C-47スカイトレインとは? わかりやすく解説

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C-47 (航空機)

(C-47スカイトレイン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/23 13:32 UTC 版)

C-47 スカイトレイン

飛行するC-47 (1943年撮影)
情報秘匿のため尾翼番号が消されている。

C-47 スカイトレインDouglas C-47 Skytrain )は、ダグラス・エアクラフト社が開発した輸送機である。愛称はスカイトレイン(Skytrain)。

DC-3の軍用輸送機型であり、第二次世界大戦で傑出した働きをみせた。ノルマンディー上陸作戦などの大規模な空挺作戦において空挺部隊輸送の中核を担った他、物資輸送に多用され、アメリカ陸軍航空隊の他にもアメリカ海軍イギリス空軍などが使用した。

概要

DC-3は1936年にアメリカン航空に就役して以来、アメリカ合衆国を始めヨーロッパ南アメリカなどの航空会社に就役していた。第二次世界大戦の勃発後、アメリカ陸軍は航空会社からDC-3を徴用して使用していたが、軍用として1940年9月16日にC-47を147機発注した。1号機は太平洋戦争開始直後の1941年12月23日に引き渡された。兵員輸送型のC-53 スカイトルーパー(Skytrooper)など、派生型も数多く存在し、各タイプの総生産機数は10,000機以上にのぼる。

C-47は、DC-3の乗降扉に代わって貨物扉を取り付け、床面も強化された。折り畳み式の座席を装備し、武装兵28名か、最大で2,722kgの物資を搭載できた。14床の寝台と看護兵3名を収容して患者輸送機として運用することも可能で、貨物輸送機としてジープ1台とM3 37mm砲1門を搭載することもできた。

アメリカ陸軍航空隊の他アメリカ海軍にもR4Dの名称で採用され、イギリス空軍に供与された機体はダコタ(Dakota)の名で運用された。その信頼性の高さから戦後も長く運用され、1960年代に入ってもまだ多数が現役にあった。また、余剰機の多くが敵国であった日本ドイツを含む海外の軍に供給された。ベトナム戦争ではC-47にGAU-2B/Aを搭載したAC-47がガンシップとしてベトコン掃討に従事した他、冷戦下で起きた多くの内戦や地域戦争にも従事した。欧米では1970年代頃に概ね姿を消したが、一部の途上国では現在でも運用され続けており、南アフリカ海軍では対潜哨戒機として本機を用いている[1]

アメリカ軍欧州戦域総司令官を務めたドワイト・D・アイゼンハワーは、“第二次世界大戦を勝利に導いた兵器”として、「原子爆弾」「バズーカ(2.36インチ対戦車ロケット弾発射筒)」「ジープ(ウィリスMB/フォードGPW小型四輪駆動車)」、そしてこのC-47輸送機を挙げている[2][3]

派生型

C-47A
C-47
最初の量産型。
C-47A
電気系統を強化。
C-47B
インド・中国間のヒマラヤ山脈越え輸送作戦「ハンプ超え」用に開発。スーパーチャージャーを搭載したR-1830-90Cエンジンを搭載。しかし、ある程度の成功しか収められず、多くがC-47Dに改修された。
XC-47C
水陸両用のフロートを装備した試験機。
C-47D
スーパーチャージャーを取り外したC-47B。
C-47E
R-2000-4エンジンを搭載し航空路点検機に改修された機体。
C-47L/M
ベトナム戦争で特殊な電子機器を搭載したC-47H/J(後述)に付けられた名称。
C-47T
ターボプロップエンジンへの換装を行った機体。
C-47TP ターボ・ダコタ
C-47TP ターボ・ダコタ(Turbo Dakota)
南アフリカ空軍において、プロフェッショナル・エヴィエーション社によるターボプロップ化が行われた機体の名称。
AC-47D
ガンシップ型。
なお、ガンシップ型が登場する前は航空路点検機型の名称として使われていたが、こちらはEC-47Dに改称されている。
EC-47N/P/Q
ベトナム戦争において電子偵察用装備が取り付けられたC-47A/D。EC-47QはR-2000-4エンジンを搭載。
RC-47A/D
写真/電子偵察機型。
SC-47A/D
救難機型。後にHC-47A/Dに改称。
TC-47B/D
航法練習機型。
VC-47A/B/D
VIP輸送機型。
C-53D スカイトルーパー
C-53 スカイトルーパー
兵員輸送に特化したC-47。座席が固定式になり、貨物輸送用の装備が省かれている。
XC-53A スカイトルーパー
全翼幅のスロッテッドフラップと熱風による除氷装置を備えた試験機。
C-53B スカイトルーパー
北極での活動用に改修されたC-53。
C-53D スカイトルーパー
座席をC-47と同様にしたC-53。
C-117A
C-47Bの幕僚輸送機型。DC-3と同様の座席とキャビンを装備。
C-117B
スーパーチャージャーを取り外したC-117A。
C-117C
VC-47をC-117B仕様に改修した機体。後にVC-117A/Bに改称。
XCG-17
XCG-17
エンジンを取り外し兵員輸送グライダーとした機体。驚異的な滑空性能を見せたものの、1944年に試験が完了した時点でアメリカ陸軍がグライダーの必要性は限られていると判断したため量産されなかった。
R4D-1
アメリカ海軍/海兵隊向けのC-47。
R4D-3
アメリカ海軍に移管されたC-53。
R4D-5
アメリカ海軍に移管されたC-47A。後にC-47Hに改称。
R4D-6
アメリカ海軍に移管されたC-47B。後にC-47Jに改称。
R4D-7
アメリカ海軍に移管されたTC-47B。後にTC-47Kに改称。
R4D-8(C-117D)
R4D-8
再生したR4D-5/6をDC-3S(別名スーパーDC-3)相当に改修した機体。後にC-117Dに改称。
R4D-5L/6L
R4D-5/6の南極観測支援機型。後にLC-47H/Jに改称。
R4D-5Q/6Q
R4D-5/6の電子戦訓練型。後にEC-47H/Jに改称。
R4D-5R/6R
R4D-5/6の人員輸送型。後にTC-47H/Jに改称。
R4D-5S/6S
R4D-5/6のASW訓練型。後にSC-47H/Jに改称。
R4D-5Z/6Z
R4D-5/6のVIP輸送機型。後にVC-47H/Jに改称。
R4D-8L
R4D-8の南極観測支援機型。後にLC-117Dに改称。
R4D-8T
R4D-8の練習機型。後にTC-117Dに改称。
R4D-8Z
R4D-8の幕僚輸送機型。後にVC-117Dに改称。
ダコタ Mk.IV
ダコタ Mk.I
イギリス向けのC-47。
ダコタ Mk.II
イギリス向けのC-53。
ダコタ Mk.III
イギリス向けのC-47A。
ダコタ Mk.IV
イギリス向けのC-47B。

