンチー、ドラフツ(チェッカー)、囲碁、コントラクトブリッジの5競技が実施され、その後、麻雀、トランプ、ポーカー(仮加盟)の国際団体が国際マインドスポーツ協会に加盟し、2018年現在8競技となっている[1]。
1997年に始まったマインドスポーツオリンピアードでは、60を超える様々な競技が実施されている[5]が、このうちチェス、ドラフツ、囲碁、リバーシ、コントラクトブリッジ、マスターマインド、クリエイティブシンキング、メモリースポーツ、暗算、インテリジェンス(IQテスト)の10種目の合計点を競う十種競技としてDecamentathlonが花形競技となっている(2008年からはコントラクトブリッジに代わってバックギャモンが追加された)。
このほか、日本では桑名七盤勝負という名前でチェス、将棋、どうぶつしょうぎ、囲碁、五目並べ(連珠)、リバーシ(オセロ)、バックギャモンの7種目をプレイする大会が毎年開催されている。
運要素の有無、プレイ人数、使用用具などによってさまざまな分類方法が可能であるが、上記に採用された代表的なマインドスポーツ競技を分類別に挙げると以下のようになる。
偶然の要素を含まない2人制ボードゲーム
チェス、シャンチー、将棋、ドラフツ(チェッカー)、囲碁、五目並べ(連珠)、リバーシなどの二人零和有限確定完全情報ゲームに該当する伝統的ボードゲームは、マインドスポーツの代表例として取り上げられる。
偶然の要素を含むテーブルゲーム
ボードゲームではバックギャモン、タイルゲームでは麻雀、カードゲームではポーカー、コントラクトブリッジなどは、偶然の要素が含まれるが戦略性が重要であり、マインドスポーツに含まれる。
思考や記憶などの能力自体を競うもの
メモリースポーツ、数学の能力を競う競技、IQテストなどもマインドスポーツの一種として扱われることがある。
脚注
- ^ a b “History - International Mind Sports Association”. 2021年4月3日閲覧。
- ^ a b “「第1回ワールドマインドスポーツゲームズ」参加5競技6団体「WMSG チームジャパン」結成”. 日本棋院 (2008年5月16日). 2017年4月11日閲覧。
- ^ 商標登録第4906585号
- ^ 商標登録第5842865号
- ^ “About - Mind Sports Olympiad”. 2021年4月3日閲覧。
関連項目
外部リンク
頭脳スポーツ
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識字率が30%であった革命直後から数十年で87%に改善させ、戦後にほぼ100%を達成させるなど基礎教育は充実していた。さらに国威発揚のため専門のトレーニングへの公的な補助が行われた結果、国際数学オリンピックなどの頭脳系スポーツでは強豪国となった。しかし、第1回国際数学オリンピックは「下から2番目の6位」をとってしまい、指導部から𠮟責を受け、3年後の1962年からは高い成績を誇るようになった。 特にチェスは伝統的に盛んで、国民にとっても公認されている数少ない娯楽であったが、ソ連時代には国が管理するチェス学校が各地に建設され、体制が崩壊するまでは世界最高の水準を保っていた。国内選手権の開催や書籍の出版なども盛んだった。コンピュータチェスの研究も盛んで、第1回世界コンピュータチェス選手権でもソ連のプログラムが優勝し、人工知能の権威ジョン・マッカーシーとアラン・コトック率いるマサチューセッツ工科大学とソ連のモスクワ理論実験物理研究所によって行われた世界初のコンピュータ同士のチェス対戦でも勝っている。 チェス界ではプロとアマの区別がないため、ミハイル・タリやミハイル・ボトヴィニク、ガルリ・カスパロフなど、ソ連出身の選手が世界王者を長期にわたって独占していた。一時期は国際大会に出られなかったグランドマスター級の国内選手に対し、ソ連のチェス協会が「ソ連邦グランドマスター」という独自のタイトルを創設したこともあったが、次第にトップ選手ならば試合渡航も許可されるようになった。しかし有力選手がこれを利用して亡命することもあった。特にヴィクトール・コルチノイは亡命後「西側の選手」としてアナトリー・カルポフらソ連代表と国際大会で対戦したことがあり、ソ連側から非難を受けることとなった。 ソ連代表と西側の選手がチームで対戦することもあったが、特にボリス・スパスキーとアメリカ人のボビー・フィッシャーが対戦した1972年の世界王者決定戦は試合の進行をめぐり、クレムリンやホワイトハウスが介入するなど、政治的な問題にまで発展することがあった。敗れたスパスキーはその後の待遇悪化などで、1975年にはフランスへ亡命した。 体制崩壊後は西側へ拠点を移す選手もいたが、ウラジーミル・クラムニクなど、ソ連時代のチェス学校で教育を受けた選手が多数活躍している。旧東ドイツや近隣の東欧諸国でもソ連と似た状況にあった。
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