楽曲と演奏とは? わかりやすく解説

楽曲と演奏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/16 17:46 UTC 版)

アガルタ (アルバム)」の記事における「楽曲と演奏」の解説

昼のコンサート2つセット最初にデイヴィスセプテットは「タートゥー」("Tatu")、「アガルタへのプレリュード」("Agharta Prelude")、および(『ゲット・アップ・ウィズ・イット』より)「メイーシャ」("Maiysha")を演奏し、『アガルタ』の1枚目の音楽ディスク構成した。(デイヴィス1971年アルバムジャック・ジョンソン』より)「ライト・オフ」("Right Off")、(『ビッグ・ファン』より)「イーフェ」("Ife")、および「ウィーリー」( "Wili (= For Dave)")の2つ目のセットパフォーマンス2枚目のディスク占め、「ライト・オフ」と「イーフェ」のあいだのパートでは、ヘンダーソンオスティナート始めたあと、バンド41秒のあいだ(デイヴィス1959年アルバムカインド・オブ・ブルー』から)「ソー・ホワット英語版)」にもとづくパッセージ即興演奏行なった。曲はメドレー演奏されレコードでは「アガルタへのプレリュード」("Prelude")や「インタールード」("Interlude")といった一般的なトラックタイトルが付けられた。デイヴィス批評家その他のリスナーが、しばしば抽象的な楽曲分析耽溺して音楽本質的な意味を見落とした感じていたので、1970年代その他のライブリリース同様、個々楽曲トラックリスト明示するのを拒否した。「私は何もしない、それは説明を必要としない」、デイヴィスはのちにレナード・フェザー語った音楽学者は、デイヴィス研究者エンリコ・マーリン(Enrico Merlin)が「符号化フレーズ」と呼んだものを調べることで曲を識別することができた。デイヴィストランペットオルガン一つセグメント終わり示し次のセクション向かって演奏した。彼は1959年に「フラメンコ・スケッチ」("Flamenco Sketches")の録音で、そのようなキューきっかけ)と転調最初に使用したマーリン述べた。 『アガルタ』に収められた曲は、グループ典型的なセットリスト一部だったが、それぞれのパフォーマンスは、コンサートからコンサートでほとんど見分けつかないほど変化することがあった。これはトラックとともに音楽がほとんど、あるいは完全に即興演奏であり、不統一であるという広範な誤解もたらしたルーカスは、このバンドが「非常に明確な構成上の基盤」で各パフォーマンス開始し、高度に構造化されていながら「非常に自由な方法」でそれを発展させたと説明した。「ライト・オフセグメントは、オリジナル録音のEフラットリフから即興演奏された。デイヴィスバンドに曲の中で数分間、各メンバー異な拍子記号演奏しながら、単一コード周り変奏する演奏をさせた。フォスターコモンタイム(4分の4拍子)、エムトーメが複合2拍子7拍子英語版)である一方ギタリストはまった別のテンポコンピング英語版)(伴奏)している可能性があった。「そいつが我々がこのワンコードでやったややこしいことだ」とデイヴィス言ったルーカス観点から見ると、このような構造化された即興演奏」は、リズムセクションとのあいだに重要な相互作用もたらしバンドに「我々が一緒に進めているあいだ曲全体即興演奏すること、ソロ演奏されていた単なるノート(音)よりはるかに多く即興演奏することを可能にした。。 『アガルタ』は、セプテット披露したほかの2つアルバム、『パンゲア』や『ダーク・メイガス(英語版)』のように、アミリ・バラカデイヴィスミニマリズム対す親和性表現したことを明らかにした。彼は、ソリスト終始即興演奏行なうための背景として、リフ、クロスリズム(英語版)とファンク・グルーヴを選び旋律的和声的慣例放棄したデイヴィス彼のキャリア通して抑制され楽曲好んだが、1970年代中ごろは、アフロセントリック(英語版)な政治触発された、よりディープリズムへの傾倒示した。エムトゥーメとコージーバンドに加わると、ライブ音楽はその「ヨーロッパ感覚」の大部分を失ない、個々ソロよりもリズムドラムス強調したディープアフリカもの、ディープアフリカ系アメリカ人グルーヴ定着した」とデイヴィス言ったしかしながら彼はメロディーを完全に拒否したわけではなかった。「我々はアフリカにいるのでも、単なるチャント演奏するでもない。我々がすることには、いくらか理屈がある」。サイモン・レイノルズ(英語版)は『アガルタ』をジャズ・ロックレコード分類し、この音楽は「ロック3つのもっとも過激な側面、すなわち空間音色グルーヴ劇的な強化提示した」と『ワイヤー英語版)』に書いた。マーサ・ベールズ(英語版)の見解では、ジャズからはフリー・インプロヴィゼーション要素のみが、そしてロックからはエレクトロニクスと「耳出血させる音量」の使用においてのみが引き出された。