採用国

日本での生産・運用

鹿屋航空基地史料館に屋外展示されている自衛隊で唯一現存するR4D-6Q 9023号機「まなづる」

日本では、戦前に日本海軍三井物産にDC-3のライセンスを取得させた上で、実際の生産は1937年(昭和12年)に設立された昭和飛行機工業によって行われた。エンジンは三菱の「金星」に変更され、日本海軍から零式輸送機(L2D2)として、1940年(昭和15年)に制式採用された。また零式輸送機は、エンジン換装によりカタログデータ上ではC-47を一部上回っていた。この零式輸送機について「DC-3(C-47)のデッドコピー」という説も流布しているが、実際には上記の通り正式なライセンス生産に出自を発している。大東亜戦争中期からは中島飛行機も一時生産を行った。昭和飛行機と中島飛行機によって、1945年(昭和20年)までに合計486機が製造された。

戦後は、海上自衛隊1958年11月から12月にかけて旧アメリカ海軍のR4D-6を3機(内1機は厳密に言えばR4D-7だったのだが、R4D-6と事実上違いがないためR4D-6と呼んでいた)、R4D-6Qを1機供与され(愛称はいずれも「まなづる」)、1971年YS-11に代替されるまで海上自衛隊唯一の輸送機として運用した。しかし当然ながら機数不足であったため、P2V-7UF-2なども人員輸送や連絡飛行に使用しなければならなかった。

退役後R4D-6Qは展示機となったが、R4D-6の内2機はアメリカに買い取られた後フィリピンに売却された[5]

諸元

三面図
機内

出典: Francillon, René J. McDonnell Douglas Aircraft Since 1920. London: Putnam & Company Ltd., 1979. ISBN 0-370-00050-1.

諸元

性能

  • 最大速度: 365 km/h (197 kn) (高度2,700m時)
  • 巡航速度: 274 km/h (148 kn)
  • フェリー飛行時航続距離: 5,795 km (3,129 nmi)
  • 航続距離: 2,575 km (1,390 nmi)
  • 実用上昇限度: 8,045 m (26,394 ft)
  • 上昇率: 318m/min


