一向とは? わかりやすく解説

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い‐こう〔‐カウ〕【一向】

読み方:いこう

[副]《「いっこう(一向)」の促音無表記》ひたすら

「その代はりに、—に仕うまつるべくなむ」〈源・玉鬘


いっ‐こう〔‐カウ〕【一向】

読み方:いっこう

【一】[名]一向宗(いっこうしゅう)」の略。

【二】[副](「一向に」の形で用いる)

全然。まったく。「何を言われても—に動じない

(あとに打消しの語を伴って)ちっとも。少しも。「—に存じません」「服装には—に構わない

ひたすらいちずに

その儀では候はず、—御一家御上とこそ承り候へ」〈平家・二〉

いっそのこと。むしろ。

さもなくば—に時宗が首討って」〈浄・大磯虎〉

【三】形動[文]ナリ近世江戸語話にならないほどひどいさま。全くひどいさま。

今日は—なものさ。この腹ぢゃあ飲めやせん」〈洒・通気粋語伝


ひた‐すら【只管/一向】

読み方:ひたすら

【一】形動[文]ナリそのことだけに意を用いるさま。もっぱらそれだけを行うさま。「—な思い」「—に弁解する

【二】[副]

ひとすじに。いちずに。「—研究いそしむ」「—無事を祈る」

まったく。すっかり。

「身をば—、え捨て侍らぬものなれば」〈狭衣・一〉

[用法] ひたすら・いちず——「ひたすらいちずに)芸に励む」「ひたすらいちずに歩き続ける」など、そのこと専念する意では、相通じ用いられる。◇「ひたすら」は、もっぱらそのことだけを行う意で用いることが多い。「ひたすらおわびいたします」「ひたすらお願いするしかなかった」◇「いちず」は気持ちあり方重点があり、他を顧りみず、一つ事柄だけに打ち込む意で用いることが多い。「いちずに思い込む」「勉学いちずの毎日」◇類似の語に「ひたむき」がある。脇目もふらず一つの事に熱中する意で、「いちず」に近い。「ひたむきな態度」「ひたむきに生きる


ひた‐ぶる【頓/一向】

読み方:ひたぶる

形動[文]ナリ

いちずなさま。ひたすら。「—な態度」「—に思いを寄せる

完全にその状態であるさま。

「—に煙にだになし果ててむと思ほして」〈源・夕霧

向こう見ずなさま。また、強引で粗暴なさま。

海賊の—ならむよりも」〈源・玉鬘

はなはだしいさま。すこぶる

地獄苦患(くげん)は—になりぬ」〈今昔三一二八


一向

読み方:ヒタブル(hitaburu), ヒタスラ(hitasura), イッコウ(ikkou)

もっぱらそのこと集中するさま


一向

読み方:ヒタスラ(hitasura), イッコウ(ikkou)

いちず。ひたむき

別名 只管、平


一向俊聖

(一向 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 02:47 UTC 版)

一向 俊聖
暦仁2年1月1日? - 弘安10年11月18日?
1239年2月6日? - 1287年12月24日?)
一向上人像(清浄光寺蔵)
尊称 一向上人
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一向 俊聖(いっこう しゅんしょう)は、鎌倉時代僧侶。伝記に謎が多く、実在が疑問視されていたが、考古遺物により、存在が証明された。

略歴

伝承によれば、筑後国西好田(福岡県久留米市か)の鎮西御家人草野氏[1]の草野永泰の第二子に生まれる。永泰の兄草野永平は浄土宗鎮西派の聖光上人(弁長)に帰依し、建久3年(1192年)に久留米善導寺を建立した大檀越で、草野氏は法然浄土教の影響を色濃く受けていた。俊聖は寛元3年(1245年)に播磨国書写山にある圓教寺に入寺して天台教学を修めることとなり、建長5年(1253年)に剃髪受戒して名を俊聖とした。

だが、翌年夏には書写山を下り、奈良の興福寺などで修行したが悟りを得られず、鎌倉の蓮華寺(光明寺)の然阿良忠の門弟となる。その後、文永10年(1273年)から各地を遊行回国し、踊り念仏(踊躍念佛)、天道念仏(もとは天童念佛と書いた。一説では京都で勤まる天道大日如来盆は、この天道念仏が起源という)を修し、道場を設けた。近江国番場宿蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