また、このアルバムデイヴィスアバンギャルド英語版)な衝動やアンビエント・サウンドの探究披露している。グレッグ・テート(英語版によればセプテットは「アヴァンギャルド・ミュージックの汎民族的な網」をつくり出した。一方、『Sputnikmusic(英語版)』のエルナン・M・キャンベル(Hernan M. Campbell)は、とくにレコード後半において「プログレッシヴアンビエンス」を探求していると言い、『モジョ』のフィル・アレクサンダー(Phil Alexander)は、『アガルタ』を「アンビエントながら激烈旋律的ながら煥発なことの両方」を特徴づけカールハインツ・シュトックハウゼン電子実験示唆した。 「アガルタへのプレリュード過去パフォーマンスよりも明確なリフ調性演奏された、とジョン・スウェド(英語版)は述べたコンサートのあいだデイヴィスは、頭や手の身振りによってバンド、とくにリズムセクションに、およそ50停止ブレイク英語版)を指示した。これらの停止は、パフォーマンスのテンション・アンド・リリース構造における劇的な分岐点として用いられテンポ変更や、バンド静かなパッセージ強烈なクライマックス行き来することを可能にした。デイヴィスは、ヤマハオルガンからドローン打ち寄せるパフォーマンス差し挟み、ミケル・ギルモアが音楽の「気分決定した」と考えた、「奇妙な、ほとんどひねくれた存在」に到達したルーカス言ったデイヴィスは、無調、ディソナント・コード(不協和音)、そしてグループのファンク・リズムに対応した自身のビバップ・トランペット演奏など、それまでジャズ演奏キャリア発展させてきたダイナミクスへの感覚を、しかしより強力なコントラスト装い応用した。「極端なテクスチャー極端な音量は」、ルーカス説明した。「コントラストのあるコードリズム構造同じよう音楽広がりの中の多く占めた。完全なロックバンドのように装備され、我々は文字通り壁を吹き飛ばした」。「タートゥー」と「アガルタへのプレリュードセグメントのあいだで、テンポシフトさせるためにデイヴィスは、不協和耳障りなオルガンの音型を演奏することにより何度か突然セプテット停止させて開始させ、コージー奇抜サイケデリックな音型やエフェクト発生させるためのスペース与えたコージー初めデイヴィスバンド加わったとき、「タートゥー」の主要テーマはより遅いテンポ演奏されていたが、彼らの成長につれ、とりわけ日本ツアーのころには、より速く演奏していた。コージーは、デイヴィス演奏によってソリストに「思考アイデア伝える」才能があると評したときおり音楽リズム方向性は、繰り返し唸りをあげ、きしみを立てサウンドなど、高密度に織りをなすパーカッシヴで電子的なエフェクト埋め尽くされ中断された。コージーは、リングモジュレーター英語版)とEMS Synthi A(英語版)でギター動かし、これらのサウンドをつくり出した。後者機器は、ノブボタン備えた初期シンセサイザーで、キーボードはなく、正確なピッチというよりは抽象的なノイズメロディー生み出すのに有益だった。彼はそれぞれのパフォーマンス中、特定のサウンドスケープ音風景)、「宇宙にいるのか、水中にいるのか、アフリカ人グループ演奏しているのかといった、まったく異なサウンドスケープ」を提示するためにそれを使用したステージ上には、ムビラクラベスアゴゴベルその他のいくつかのハンドパーカッション(英語版楽器用意されテーブルもあり、異なった停止ブレイク指示するために、演奏したマレット叩いたりした。「まるで[ボクシングの]戦いでもするみたいにぶっ叩いた!」とコージー思い起こした彼のシンセサイザーは、ときに「イーフェ」セグメントのように、エムトーメがドラムマシンから生成することができた実験的なサウンド相互作用した。デイヴィスは、日本ツアースポンサーであるヤマハから受け取った楽器をエムトーメに渡し、「それでできること見てくれ」と伝えた。エムトーメはリズムをつくり出すというより、いくつかの異なペダルやMu-Tron Bi-Phase(英語版のようなフェイズシフター使ってドラムマシン処理し、彼が言うところの「トータル・タペストリー」なサウンドをつくり出した。 「我々のコンサート開始信じられないほど圧縮され風船のようだった。その後空気徐々に逃がすということだった。そのレベル演奏するのに要したエネルギー途方もないものだった演奏終えたあと倒れることもあった。 我々はコンサート前にこのエネルギー充填したお互い見て「壁を突き抜けよう」と言った。それが我々のスローガンだった。それは身体的にできる限りことをすることを意味したそうした集中エネルギーレベルを2〜3時間保つことで壁を突き抜けた。」 —ジェームズ・エムトゥーメ デイヴィス以前録音とは異なり、『アガルタ』の全体通してカデンツァは、そのほとんどがフォーチュンコージーによって演奏された。フォーチュンソプラノアルトサクソフォンフルート持ち替えギルモアが『至上の愛』(1965年)期のジョン・コルトレーンに負うところが非常に多い考えた内容と構成」で演奏した。