使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

現存する機体

  • 汎用性の高い機種であったため、数多くの機体が現存する。以下の表は博物館公式サイトなどがあるものを主にまとめたものであり、全現存機を掲載しているわけではない。
  • 「/」のある製造番号は、製造途中ないし改修において製造番号が更新されたものを表す。左が当初のもので、右が新しく与えられたものである。
型名     番号       機体愛称   機体写真     所在地 所有者 公開状況 状態 備考
C-47-DL 41-7723
4201
アメリカ アリゾナ州 ピマ航空宇宙博物館[1] 公開 静態展示 [2]
C-47-DL 41-38630
4733
Duggy アメリカ ノースダコタ州 ファーゴ航空博物館[3] 公開 飛行可能 [4]
C-47-DL
DC-3A-360
Tp 79
42-5694
79001 (SAF)
9001
スウェーデン エステルイェータランド県 スウェーデン空軍博物館[5] 公開 静態展示 カタリナ事件で撃墜されたもの。[6]
C-47A-20-DL 42-23518
9380
Old Number 30 アメリカ アリゾナ州 アリゾナ記念空軍博物館[7] 公開 飛行可能 [8][9]
C-47A-30-DL 42-23668
9530
アメリカ カリフォルニア州 ヤンクス航空博物館[10] 公開 静態展示 [11]
C-47A-40-DL 42-24064
9926
Placid Lassie アメリカ コネティカット州 トゥニソン財団[12] 公開 飛行可能 [13]
C-47A-50-DL
ダコタ Mk.III
42-24166
FL510 (RAF)
24166 (ALA)
10028
アメリカ フロリダ州 エイヴォンパーク重職空港 公開 保管中 日本に不時着したことがある機体。その際の出来事は映画「飛べ!ダコタ」のモデルとなった。
C-47A-60-DL
ダコタ Mk.III
42-24338
661 (RCAF)
KG661 (RCAF/RAE)
ZA947 (RAE)
10200
イギリス リンカーンシャー州 バトル・オブ・ブリテン記念飛行小隊[14] 公開 飛行可能 [15]
C-47A-1-DK 42-92320
FZ572 (RAF)
6821 (SAAF)
6888 (SAAF)
12107
南アフリカ ハウテン州 南アフリカ航空博物館[16][17] 公開 飛行可能 [18]
C-47A-5-DK
CC-129
42-92419
FZ658 (RAF)
992 (RCAF)
12963 (CAF)
12217
カナダ オンタリオ州 国立カナダ空軍博物館[19] 公開 静態展示 [20]
C-47A-5-DK
ダコタ Mk.III
CC-129
42-92489
FZ692 (RAF/RCAF)
12945(CAF)
12295
カナダ オンタリオ州 カナダ軍用機遺産博物館[21] 公開 飛行可能 [22]
C-47A-15-DK 42-92841
12686
Turf and Sport Special アメリカ デラウェア州 航空機動軍団博物館[23] 公開 静態展示 [24]
C-47A-15-DK 42-92847
12693
That's All··· Brother アメリカ テキサス州 記念空軍センテックス飛行隊[25] 公開 飛行可能 [26][27]
C-47A-20-DK 42-92990
12852
Okie Dokie アメリカ カリフォルニア州 トラヴィス空軍基地遺産センター[28] 公開 静態展示 [29]
C-47A-20-DK 42-93067
963 (FACh)
12937
チリ 首都州 国立航空宇宙博物館[30] 公開 静態展示 961だったという説もある。[31]
C-47A-20-DK 42-93096
DO-12 (FiAF)
12970
アメリカ ルイジアナ州 国立第二次世界大戦博物館[32] 公開 静態展示 [33]
C-47A-20-DK
R4D-5
C-47H
42-93127
17193 (USN)
13004
アメリカ サウスダコタ州 サウスダコタ航空宇宙博物館[34] 公開 静態展示 [35]
C-47A-20-DK 42-93168
13050
アメリカ ミシガン州 エア・ズー航空宇宙科学博物館[36] 公開 静態展示 [37]
C-47A-25-DK 42-93390
13296
チリ 首都州 国立航空宇宙博物館 公開 静態展示 [38]
C-47A-25-DK 42-108960
13448
カナダ アルバータ州 格納庫飛行博物館[39] 公開 静態展示 [40]
C-47A-25-DK
Tp 79
42-93706
79007 (SAF)
13647
スウェーデン エステルイェータランド県 スウェーデン空軍博物館 公開 静態展示 [41]
C-47A-70-DL 43-30652
13803
Whiskey 7 アメリカ ニューヨーク州 国立軍用機博物館[42] 公開 飛行可能 [43]
C-47A-30-DK 43-48098
13914/25359
アメリカ ネブラスカ州 戦略航空軍団・航空宇宙博物館[44] 公開 静態展示 [45]
C-47A-65-DL 42-100486
18949
Cheeky Charlie 写真 アメリカ ハワイ州 真珠湾航空博物館[46] 公開 静態展示 [47]旧塗装
C-47A-65-DL 42-100591
2100591 (RNAF)
68-684 (RDAF)
K-684 (RDAF)
19054
Tico Belle アメリカ フロリダ州 ヴァリアント航空軍団株式会社ウォーバード博物館[48] 公開 飛行可能 [49][50]
C-47A-70-DL 42-100731
MM61776 (AM)
19194
イタリア ローマ県 空軍歴史博物館[51] 公開 静態展示 [52]
C-47A-70-DL 42-100825
19288
(The Argonia) フランス マンシュ県 空挺博物館[53] 公開 静態展示 C-47A-80-DL 43-15159号機「The Argonia」の塗装がされている。[54]