主な門下に行蓮、礼智阿尊覚らがいる。弟子は列島各地に散在していた。

一向の詳しい伝記は『一向上人伝』[2]という絵巻によるほかない。ただし番場蓮華寺を正統とする立場から、一向が活躍した時代よりずっと後の近世に書かれたと考えられる。したがって、同じ一向の系統を引く寺院の多い出羽国方面に伝わる伝承とはかなり異なる。浄土宗鎮西派ではなく浄土宗西山派の僧であったとする『法水分流記』もある。そしていずれの伝承も、内容が説話化していて信憑性に欠けるところがあった。

しかし近年山形県天童市の高野坊遺跡より、応長元年(1311年)に「一向義空菩薩」二十七回忌をおこなったことを墨書した礫石経が多数出土し、一向の私称菩薩号が義空(儀空)であるという伝承に一致することから、一向の実在が立証された(ただし没年がずれることになる。弘安8年(1285年)か)。これは中世宗教史上、特筆すべきである。なお同時代に近い史料としては「一向上人臨終絵」(南北朝期、京都市個人蔵)がある。

一向の時衆(一向宗)

東北関東尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成していた。なお、かつて大橋俊雄らにより、鎌倉時代末期に書かれた『天狗草紙』にみえる「一向衆」を一向俊聖教団とする説が流布されたが、画および画中詞の分析などにより一遍のことを指していることが明らかとなっている。

上記の通り、一遍と一向とは全く別箇に教団を開いたものであるが、時衆とは元来“不断に別時念仏をおこなう衆”を意味する一般名詞であり、一向は、同時期の一遍房智真と同様に、遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、時衆とみなされたようである。やがて一向のほか国阿空也までも時衆(時宗)として認知されるに至っている。蓮如延徳2年(1490年)の『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」と明記し、この時点で既に一向の教団が一遍時衆と同一視されていた上に「一向宗」とよばれていたことがわかる(ただし一向の教団を一向宗とよんだ唯一の史料)。

近世には、江戸幕府の命により、清浄光寺総本山とする時宗の管轄下におかれた。『時宗要略譜』によると時宗十二派のうち、一向派、天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。当然のように両派は再三に亘る独立運動を起こすも実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[3]。この独立転宗運動で奔走した一人が斎藤茂吉が師と仰いだ佐原窿応(山形県上山市宝泉寺→番場蓮華寺)である。大半の寺院が時宗を離れ、浄土宗に帰属したのは昭和18年(1943年)である。

また、一向宗を参照。

ゆかりの寺院

  • 番場蓮華寺(滋賀県米原市番場)。墓所と荼毘地が遺る。師である良忠の蓮華寺(現光明寺)から寺号を取ったという。旧時宗大本山、現浄土宗本山
  • 天童佛向寺(山形県天童市小路)。墓所があり、一向開山と伝えるが、実際には行蓮によると考えられる。旧時宗中本山、現浄土宗。かつての寺地と伝えるのが高野坊遺跡近辺である。現在でも踊躍念仏を伝える。
  • 宇都宮一向寺(栃木県宇都宮市西原)。一向による開山。やはり実際には行蓮によると考えられる。現時宗。
  • 山ノ内光照寺神奈川県鎌倉市山ノ内)。鎌倉にいた一向が開いたという。木造立像あり。のちに遊行派に転ずる。現時宗。
  • 照国寺(南会津郡南会津町)。建治3年(1277年)、一向上人の開山。河原田氏の菩提寺でもある。現時宗。

参考文献

  • 大橋俊雄『番場時衆のあゆみ』浄土宗史研究会、1963年
  • 成生庄と一向上人編集委員会編『成生庄と一向上人―中世の念仏信仰―』天童市立旧東村山郡役所資料館1997年
  • 古賀克彦「一向俊聖伝の再検討」『時宗教学年報』26、1998年
  • 小野澤眞「一向俊聖教団の歴史的意義とその再検討」『文化』70-1・2、2006年

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ 竹内禅真監修、小川寿一編『浄土宗蓮華寺史料』(1983年、蓮華寺寺務所)93頁以下。
  3. ^ 大橋俊雄『一遍と時宗教団』(教育社、1978年)247頁

一向

出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 10:34 UTC 版)

副詞

いっこう

  1. 全く全然
  2. ひたすら
  3. (下に打ち消しの語を伴い少しも~ない

形容動詞

一 向いっこう

  1. 全くひどいさま。

活用

ダ型活用
一向-だ

略語

一 向いっこう

  1. 一向宗の略。

発音(?)

いっ↗こー

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