彼はレコード2枚目の「推進的な」セグメント口火を開く「ライト・オフ」で最長のアルト・サクソフォン・ソロを演奏しギルモアは「夢で列車に乗って飛んでいるような、魅惑的幻想的な夢の中一瞬過ぎ去る窓の風景」と述べたコージーギルドS-100英語版エレクトリック・ギター演奏し、『アガルタ』の即興演奏では半音階英語版)、不協和音フィードバック重視した。彼は、ギターサウンドを歪めるためのファズボックスや、ソロのあいだ使用したり、よりメロウトーン英語版)で演奏するときの2つ異なワウペダルなど、パーカッション楽器テーブルの下に設置されいくつかのエフェクトペダル交互に使用したコージーはしばしギター弦をフレットボード上の違う位置張り、スタンダード・チューニング(英語版)では決し演奏しなかった。少なくとも36異なるチューニング・システムを用いそれぞれ彼の演奏スタイルサウンド変化させた。『プレミアギター(英語版)』からツヴィ・グルキン(英語版によれば彼の実験的なギター演奏ブルース根ざしていたが、とりわけフィードバックコントロールにおいて、攻撃的で「痛烈」ながら「どこか抑制的な」フレージング・センスを示したデイヴィスコージーに、エレクトリック・ブルース(英語版)とジミ・ヘンドリックスサウンドから音楽しつらえるよう求めたディストーション使用やEフラット・チューニング(英語版)をコージー共有した。チャールズ・シャー・マリー(英語版によれば、彼はこのギタリスト鳴り響くフリー・ジャズ影響受けたソロ想起させ、一方ルーカスは、ヘンドリックスのより叙情的なリズム・アンド・ブルース曲のように演奏した。『アガルタ』でコージーギターは左チャンネル英語版)[要リンク修正]、ルーカスは右に分離された。ジャズ学者のスチュアート・ニコルソン(Stuart Nicholson)は、デイヴィス彼のギタリストを、ヘンドリックス自分音楽探求した「ハーモニック・ディストーション(高調波歪)の波」を実現するにあたり活用したと書いた。マリー考えでは、このアルバムデイヴィスへの彼の影響をほかのレコードよりも明瞭に訴えており、ニコルソンは、彼らが一緒に録音したかもしれない音楽への「近似値もっとも近い」と評したデイヴィストランペットで、簡潔表現力豊かなソロから非感傷的な嘆き向かった。それは、彼がまだ1970年ヘンドリックスの死(英語版)を悼んでいたことを示唆しているとマレー推測した。その年デイヴィスは、ヘンドリックスギター達成したレジスター声区)の向こうを張ってトランペットワウペダル付けて演奏し始めていた。コンサートのときまでに、デイヴィスはフィリップ・フリーマン(Philip Freeman)が、「『アガルタ』で聞かれる新しトーン揺れ動きかすかに光るサウンドリボン」と表現したものを開発していた。彼のワウワウ処理されソロは、しばしば狂おしくかつメランコリック聞こえ、「むき出し痛みの捻じれた流れのようだった。 「インタールードジャック・ジョンソンテーマリチャード・クックによればデイヴィスの「ウィーリーセグメントからの最後のトランペット・パッセージは、アガルタの「暗い」音楽多く解釈彩った、「倦怠感さえ漂わせる暗闇感覚」の典型だった。 コンサート通してデイヴィストランペット演奏希薄で、しばしばリズムセクション覆い隠され聞こえた彼のアガルタ』における存在は、ジョン・スウェド(英語版)が「音楽家晩年の作品感覚たたずまい創作者死に先立つ自我のない音楽」と呼んだことを反映していた。テオドール・アドルノルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン後期作品の解説引用してスウェドは述べた。「作品への音楽家不在は、死すべき運命に従うということである。あたかもマイルスが、過去30年間に立ち会った恐怖喜び両方のすべてを証言しているかのようだった」。ルーカスの、この公演最初唯一のソロが「イーフェ」セグメント盛り上げたあと、デイヴィスは、いくつかのオルガン・コード、最高潮に達するコージー最後ソロ、そしてポール・ティンゲン(英語版)が素内省的特徴づけデイヴィスのトランペット・パッセージで「ウィーリー」を披露した彼によれば、一般にライブ音楽公演は、最後クライマックス到達する方向展開するが、デイヴィスコンサートは「しばしばエントロピーの中へと溶解した」。『アガルタにおいては、ティンゲンは言った。「ウィーリー」のエネルギー欠けらレコードフェードアウトへと「ゆっくりと消え去る」ことで、「深い悲しみ」が音楽の上覆った日本CDエディションでは、9分以上の幽玄(アトモスフェリック)なフィードバックパーカッションシンセサイザーサウンド終了した。 ティンゲンは、2番目のコンサートのときまでにバンドのエネルギーレベルは大幅に低下しており、デイヴィスはとくに不在聞こえる、と書いた。エムトーメは「彼はその晩、具合悪くなり、エネルギー違い聞くことができる」と思い起こした

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