C-47A-75-DL 42-100884
TS423 (RAF)
19347
アメリカ デラウェア州 エーセス・ハイ・US株式会社
(Aces High US Inc.)
公開 飛行可能 旧塗装
C-47A-75-DL 42-100931
19394
Flagship Orange County アメリカ カリフォルニア州 リヨン航空博物館[55] 公開 静態展示 [56]
C-47A-75-DL 42-100997
19460
ドイツ ラインラント=プファルツ州 ピーター・ユニォア航空機博物館[57] 公開 静態展示 [58]
C-47A-80-DL 43-15073
15073 (ALA)
71248 (YAF)
19539
The SNAFU Special フランス カルヴァドス県 メルヴィル砲台博物館[59] 公開 静態展示 [60][61]
C-47A-85-DL 43-15509
T.3-29 (EdA)
19975
イギリス ケンブリッジシャー州 ダックスフォード帝国戦争博物館[62] 公開 静態展示 [63][64]
C-47A-85-DL 43-15512
19978
アメリカ オレゴン州 エヴァーグリーン航空宇宙博物館[65] 公開 静態展示 [66]
C-47A-85-DL
VC-47A
43-15579
20045
The Grizzly アメリカ カリフォルニア州 マーチフィールド航空博物館[67] 公開 静態展示 [68]
C-47A-90-DL 43-15652
315652 (RNAF)
68-688 (RNLAF)
K-688 (RNLAF)
20118
オランダ ユトレヒト州 国立軍事博物館[69] 公開 静態展示 T-443という塗装がされている。[70]
C-47A-90-DL 43-15692
TC-20 (FAA)
20158
チリ 首都州 国立航空宇宙博物館 公開 静態展示 [71]
C-47A-90-DL 43-15935
20401
アメリカ テキサス州 キャヴァノー飛行博物館[72] 非公開 飛行可能 [73]
C-47A-90-DL 43-15977
20443
7th Heaven アメリカ カリフォルニア州 キャッスル航空博物館[74] 公開 静態展示 [75]
C-47A-90-DL 43-16094
20560
アメリカ ノースダコタ州 ダコタ・テリトリー航空博物館[76] 公開 静態展示 [77]
C-47B-1-DL 43-16357
K-16 (FAB)
20823
ベルギー ブリュッセル 王立軍隊・軍事史博物館[78] 公開 静態展示 [79]
C-47B-1-DK 43-48459
14275/25720
アメリカ オハイオ州 シャンペイン航空博物館[80] 公開 静態展示 [81]
C-47B-1-DK 43-48501
L2.32/11 (RTAF)
14317/25762
日本 静岡県 株式会社川嶋 公開 静態展示 映画「飛べ!ダコタ」に出演した機体。静岡県道319号線のはまゆう大橋北側、道路の西側にある広場に置かれている。
C-47B-5-DK 43-48608
K-11 (FAB)
348608 (ALA)
018 (IASA)
14424/25869
Betsy's Biscuit Bomber アメリカ カリフォルニア州 エストレラ・ウォーバーズ博物館[82] 公開 静態展示 [83][84]
C-47B-5-DK 43-48716
14532/25977
アメリカ ペンシルヴェニア州 航空遺産株式会社[85] 公開 飛行可能 [86]
C-47B-10-DK
AC-47
43-48991
KJ960 (RAF)
14807/26252
ギリシャ 中央アテネ県 ギリシャ空軍博物館[87] 公開 静態展示 [88]
C-47B-10-DK
R4D-6
C-47J
43-49147
50783 (USN)
14963/26408
Ready 4 Duty アメリカ テキサス州 記念空軍ダラス・フォートワース飛行隊[89] 公開 飛行可能 現在はR4D-6Sとして飛行している。[90]
C-47B-15-DK
C-47D
43-49270
15086/26531
アメリカ インディアナ州 グリソム航空博物館[91] 公開 静態展示 [92]
C-47B-15-DK 43-49281
15097/26542
アメリカ ユタ州 ヒル航空宇宙博物館[93] 公開 静態展示 [94]
C-47B-15-DK
R4D-6R
C-47J
42-49322
50793 (USN)
15138/26583
アメリカ ミネソタ州 ミネソタ空軍州兵博物館[95] 公開 静態展示 [96]
C-47B-15-DK
R4D-6
C-47J
43-49442
50811 (USN)
15258/26703
アメリカ ジョージア州 ミュージアム・オヴ・エイヴィーション 公開 静態展示 [97]
C-47B-15-DK 43-49443
15259/26704
チリ 首都州 国立航空宇宙博物館 公開 静態展示 [98]
C-47B-15-DK
C-47D
43-49507
15323/26768
アメリカ オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館[99] 公開 静態展示 C-47A 43-15213号機の塗装がされている。[100]
C-47B-20-DK
ダコタ Mk.IV
43-49728
KK209 (RAF)
GA-117 (LW)
GR+117 (LW)
GR+107 (LW)
XA-111 (LW)
14-01 (LW)
15544/26989
ドイツ バイエルン州 ドイツ博物館 シュライスハイム航空館[101] 公開 静態展示 [102]
C-47B-25-DK 44-76336
A65-72 (RAAF)
15920/32668
オーストラリア ヴィクトリア州 ジェフリー・トゥラペット氏
(Jeffrey Trappett)
公開 飛行可能
C-47B-25-DK 44-76345
A65-78 (RAAF)
15929/32677
オーストラリア ヴィクトリア州 オーストラリア空軍博物館[103] 公開 静態展示 [104][105]
