樋口一葉
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一葉の手帳
一葉の残した手記として日記の他に作品の下書き・調査メモなどを記した手帳2冊がある。この手帳はともに個人蔵で、1冊は『別れ霜』の下書きなどが記されたもの、もう1冊が『うもれ木』の調査メモが記されたもの。
前者は洋綴じ・横罫のノートで、寸法は縦19.2センチメートル、横12.7センチメートル。9頁目までは鉛筆書きによる、平安時代の『土佐日記』の写しで、承平4年(934年)2月26条から翌承平5年1月4日までの部分が写されている。10頁目からは墨筆で『吹くる風』と題された小説の断片が記されている。これは内容から1892年(明治25年)3月31日から同年4月17日にかけて、一葉が「浅香のぬま子」の筆名で改進新聞に発表した『別れ霜』の未定稿にあたると考えられている。筑摩書房『一葉全集』では一部が翻刻されている。
後者は『うもれ木』の調査メモが記された手帳で、近年原本が発見された。表紙が和紙の小型手帳で、寸法は縦9センチメートル、横6センチメートル。一葉は1892年11月に『都之花』第95号から3回連載で『うもれ木』を発表しているが、手帳の内容は、鉛筆で作中に登場する薩摩窯陶器の歴史や製法が記された調査メモが主体となっている。なお「うもれ木」には、この手帳のほか未定稿が現存している。ほか、半井桃水から借りた朝鮮文学『九雲夢』の主人公を主題とした一葉自作の漢詩や、上野東京図書館で読んだ『新著聞集』の読書メモも記されている。
五千円紙幣
一葉の肖像は2004年(平成16年)11月1日発行分からそれまでの新渡戸稲造に代わり、日本銀行券の五千円紙幣の表面に採用されている[注釈 2]。女性としては、1881年(明治14年)発行の紙幣に採用された神功皇后以来、123年ぶりで2人目の採用である[66]。2000年(平成12年)に発行開始された二千円紙幣の裏面に紫式部が描かれているが、これは肖像画の扱いではない[66]。偽造防止に利用される髭や顔の皺が少ないため版を起こすのに手間取り、製造開始は野口英世の千円紙幣、福澤諭吉の一万円紙幣より遅れた。
その他
夏目漱石の妻・鏡子の著書『漱石の思ひ出』によると、一葉の父・則義が東京府官吏を務めていた時の上司が漱石の父・小兵衛直克であった。その縁で一葉と漱石の長兄・大助(大一)を結婚させる話が持ち上がったが、則義が度々直克に借金を申し込むことがあり、これをよく思わなかった直克が「上司と部下というだけで、これだけ何度も借金を申し込んでくるのに、親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない」と言って、破談にしたという。佐佐木信綱は、自宅に漱石が来訪した折、漱石の近親者と一葉との間に縁談があった旨話され、渋谷三郎のことだろうかと著書の中で記している[67][14]。
注釈
出典
- ^ 澤田 2005, p. 10.
- ^ a b 「略年譜」(樋口アルバム 1985, pp. 104–108)
- ^ “樋口一葉生誕の地”. 千代田区観光協会 (2021年11月3日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ 澤田 2005, p. 9.
- ^ 「歌人・なつ子」(樋口アルバム 1985, pp. 2–21)
- ^ 澤田 2005, p. 13.
- ^ a b 『樋口一葉と甲州』, p. 30.
- ^ 澤田 2005, p. 14.
- ^ 澤田 2005, p. 22.
- ^ 澤田 2005, p. 25.
- ^ 澤田 2005, p. 30.
- ^ 澤田 2005, pp. 32–34.
- ^ 佐佐木信綱「芸術界の人々 樋口一葉」『明治大正昭和の人々』新樹社、1961年、111頁。
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- ^ 村上計二郎著『列伝偉人の結婚生活』日本書院、大正14年
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- ^ 桑原朝子「樋口一葉『大つごもり』に見る信用問題 : 西鶴との比較を手掛りとして」『北大法学論集』第73巻第2号、北海道大学大学院法学研究科、2022年7月、1-40頁、ISSN 0385-5953、CRID 1050293015560520448。
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- ^ 笹沢信『ひさし伝』新潮社 2012年 p.287
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- ^ 会社概要 風水国際グループ株式会社
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- ^ 旗手勲「日本資本主義の生成と不動産業」国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告(1981年、ジェトロ・アジア経済研究所)
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- ^ a b 『読売新聞』2002年8月2日[要ページ番号]
- ^ 佐佐木信綱「芸術界の人々 樋口一葉」『明治大正昭和の人々』新樹社、1961年、114頁。
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- ^ 『日本女性新聞』2017年8月15日(第2246号)[要ページ番号]、『山梨日日新聞』2017年8月20日[要ページ番号]。
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