設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 17:19 UTC 版)
「ASM-A-1 Tarzon」の記事における「設計及び開発」の解説
VB-13の開発は1945年2月に開始されており、ベル・エアクラフト社はこの非常に巨大な誘導兵器の開発契約をアメリカ陸軍航空軍と結んでいた。VB-13は、より小型のVB-3 Razon(Rangeおよびazimuth only)で用いられる無線指令誘導システムと、イギリスで開発されたトールボーイ「地震」爆弾とを組み合わせていた。アメリカ陸軍航空軍(USAAF)にはM112として知られていた。「Tarzon」の名称は、兵器及び誘導システムを記述した「Tallboy、rangeおよびazimuth only」を組み合わせた混成語である。またその発音は、創作された著名な猿人のキャラクターであるターザンと同じである。 VB-13は1948年にASM-A-1へと改称され、計画コードMX-604の名の下で開発が行われた。この兵器には、爆弾の重心付近にあたる弾体中央部の周囲に環状翼が装着された。爆弾後尾には八角形の尾翼部分があり、ここにはRazon誘導システムを内蔵している。B-29爆撃機での携行を意図したTarzon爆弾は、B-29側にAN/ARW-38「Joint Army Navy, Piloted Aircraft, Radio, Automatic Flight or Remote Control」コマンドリンク送信機を搭載し、そしてTarzon側にはAN/URW-2「Joint Army Navy, Utility, Radio, Automatic Flight or Remote Control」受信機を搭載するという組み合わせを用いた。これは爆弾の飛翔距離と方向について手動指令誘導機能を与えるためである。爆弾のコース選定は、爆弾尾部に付けられたフレアーの補助を受け、目視誘導で実施された。ASM-A-1内蔵のジャイロスコープは安定性を与え、一方で空圧システムがこの爆弾の舵面を駆動させた。この誘導システムは有効であるとみなされた。試験中、Tarzonの平均誤差半径は85mであることが確認された。 基礎となったトールボーイが公称5,400kgの重さであるのに加え、環状翼及び制御部分がTarzonの重量を500kgぶん追加した。結果、ASM-A-1の寸法と重量はB-29の爆弾倉に収まるような兵器ではなくなった。替わりとしてこの兵器は半引き込み式に携行されることとなり、爆弾の半分が気流に晒されることとなった。これは搭載母機の空気抵抗を増し、さらには乱気流を引き起こしてB-29の操縦に影響を与えることとなった。
※この「設計及び開発」の解説は、「ASM-A-1 Tarzon」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「ASM-A-1 Tarzon」の記事については、「ASM-A-1 Tarzon」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/25 01:12 UTC 版)
「JB-4 (ミサイル)」の記事における「設計及び開発」の解説
計画コードMX-607のもと、オハイオ州ライト飛行場で開発が行われたJB-4は、GB-4滑空爆弾を改修したものであり、この滑空爆弾は1944年にアメリカ陸軍航空隊で就役していた。JB-4の動力はフォードPJ31パルスジェットエンジンであり、これは先行の無動力爆弾と対照的に、改善されたスタンドオフの距離を与えようと意図していた。さらに、追加されたエンジンはこのミサイルを地上発射可能なものとした。ただしエンジン用の燃料を携行する必要から、GB-4のコアを形成する弾体が910kgであるのに比べ、JB-4の弾頭寸法は340kgに制限された。 主として合板構造を利用したJB-4は、テレビジョン/無線指令誘導を用いた。搭載されたAN/AXT-2送信機は、ミサイル先端部に載せられたカメラからの画像信号を、遠隔操縦するオペレーターへと送信した。オペレーターは送信された画像を監視し、無線を介してミサイルに指令を送信、確実に目標を直撃するようミサイルの航路を修正する。
※この「設計及び開発」の解説は、「JB-4 (ミサイル)」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「JB-4 (ミサイル)」の記事については、「JB-4 (ミサイル)」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/09 03:33 UTC 版)
「デ・ハビランド ジャイロン」の記事における「設計及び開発」の解説