C-47B-25-DK
ダコタ Mk.IV
44-76384
KN353 (RAF)
XF747 (RAF)
15968/32716
イギリス ヨーク州 ヨークシャー航空博物館[106] 公開 動態展示 発動機を動かして走行することができるようである。[107]
C-47B-25-DK
ダコタ Mk.IV
RC-47
44-76423
KN381 (RAF)
16007/32755
What's Up Doc? アメリカ カリフォルニア州 パームスプリングス航空博物館[108] 公開 飛行可能 [109]
TC-47B-30-DK
C-47D
VC-47D
44-76582
16166/32914
(Kilroy Is Here) アメリカ カンザス州 コンバット航空博物館[110] 公開 静態展示 「Kilroy Is Here」の塗装がされている。[111]
C-47B-30-DK
ダコタ Mk.IV
44-76603
KN462 (RAF)
16187/32935
マルタ エタード市 マルタ航空博物館[112] 公開 静態展示 [113]
C-47B-30-DK
VC-47D
44-76671
16255/33003
アメリカ テキサス州 アメリカ空軍航空兵遺産博物館[114] 公開 静態展示 [115]
TC-47B-30-DK
C-47D
44-76716
16300/33048
Hairless Joe アメリカ ミシガン州 ヤンキー航空博物館[116] 公開 飛行可能 [117]
C-47B-30-DK
ダコタ Mk.IV
44-76717
KN512 (RAF)
476717 (USN)
006 (IASA)
16301/33049
Second Chance アメリカ ニューヨーク州 アメリカ航空戦力博物館[118] 公開 飛行可能 [119]
TC-47B-30-DK
R4D-6Q?
44-76763
99824 (USN)
16347/33095
日本 鹿児島県 海上自衛隊鹿屋航空基地史料館[120] 公開 静態展示 R4D-7や7Qともされる。
C-47B-30-DK 44-76764
A65-95
16348/33096
オーストラリア ニューサウスウェールズ州 HARS航空博物館[121] 公開 飛行可能 [122]
C-47B-30-DK 44-76774
A65-94
16358/33106
オーストラリア ニューサウスウェールズ州 HARS航空博物館 公開 飛行可能 [123]
C-47B-30-DK 44-76787
476787 (ALA)
16371/33119
オランダ ザウトホラント州 解放の翼博物館 公開 静態展示 42-100847号機の塗装がされている。輸送中に破損し、廃棄されたとの情報がある。[124]
C-47B-30-DK 44-76791
476791 (USN)
034 (IASF)
16375/33123
Willa Dean アメリカ カリフォルニア州 リヨン航空博物館 公開 静態展示 [125]
C-47B-35-DK 44-76888
KN586 (RAF)
7323 (YAF)
71214 (YAF)
16472/33220
セルビア ベオグラード 航空博物館[126] 公開 静態展示 [127]
C-47B-35-DK 44-77003
KN645 (RAF)
16587/33335
イギリス シュロップシャー州 イギリス空軍博物館コスフォード館[128] 公開 静態展示 [129]
C-47B-35-DK
ダコタ Mk.IV
CC-129
44-77020
KN655 (RAF)
1000 (RCAF)
12965 (CAF)
16604/33352
フランス イル=エ=ヴィレーヌ県 ノルマンディー・ダコタ協会[130] 公開 飛行可能 [131]
C-47B-35-DK 44-77128
A65-114 (RAAF)
16712/33460
オーストラリア サウスーオーストラリア州 サウスオーストラリア航空博物館[132] 公開 静態展示 [133]
C-47B-45-DK 45-0928
16931/34189
アメリカ オハイオ州 MAPS航空博物館[134] 公開 静態展示 [135]
C-47B-45-DK 45-0957
A65-124 (RAAF)
16960/34220
オーストラリア ウェスタンオーストラリア州 航空遺産博物館[136] 公開 静態展示 [137]
C-47B-45-DK 45-0960
NZ3551 (RNZAF)
16963/34223
ニュージーランド カンタベリー地方 ニュージーランド空軍博物館[138] 公開 静態展示 [139]
DC-3-277
DC-50
DC-3-396
41-7698
4120
Tullana オーストラリア ヴィクトリア州 オーストラリア国立航空博物館 公開 静態展示 [140]
C-53-DO
XC-53A
42-6480
657 (FAC)
657A (FAC)
4932
The Duchess of Dakota アメリカ ノースダコタ州 ダコタ・テリトリー航空博物館 公開 飛行可能 テキサス飛行伝説博物館(Texas Flying Legends Museum)との共同所有機であったが、テキサス博物館が営業を終了したため単独所有となったようだ。[141]
DC-3A-453
C-53C
43-2022
4978
(Darlin' Dorien) オランダ ザウトホラント州 解放の翼博物館[142] 公開 静態展示 42-90321号機の塗装がされている。[143]
C-53D-DO
DC-3A
42-68795
11722
ドイツ ラインラント=プファルツ州 シュパイアー技術博物館[144] 公開 静態展示 [145]
C-53D-DO
DC-3A
42-68823
DO-9 (FAF)
11750
ノルウェー ヴィッケン県 ダコタ・ノーウェイ[146] 公開 飛行可能 [147]
C-53D-DO
DC-3A
42-68830
11757
D-Day Doll アメリカ カリフォルニア州 記念空軍イングランド・エンパイア飛行隊[148] 公開 飛行可能 [149]

