谷啓
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谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。
注釈
- ^ 有楽町の日本劇場にトロンボーン奏者として出演していた時、舞台と舞台の間に大学の月謝を払おうとして現金持参で中大駿河台校舎まで飛んでいったが、月謝を納める学生たちが行列しており、列に並んでいては次の舞台に間に合わなかったため「カネを払うのに行列まですることはねえだろう」と思って日劇に戻り、そのまま除籍になったという[2]。
- ^ 映画本編には登場していないが、本編終了直後における出演者全員の舞台挨拶「納竿」の1シーンのみ登場し、エンドクレジットには名前も記載されている。
- ^ このことは『植木等とのぼせもん』第三話「俺たち戦友」でとりあげられている。
- ^ 『ガッ』とつかんで『チョン』と引く。
- ^ 後任は伊東四朗。
出典
- ^ a b c “ガチョーンもう見られず…谷啓さん転倒死”. nikkansports.com. (2010年9月12日) 2014年5月28日閲覧。
- ^ 『七人のネコとトロンボーン』p.56
- ^ : 実用第一 昭和12年度 東京地方分冊版 7ページ
- ^ a b 『「家」の履歴書』 光進社 2001年、104-106頁
- ^ 『新撰 芸能人物事典 明治~平成』
- ^ 五歩一勇『シャボン玉ホリデー スターダストを、もう一度』p.152(日本テレビ放送網、1995年)
- ^ “谷啓さんの通夜しめやかに 祭壇には優しい微笑みと愛用のトロンボーン”. ORICON STYLE. (2010年9月13日) 2014年5月28日閲覧。
- ^ “コメディ栄誉賞 谷啓授賞式”. 第3回したまちコメディ映画祭in台東. 2014年5月28日閲覧。
- ^ “谷啓さんにドリフメンバーら追悼続々”. nikkansports.com. (2010年9月12日) 2014年5月28日閲覧。
- ^ “「向こうでクレージーキャッツ」谷啓お別れ会で犬塚弘「再結成宣言」”. J-CAST テレビウォッチ (2010年11月12日). 2021年3月12日閲覧。
- ^ “「谷啓さん、どうもありがとうございました!」 / チーフプロデューサー紙屋聡”. スタッフ制作日記|NHK鑑賞マニュアル 美の壺 (2010年9月13日). 2014年5月28日閲覧。
- ^ 『SWITCH公式ガイドブック』2002年11月1日、小学館発行。P89
- ^ 『七人のネコとトロンボーン』P.118
- ^ 『中国新聞』9月14日付朝刊
- ^ a b 山下勝利『ハナ肇とクレージーキャッツ物語』p.97-98
- ^ 史上最高の一発芸は「ガチョーン」日刊スポーツ 2011年6月4日
- ^ 『おそ松さん』はTVアニメ復活の“のろし”となるか? 社会現象となった理由を徹底解剖Real Sound 2016.03.27
- ^ 「ひよっこ」9話。こんなにも清く正しいのには裏があったエキサイト 2017年4月13日
- ^ 志尊淳、懐かしのギャグ”ガチョーン”に大笑いニュースウォーカー 2017年8月24日
- ^ オレたちひょうきん族 THE DVD 1981〜1982
- ^ 超天才たけしの元気が出るテレビ!!That’sメモリアルPart.2(VHS)
- ^ 小林信彦 責任編集『テレビの黄金時代』キネマ旬報社、1983年5月10日、8 - 9頁。NDLJP:12275394/5。
- ^ 宇多田ヒカル@utadahikaru2015年2月12日
- ^ “あの「マイケル・ジャクソン出世太閤記」をもう一度”. 踊る大香港. 2020年12月6日閲覧。
- ^ 最新作「beatmania IIDX 20 tricoro」のサウンドディレクター陣に聞く,IIDXシリーズの今昔。新曲から制作秘話までみっちり語った2時間を凝縮してお届け4gamer.net 2012/10/11
- ^ “青島幸男さん告別式に700人参列”. 日テレNEWS24. (2006年12月28日). オリジナルの2014年5月28日時点におけるアーカイブ。 2014年5月28日閲覧。
- ^ “ジャングル大帝 劇場版(1997)”. 手塚治虫公式サイト. 2016年6月8日閲覧。
- ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、180 - 181頁。NDLJP:12025175/95。
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