ジャイロンはハルフォードにとって、それまで経験を積んできたデ・ハビランド ゴブリン(H-1)やデ・ハビランド ゴースト(H-2)等の遠心式ターボジェットエンジンに取って代わる、最初の軸流式エンジンであった。ジャイロンはまた、超音速航空機専用に設計された、最初のエンジンの一つでもあった。 最初の試運転は1953年9月に実施された。飛行試験は、ショート スペリン試験機を使用して1955年から行われた。スペリンはロールス・ロイス エイヴォンターボジェットエンジンを2基縦に重ねて、両翼にそれぞれ装備していたが、下側のエンジンをより大きいジャイロンに換装した。飛行中の推力は18,000 lbf (80 kN)であった。1955年、DGy.1が公式に推力15,000 lbf (67 kN)とされた。アフターバーナー使用時の推力は20,000 lbf (89 kN)で、後のDGy.2では25,000 lbf (110 kN)に増加した。 ジャイロンはいくつかの計画で使用が検討されたが、最も有名なのはホーカー ハンターからの置き換えが予定されていたHawker P.1121超音速戦闘機である。しかしながら、この計画は中止されてしまった。他の用途としては、運用要求F.155で計画された機体があったが、この計画も1957年防衛白書によってキャンセルされてしまった。結局、イギリス政府はジャイロン計画自体を1957年3月に中止したが、それまでに要した費用は340万ポンドであった。
※この「設計及び開発」の解説は、「デ・ハビランド ジャイロン」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「デ・ハビランド ジャイロン」の記事については、「デ・ハビランド ジャイロン」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/09 03:33 UTC 版)
「デ・ハビランド ジャイロン・ジュニア」の記事における「設計及び開発」の解説
ジャイロンよりは多少多く生産されたに過ぎないが、海軍の双発攻撃機であるブラックバーン バッカニア S.1用のエンジンとして量産された。しかしながら、成功したとは言い難く、アンダーパワーを指摘され、バッカニア S.2ではより強力なロールス・ロイス スペイが採用された。 アフターバーナー付きのジャイロン・ジュニアはまた、マッハ2級の双発超音速実験機であるブリストル 188にも採用された。ロールス・ロイス エイヴォンも考慮されたが、実際にはジャイロン・ジュニアのみが使用された。計画は失敗とは言えないものの満足すべきものではなく、予定した高速高温試験を実施することなく、早期に中止された。問題はジャイロン・ジュニアの燃料消費量であった。マッハ2に到達することは出来たものの、燃料消費率が悪すぎて長時間の飛行が出来ず、予定していた超音速機における長期サーマル・ソーキングの試験は実施できなかった。しかし、ジャイロン・ジュニアのために公正を期すならば、同時期の他のエンジンを用いた場合でも、より良好な結果を出せたかは不明である。
※この「設計及び開発」の解説は、「デ・ハビランド ジャイロン・ジュニア」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「デ・ハビランド ジャイロン・ジュニア」の記事については、「デ・ハビランド ジャイロン・ジュニア」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/10 15:38 UTC 版)
「XFG-1 (航空機)」の記事における「設計及び開発」の解説
コーネリアス XFG-1は「MX-416」計画コードのもとで開発され、軍の一般的ではない任務を意図しており、空力学上珍しい航空機だった。航空技術者ジョージ・コーネリアスは1920年代から、特異な可変取付け角を特色とする航空機の実験を続けていた。彼の手になる初期の2機は従来通りだったものの、1943年製作の第3の機体コーネリアス・マラードはそうではなく、水平尾翼を欠き、低アスペクト比で角度の強い前進翼を有した。詳細な点では非常に異なるものの、XFG-1はマラードの経験において製作された。XFG-1の1/4スケールの模型が1機、風洞実験のために製作された。 「FG」の名称はfuel gliderを意味しており、またその任務は燃料輸送だった。機体は別の航空機の後方で牽引されるもので、現代的な兵員輸送用のグライダーのようであったが、この機の胴部燃料タンクには2,563リットルの航空用ガソリンが収容された。他のWaco CG-4のような兵員輸送用グライダーに似ず、当時の先進的な爆撃機や輸送機により、XFG-1は400km/hの巡航速度で牽引することができた。 提案では大規模輸送を支持しており、パイロットの乗り組む牽引バージョンが含まれていたものと推測される。この滑空機は離陸後に車輪を投棄し、スキッドを用いて着地した。または無人バージョンではB-29爆撃機の後方に牽引され、燃料の移送が完了した後に切り離されて放棄された。この計画の意図は、牽引機の航続距離を延長するため、グライダーが基本的に翼の生えた増槽として働くことにあった。 XFG-1は高翼形式の単葉機であり、主翼の後方に垂直安定板が配された。この主翼はかなり高アスペクト比であり、また適度な前傾角がついていた。初期のコーネリアス製航空機の主翼は空中で取付け角を可変できたものの、XFG-1の取付け角は地上においてのみ調整することができ、セッティングは3度及び7度の2種類だった。水平尾翼は存在しない。またこの機体には単純な固定式の三輪支持装置と、従来的な単座コックピットが設けられていた。このタイプは2機の試作機が製作された。