登場作品

映画

アウトブレイク
アバンタイトルに登場。原因不明の感染症に汚染されたザイールの傭兵キャンプに、燃料気化爆弾を投下する。
遠すぎた橋
マーケット作戦用に大量動員され、アメリカ軍イギリス軍そして自由ポーランド軍空挺部隊が本機から次々と空挺降下する。
ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ
ハーディ中将が東京へ向かう機体としてダコタが登場。日本沿岸の海岸に墜落する。機内や飛行中のシーンには、実機が使われている。
飛べ!ダコタ
『ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ』と同じ事件を描いた日本映画。日本に墜落したイギリス空軍のダコタが登場する。撮影にはタイ王国空軍が2006年に廃棄したAC-47(c/n14317/25762)を使用している。

漫画

放課後アサルト×ガールズ
イズナ軍輸送機として登場。空挺部隊輸送の他に、ウェイコCG-4Aグライダーの曳航機としても使われている。

ゲーム

R.U.S.E.
アメリカイギリス輸送機として登場。
コール オブ デューティシリーズ
CoD
アメリカ軍の輸送機として登場し、第82空挺師団第101空挺師団空挺降下させる。
CoD3
米軍の輸送機として登場する。
『世界の覇者4』 アメリカ軍の輸送機として登場、レベル1~4の空軍基地からスポーンでき、ホークアイ、ブランデンブルク師団アルピーニB-4 203mm榴弾砲衛生兵などを輸送出来る。

出典

  1. ^ 「南アフリカ海軍 サイモンズ湾で観艦式挙行!」『世界の艦船』第699集 2008年
  2. ^ March Field Air Museum>Douglas VC-47A Skytrain DC-3 - ウェイバックマシン(2008年12月3日アーカイブ分)※2022年3月10日(UTC)閲覧
  3. ^ GlobalSecurity.org>C-47 Skytrain ※2022年3月10日(UTC)閲覧
  4. ^ The International Institute for Strategic Studies (IISS) (2023-02-15) (英語). The Military Balance 2023. Routledge. pp. 476-478. ISBN 978-1-032-50895-5 
  5. ^ 航空ファン イラストレイテッド 1999 AUTUMN No.108 『自衛隊航空機オールカタログ』 文林堂 1999年

関連項目


ダグラス DC-3

(C-47スカイトレイン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 00:53 UTC 版)

DC-3

DC-3 Flygande Veteranerカラーによる、リディンゲ英語版 - スウェーデン間のスカンジナビア航空の飛行(1989年)

DC-3(ディーシースリー、Douglas Commercial 3 DC-3[4]は、アメリカ合衆国の航空機メーカーであるダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)が開発した双発のプロペラ旅客機輸送機である。1936年運用開始。

アメリカ軍用輸送機としての制式名称C-47 スカイトレイン」(C-47 Skytrain)、イギリスなどにおける軍用輸送機としての名称「ダコタ」(Dakota)でも知られる。

概要

その開発当時において、飛行性能は元より、商業輸送機に求められる輸送力、経済性とも高い水準を満たした機体であり、1930年代 - 1940年代に世界の航空輸送変革の原動力となった傑作機である。事実上、世界で最初の本格的商業旅客機と言ってよい。その影響故に、第二次世界大戦後のジェット旅客機ボーイング707および747と並ぶ、民間航空史上もっとも重要な機体の一つとされている。

1945年までに1万機以上が製造されたが、これは双発輸送機としては屈指の量産記録である。もっともその多くは当初連合国軍用輸送機C-47として製造され、第二次世界大戦後に民間輸送機仕様に改造されてDC-3となったものである。合衆国以外にも、日本ソビエト連邦ライセンス生産が行われた。

2017年現在、世界に残存する飛行できる機体は150機程度と推測されている[5]

沿革

開発の過程

フォード トライモータ

1920年代以降、広大なアメリカ国内での新しい高速輸送手段として航空機は急速に台頭し、フォッカー F.VIIのような3発のエンジンを持ち10人程度の定員を持つ旅客機や、全金属製の3発機であるフォード トライモータが登場した。

しかしながら、これらの機種は巡航速度が遅く航続距離も短かかったため、アメリカ大陸横断の為には複数回の給油が必要なだけでなく、ペイロードも少なく経済性が低かった。この様な状況を受けて、トランス・ワールド航空ユナイテッド航空パンアメリカン航空などの大手航空会社は、全金属製でより多くの積載量を持ち、かつ自動操縦装置引き込み脚などの最新技術を採用した旅客機の開発を、ダグラスやボーイング、カーチスなどのメーカーに対して打診した。 

DC-1とDC-2

トランスワールド航空のDC-1
KLMオランダ航空のDC-2

トランスワールド航空のオファーを受けて、ドナルド・ダグラス率いるダグラス・エアクラフトが1933年に開発した試作機旅客機の「DC-1」と、次いで1934年に開発した量産型「DC-2」は、ともに低翼単葉の双発機であった。

これらは、全金属製モノコック構造を持ち、引き込み脚、可変ピッチプロペラ、高揚力確保のためのフラップを採用するなど近代的旅客機に不可欠とされる構造・装備をほとんど具備しており、進歩的な機体であった。DC-2の持つ、1930年代前期の双発旅客機としては多人数といえる14名の定員と、機内空間を有効活用できる合理的な胴体設計も大きな長所で、当時の航空会社から歓迎された。

アメリカン航空1933年に、北米大陸横断航空路に初の寝台旅客機「カーチス・コンドルII」を就航させた。しかしこの機体は鋼管羽布張り構造の複葉機であるなど古典的な設計の機体であり、登場して間もない1930年代半ばには既に旧式化しつつあった。また、ボーイングが開発したボーイング247はその性能や技術は申し分のないものであったが、引渡しを系列企業であるユナイテッド航空に優先配分していた。このためアメリカン航空社長のサイラス・ローレット・スミスは、DC-2をベースにした寝台旅客機をダグラス社にオーダーすることにした。

その開発は1935年中頃から開始された。鉄道寝台車同様のプルマン・スタイル[注釈 1]の開放式寝台を配置するためには、DC-2は機体幅がやや不足することが指摘された。そこで機体幅が若干拡大された。

