体協役員と関係者たち
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「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の記事における「体協役員と関係者たち」の解説
嘉納治五郎(かのう じごろう) 演:役所広司 東京高師校長。柔道の創始者。大日本体育協会初代理事長。日本初のIOC委員。 第1話のキーパーソンであり、“平和の祭典”であるオリンピックの精神に惹かれて日本のオリンピック初参加を実現するため、奮闘する。 オリンピック予選会においてマラソンで優勝した四三と短距離走で優秀な成績を収めた弥彦を選手としてストックホルムに送ることを決める。しかし国からの援助はなく、予選会開催のために多くの借金を重ねた上に、辛亥革命に巻き込まれた清国留学生を救うべく莫大な借金をし、資金が不足。四三と弥彦に自費での出場を提案し、丸め込むような形で説得する。 ストックホルムへの出発の際は、政府の役人であるがゆえに手続きが煩雑となり四三らより出発が遅れる。ストックホルムから帰国後、大日本体育協会に多額な負債を負わせたことを理由に永井らから更送を言い渡される(ただし、大日本体育協会の会長職には1921年まで留まっている。)。 ベルリン五輪の中止後、四三が東海道五十三次駅伝競争を企画すると、その姿に触発され、自身も神宮外苑に競技場を建設するという夢を持ち始める。その後、1920年アントワープ五輪の前後に、永井の退任を受けて大日本体育協会の会長から退くことを表明。その後は東京でオリンピックを開催するため明治神宮外苑競技場を建設することに尽力する。関東大震災が発生し、完成間近であった競技場をバラックとして開放。競技場で復興大運動会を開催するとともに、1924年パリ五輪の選手の派遣を宣言する。 東京市長・永田の申し出をきっかけに1940年東京五輪招致に向けて活動。「ムッソリーニに直談判して開催権を譲ってもらう」という作戦を発案するが、持病の腰痛が再発したため、ムッソリーニとの会談およびIOCオスロ総会には出席できなかった。結局、「オリンピックに政治を介入させた」としてラトゥールの不興を買い、開催地選挙は延期となる。そこで関係を修復するためラトゥールに東京視察を打診し招待。二・二六事件が勃発してもなお揺らがず、ラトゥールを迎え入れて自ら謝罪し、東京五輪への思いを語る。 そして半年後のIOCベルリン総会にて自らスピーチを担当し、東京招致に成功する。この時、IOC中国代表の王が票を入れてくれたことでより一層大会開催への思いを強める。また、ベルリン五輪のスケールに圧倒され「ベルリン大会を超えるものを作らなければならない」というプレッシャーに蝕まれていく。 しかし、中国戦線の拡大により日本国内では返上論が拡大。副島や田畑からも返上するよう説得されるが、1938年のIOCカイロ総会で各国委員を説得し東京での開催を押し切ってしまう。 その帰路、「これから一番面白いことを東京でやる」と東京五輪を夢見ながら太平洋上の氷川丸の船内で肺炎を発病し、この世を去る。 1964年大会の組織委員会には一番目立つところに肖像画が飾られており、田畑はことあるごとに嘉納と「対話」することになる。 岸清一(きし せいいち) 演:岩松了 大日本体育協会2代目会長、弁護士。IOC委員を後に務める。 会計の面から体協を支え、アントワープ五輪では派遣費を体協から支弁するよう取り計らう。 マラソンや駅伝競走には興味のない素振りを見せていたが、第1回箱根駅伝を実際に観戦したことで大いに感動し、その魅力に取りつかれる。これ以降、実際の運営では現実的な策を取りつつも、スポーツの魅力に心酔し、競技を観戦し感動しては涙を流すことが多い。 関東大震災後は、自身の弁護士事務所への間借りという形で体協の本部を置き、活動を続ける。 その後、1940年東京五輪招致の話が持ち上がると、招致メンバーとしてロサンゼルス大会に赴き嘉納と共に活動を開始。ロサンゼルス大会の終了後は1940年東京五輪の実行委員会のひとりとなり、また同時期にロサンゼルス大会の結果を昭和天皇に御進講するという大役を務めるなど活躍する。 しかし程なくして体調を崩し、昭和8年(1933年)、東京五輪の実現を見ることなくこの世を去る。 大森兵蔵(おおもり ひょうぞう) 演:竹野内豊 アメリカ体育学士。ストックホルムオリンピック日本選手団監督。バレーボールとバスケットボールを日本に紹介する。 日本語の会話の中に英語を混ぜる癖があり、その度に安仁子に翻訳される。アメリカ留学中にアルバイトで安仁子のハウスボーイをしたことがきっかけで結婚に至った経緯から、オリンピックに同行出来ずに僻む可児と永井から妻の尻に敷かれていると嘲笑される。安仁子とは仲睦まじく、四三らと同席の車中でも新婚夫婦同然にふるまう。 嘉納からオリンピック選手団監督の打診をされた時には肺病を患っており、余命僅かであることが判明していた。しかし、執筆した論文「オリンピック式陸上運動競技法」から伝わる熱意と安仁子からの懇願が嘉納の心を打ち、正式に監督に任命される。しかし、ストックホルムでは練習に参加できないほど病状が悪化。一時は持ち直すものの男子100メートル走予選以降、再び病状が悪化し、それから数か月後に渡米。翌年の1月、カリフォルニアの病院で息を引き取った。享年37歳。 可児徳(かに いさお) 演:古舘寛治 東京高師助教授。徒歩部顧問。嘉納の下で大日本体育協会の立ち上げに右往左往しつつ、オリンピック初参加の準備に奔走する。 嘉納の行動に振り回されがちではあるが、協会の資金で勝手に優勝カップを作るなど時折大胆な行動に出る。