※この「設計及び開発」の解説は、「XFG-1 (航空機)」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「XFG-1 (航空機)」の記事については、「XFG-1 (航空機)」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 04:40 UTC 版)
「アルファロメオ・177」の記事における「設計及び開発」の解説
177はアルファロメオのレーシング部門、アウトデルタで製作された。カルロ・キティが設計し、エンジンはアルファロメオの水平対向12気筒エンジンを搭載した。これはスポーツカーのアルファロメオ・33TT12および33SC12で使用されていた物であった。このエンジンは1976年にブラバムに供給され、それは1979年まで続いた。 「177」の名は1977年に設計が始まったことに由来している。車体は大柄で、暗い赤色で仕上げられた。アルミニウム製のシャシーはリベット止めされ、フロントサスペンションにはアッパーロッキングアーム、ロワーウィッシュボーンと、インボードマウントのコイルスプリング/ダンパーユニットが採用された。リアサスペンションには平行ロワーリンク、シングルトップリンク、ツインラジアスロッドおよびアウトボードマウントのコイルスプリング/ダンパーユニットが採用された。 1978年のヨーロッパF2選手権にマーチで参戦しタイトルを獲得したブルーノ・ジャコメリが起用され、177をドライブすることとなった。ジャコメリはベルギーとフランスでこの車を使用した。 新しいV12エンジンを搭載したアルファロメオ・179がイタリアグランプリに間に合ったため、ジャコメリはこの新車をドライブし、177はヴィットリオ・ブランビラがドライブした。その後両名とも179をドライブすることとなった。
※この「設計及び開発」の解説は、「アルファロメオ・177」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「アルファロメオ・177」の記事については、「アルファロメオ・177」の概要を参照ください。
設計及び開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 08:04 UTC 版)
「アーケオプテリクス (航空機)」の記事における「設計及び開発」の解説
アーケオプテリクスは軽量、良好な失速特性且つ低い失速速度、良好な運動性、良好な高速性能を設計目標としたフットランチ可能なマイクロリフト・グライダーとして考案された。さらなる目標として無風状態でフットランチ可能なグライダーとすることが掲げられた。 アーケオプテリクスの設計はチューリッヒ応用科学大学(Zurich University of Applied Sciences(英語版) (ZHAW))で研究プロジェクトとして1998年に開始された。最初のプロトタイプ機の初飛行は2001年9月だった。初期に得られた知見に基づいて改修が行われ、2002年5月に再度飛行を行った。2003年3月に新形状となり、再飛行したプロトタイプで試験飛行と改修が重ねられた。製品版のプロトタイプ設計は2006年に開始され、2009年に完了した。量産第1シリーズの製造は2009年夏に開始され、顧客への納入は2010年に開始された。2012年夏時点で10機がオーストラリア、アルゼンチン、ドイツ、フランス、オーストリア、スイスの顧客に納入されている。 製造メーカーは自力発航能力を提供するために2基のモーターを搭載したプロトタイプを開発中である。 操縦系統は、エルロンとエレベーター(昇降舵)を操作する操縦桿とラダーペダルを持つ従来型である。本機はグライドパスの操作用に45~70°にセットするとエアブレーキとして機能するフラップを使用する。また面積62 m2の緊急着陸用パラシュートを備えている。本機は1人で15分で飛行準備が可能である。本機では搭乗者の足による発航(フットランチ)、飛行機曳航、ゴム索発航、自動車曳航およびウインチ曳航、並びに機体に取り付けられた車輪または搭乗者の足による着陸が実施されたことがある。 本機は165~195cm、55~100kgのパイロットに対応している。 電動推進装置は2014年中頃に導入され、これによって自力発航が可能となった。少数が販売され、いくつかはそれ以前に販売された機体に取り付けられた。離陸距離は50 m、上昇率は完全に充電された状態で2.5 m/sである。1回の充電で11分間の全力運転が可能である。電気モーターは10.5 kW、3800 rpmで使用され、プロペラは速度75 km/hで370 Nを発生させる。バッテリーには容量2.07 kWh、最大電圧58.8 V、最大電流200 Aの14s1pリチウムポリマーバッテリー(Kokam)が使用されている。
※この「設計及び開発」の解説は、「アーケオプテリクス (航空機)」の解説の一部です。
「設計及び開発」を含む「アーケオプテリクス (航空機)」の記事については、「アーケオプテリクス (航空機)」の概要を参照ください。
- 設計及び開発のページへのリンク