僅か半年余りで急ピッチの開発・製作が進められ、1935年12月17日に初飛行した。DC-2の拡大設計から始まったが、実際には機体の大部分を新設計せねばならなかった実情からすれば、これはかなりの早業である。この寝台機は、Douglas Sleeper Transport、略してDSTの名称で呼ばれた。DSTは14名分の寝台とキッチンを備え、途中一度の燃料補給のみで北米大陸を横断できる長距離快速機で、1936年6月25日に路線就航し、アメリカン航空の看板旅客機となった。

DC-3

アメリカン航空のDC-3
DC-3の機内客室。2.4 m級の幅員は、4アブレストにも応じうるものであった
国民革命軍の兵員を乗せた米陸軍所属機の客室

DSTはDC-2に比して機体幅が拡大されていたが、この大型化は良い方向に働いた。DC-2では客室中央通路の両側に座席を1列ずつ配置する2アブレストであったが、DSTの幅員であれば片側にもう1列増やした3アブレストとすることができたのである。従って寝台の代わりに通常座席を配置すれば、定員はDC-2の1.5倍、21人を確保できる。後には2+2の4アブレストとして前後のピッチも詰め、最大32人定員としたケースもある。

DST開発中から座席型輸送機の製作も計画されており、DST完成後すぐに派生型として、この広いキャビンを活用した通常座席型バージョンが開発された。これがDC-3である。DSTを試作済みであるので座席型の試作機は製作せず、当初から生産型としてロールアウトした。1936年9月にアメリカン航空の手で定期路線に初就航したDC-3は、短期間のうちに優れた運航実績をあげた。

DC-3の画期的な特徴は、DC-2に比して定員を5割増としながら、その運航経費は僅か3 %ほどの増に過ぎなかったという事実に端的に表われている。DC-3登場より前のアメリカ合衆国の航空旅客輸送は、旅客運賃収入だけでは必要なコストを賄えず、連邦政府の郵便輸送補助金を受けることで何とか成り立っていた。ところがDC-3はその大きな輸送力ゆえに、アメリカン航空のC.R.スミスの言を借りれば「補助金に頼らず、自らの運賃収入だけで運用コストをまかなえる最初の旅客機」になったのである。「運賃だけで収支が黒字になる輸送機」の出現は、商業航空輸送の発展におけるきわめて重要なエポックであった。

加えて、DC-3は1930年代中期の機体としては快速の時速200マイル級で巡航でき、飛行特性も非常に安定しており、エンジン脱着が短時間で可能であるなど整備もたやすく、ユーザーにとっては実に扱いやすい機体であった。これらはDC-2から受け継いだ美点であり、さらに収容力を大幅に向上させていたことは、まさに当時における理想の旅客機の具現化というべきものであった。そのデビュー後わずかの間に、トランス・ワールド航空イースタン航空といった全米に航空網を持つ大手航空会社でこぞって採用され、当時のアメリカ民間輸送機市場を席巻、またヨーロッパでも英国海外航空スイス航空などに導入される実績を収めた。その結果、純商業機だけでも600機以上が製造され、当時商業的にもっとも成功した旅客機となった。

第二次世界大戦

DC-3の信頼性と絶大な輸送能力は、航空会社のみならず各国の軍関係者にも注目された。通常型の旅客設備を撤去した輸送機型とすれば、軍用輸送機としても非常に理想的な機体となるからである(輸送機タイプの貨物搭載能力は2.7トン)。なお民間型のDC-3の生産は、第二次世界大戦中の1943年に終了した。

C-47 スカイトレイン

アメリカ陸軍航空隊のC-47A

アメリカ陸軍航空隊は第二次世界大戦に際し、既存のダグラスDC-3を民間航空会社から139機徴用して軍用に用いたが、1941年にはDC-3の輸送機バージョンを正式に軍用輸送機として採用し、制式名称をC-47とした。

以後戦時中を通じて全力で生産が行われ、1945年までに約1万機を生産した。これらはイギリス空軍南アフリカ国防軍にも供与され、「ダコタ」(Dakota)の呼称を与えられた。派生型として兵員輸送に重点を置いた設計のC-53 スカイトルーパー(Skytrooper)も生産された。その用途は幅広く、兵器食料や兵員の輸送に用いられたほか、欧州戦線では空挺部隊グライダー牽引機にも用いられたほどである。連合軍の主力輸送機として世界中の戦場を飛行し、戦闘による損失も多数生じた。

連合軍欧州総司令官であり、のちにアメリカ合衆国大統領となったドワイト・D・アイゼンハワーは、第二次世界大戦の連合軍勝利に著しく寄与したのは「ダコタ(C-47)とジープバズーカ砲である」とコメントしている。1948年ベルリン封鎖における大空輸作戦にも、DC-3およびC-47がその初期から投入されている。

日本のDC-3生産

零式輸送機

日本では中島飛行機1935年昭和10年)からDC-2をライセンス生産し、日本航空輸送などで用いられ優秀機として高い評価を得ていた。ゆえに後継型DC-3への注目も早かった。日本海軍三井物産にダグラス社からDC-3の製造ライセンスを取得させ、実際の生産は1937年(昭和12年)に設立された昭和飛行機工業に委ねることとした。