また、酒に酔うと威勢が良くなる。円形デッドボール(のちのドッジボール)の日本への紹介者。 アメリカ留学後は女子高等師範学校で教鞭を執りカドリーユを普及するが、大胆でセクハラな発言を生徒らに復唱させ、シマ等女生徒たちから顰蹙を買うこととなる。 ストックホルム、アントワープ、パリ等海外の五輪へ行けずしばしば悔しがっている。 1964年の東京大会は、体協創設メンバー唯一の生存者として開会式を見届ける。 永井道明(ながい どうめい) 演:杉本哲太 東京高師教授。金栗たちの暮らす寄宿舎の舎監も務める。 日本人の体力向上を先決する考えのもと、肋木と共にスウェーデン体操を体育に取り入れた日本スポーツ界のパイオニアの一人。頑固で融通が利かない性格で、嘉納と対立する場面も少なくない。学生には厳しくも愛をもって接しており、マラソンにおいて学生の体調や命を第一とする言動を取っている。 嘉納から日本初となるオリンピック参加についての相談を受けた際には「ドランドの悲劇」を引き合いに出し、国の命運を選手に託し、人命よりも勝利にこだわる大会と見解し不愉快と感じたことと、肉体的に未熟な日本人にとって無理があると考え反対する。しかし、オリンピック予選会の後から大日本体育協会の活動に本格的に参加。四三のオリンピック出場に向けて積極的に関わり始める。 ストックホルム大会後は、四三らの惨敗を受けて再び日本人の体力向上を目指す方向へ舵を切り、「学校体操教授要目」をまとめる。また嘉納が不在の間に新たな人材を大日本体育協会に登用、財政や態勢の立て直しを図る。しかし、イギリス留学を終えた二階堂トクヨに自身の方針を否定され、今まで提唱してきた肋木とスウェーデン体操が時代遅れであることを痛感。また自分の考えを曲げることも己の美学に反するとの思いから、アントワープオリンピックの直前に大日本体育協会の理事職を退くことを決める。二階堂や野口源三郎に日本スポーツの未来を託し、体協を去る。 その後は竹早でテニスを教えたり、復興大運動会で審判を務めた。 野口源三郎(のぐち げんざぶろう) 演:永山絢斗 東京高師の学生。四三の徒歩部の後輩。(実際には野口は四三よりも3歳上であった。) 四三と共にオリンピック予選会に出場。マラソンの途中で蒸しパンを無銭飲食しつつ、4位という好成績を収める。 オリンピックから四三が帰ってきたのちは、四三の持ち帰った槍や砲丸に興味を示す。 高師の卒業後は体協の活動に参加し、四三のマラソン競技の企画を補佐する。その後のアントワープ五輪では、日本選手団の主将を務めるとともに十種競技に出場し、最下位の結果に終わる。帰国後の報告会では、全ての種目をやりきったので悔いはないと語り、また他の競技の結果報告を務め上げ、記者からの非難の矢面に立つ。1924年パリオリンピックの結果報告会で田畑らに体協の陸上びいきを指摘され、大会での惨敗の責任を取って体協理事を退任する。 1928年(昭和3年)のアムステルダム五輪には陸上競技の選出役員として同行。人見絹枝の必死の嘆願に折れて800m走のエントリーを許可し、走り方をアドバイスする。 大森安仁子(おおもり アニコ) 演:シャーロット・ケイト・フォックス 大森兵蔵の妻。 アメリカ人であるが、日本語が堪能で兵蔵が無意識に発する英語を即座に日本語訳することもしばしば。笑い上戸な性格で、それゆえに周囲を困惑させることもある。 オリンピック出発1か月前より出場選手らへの英会話と西洋式テーブルマナーの指南役となる。 余命僅かである兵蔵のオリンピック選手団監督としての同行を嘉納に直談判。熱意が伝わり、監督に着任した兵蔵の付き添いで自身もストックホルムへ同行することとなる。シベリア鉄道内での料理や、記録撮影なども手掛けるが、病に伏せる兵蔵の看病に時間を割かれることが多い。 ストックホルム大会が終わったのちの大正2年3月、自身が描いた兵蔵の肖像画を携えて嘉納とともに帰国。その後も日本に留まる。関東大震災後の復興大運動会で四三らのもとを訪れた際には、児童福祉施設を運営していた。 二階堂トクヨ(にかいどう トクヨ) 演:寺島しのぶ 東京女子高等師範学校助教授。永井道明の弟子。 はっきりとした物言いをし、意志の強い性格。永井と同様に、ストックホルムオリンピックの日本選手惨敗やマラソン競技に対して厳しい見解を示す。 文部省の要請を受けて、大正元年11月にイギリス留学に旅立つ。帰国後は健やかな子を産む女子のための独自の体育を追及。従来の着物を否定し生徒たちにチュニックの着用を提唱したり、メイポールダンスを授業に導入したりして、師の永井と対立。肋木とスウェーデン体操は古いと言い放ち袂を分かつ。 野口源三郎に好意を抱いていたが、野口に妻子がいることを知り落胆。女子体育の育成に生涯をかけるため、頭を剃りカツラを被るという形で覚悟を決め、二階堂体操塾(後の日本女子体育大学)を設立する。体操塾に入学した人見絹枝を応援し続け、アムステルダム五輪に出場することになった絹枝に髪留めを渡して励ました。 武田千代三郎(たけだ ちよさぶろう) 演:永島敏行 大日本体育協会副会長。史上初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」の開催にあたって、「駅伝」の名付け親となる。 辰野保(たつの たもつ) 演:安楽将士 アントワープオリンピック日本選手団監督。東京大学陸上部出身の弁護士。 平沼亮三(ひらぬま りょうぞう) 演:大谷亮介 大日本体育協会副会長。
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