昭和飛行機では、当初少数の機体をノックダウン方式で生産、その後完全に国産化した。完全国産化にあたっては、アメリカ本国のDC-3がアメリカ流にヤード・ポンド法インチ単位の設計図で作られていたため、既に工業界がメートル法に移行していた日本では設計図のメートル法換算を行う必要があった。このため、アメリカ本国製のオリジナルDC-3と、昭和飛行機で国産化されたDC-3とでは、厳密には随所で部品の寸法が異なっている。

エンジンは三菱の「金星」に変更され、日本海軍から零式輸送機(L2D2)として、大東亜戦争における日米開戦からわずか1年前の1940年(昭和15年)に制式採用された。零式輸送機は、一〇〇式輸送機(MC輸送機)[注釈 2]と比べ最高速度・巡航速度で大きく劣るものの、一方では搭載量では勝るなど性能は比較的優秀であった。また零式輸送機は、エンジン換装によりカタログデータ上ではC-47を一部上回っていた(この零式輸送機について「DC-3のデッドコピー」という説も流布しているが、実際には上記の通り正式なライセンス生産に出自を発している)。太平洋戦争中期からは中島飛行機も一時生産を行った。昭和飛行機と中島飛行機によって、1945年(昭和20年)までに合計486機が製造された。

ソ連のDC-3生産

PS-84

ソビエト連邦(ソ連)は第二次世界大戦中、連合国としての同盟国のアメリカからレンドリース法によって700機のC-47を供与され、軍用輸送機としての大きな成果を上げた。その実績によってDC-3の製造ライセンスが取得されることになる。

ダグラス社に派遣された経験もあった技術者ボリース・リスノーフは、DC-3をもとに、ソ連の寒冷地・不整地向けに小改良を加え、ソ連製エンジンを搭載した輸送機「PS-84」を開発する。この機体はアエロフロート航空で運航された後、1942年以降にLi-2の名称で軍用輸送機として量産され、対ドイツ戦で用いられた。簡易な爆撃機(爆弾を1 tまで搭載)としての運用も行われた。

1945年までに約2,000機が製造され、戦後はソ連やポーランド中華人民共和国などの東側諸国で旅客機や貨物機として活用された。なお、ソ連も日本同様にメートル法を採用していたためDC-3の国産化に際して設計図のメートル換算を強いられており、PS-84/Li-2シリーズの部品寸法はアメリカ製DC-3と差異がある(換算を一律切り上げにしたため、原型となったDC-3よりも自重が大きくなったという)。

戦後のDC-3

デルタ航空のDC-3(1949年)
キャセイパシフィック航空のDC-3(1959年)
マダガスカル航空のDC-3(1972年)

第二次世界大戦で生き残ったC-47の多くは、終戦後民間向けに放出された。それらは旅客機や貨物機などの民間輸送機としての設備や装備を加える改造を施され、新たにDC-3Cへと生まれ変わった。

なお、第二次世界大戦後の1949年にエンジン出力を上げた「スーパーDC-3」が製造されたが、払い下げのDC-3Cが多数出回っていたことや、戦後の航空需要の急速な伸びと太平洋及び大西洋横断飛行を含む長距離国際線の増加を受けて、新規需要の中心は大型4発機である後継機のDC-4や、それに与圧キャビンを与えたDC-6に移ったため、わずか4機が製造されたのみで生産を終了した。

戦後すぐさま、ほぼ新造機を含めた数千機が放出された元C-47のDC-3Cは、アメリカの大手航空会社からローカル航空会社まで、そして世界各国のフラッグキャリアから新興航空会社までに安く買い取られ、世界中にあまねく行き渡った。戦災からの復興の過程で急速に伸びた世界の航空輸送ビジネスは、この並外れて信頼性が高く輸送能力と経済性に優れた機体によって、1940年代 - 1950年代に著しい発展を遂げた。

日本においては、日本航空が、設立直後の招待飛行の際にフィリピン航空からのウエットリース機を運航したが、本格運行の開始後はDC-4やDC-6などの大型機に移行していった。しかしその後、複数の航空会社がDC-3(後述のC-47払下機を含む)を導入した。まず1955年(昭和30年)11月に日ペリ航空に導入し、これを皮切りに極東航空、北日本航空藤田航空伊藤忠航空、長崎航空などが次々とDC-3を購入し、ローカル線を中心とした定期路線に投入した。DC-3はさらに運輸省航空局にも導入された。

第一線からの退役

1950年代に入るとアメリカでは旅客機の大型化と、コンベア240などの新型機の導入が進んだため、DC-3は大手航空会社の幹線からは完全に姿を消し、ローカル線や貨物便を中心に運行されるようになり、旅客便の一線から退いた。日本でも、コンベア440ビッカース バイカウントなどの戦後に就航した新鋭機に押し出される形で1964年(昭和39年)3月15日に、国内航空会社としては最後まで旅客便に利用していた全日本空輸もDC-3を退役させ、翌年には貨物便からも退役させたことでその姿を消した。

しかし、アジアアフリカ南アメリカなどの発展途上国や第二次世界大戦後に独立した新興国においては、1970年代に至ってもローカル線や不定期輸送用として広く用いられていた。

コンベアフォッカーアブロなど、世界各国の多くの航空機メーカーが、「ポストDC-3」となる機体の開発に取り組んだが、その名に相応しい成功を収めた例はなく、DC-3の完成度がいかに高かったかを如実に示す結果となった。

現在

エールフランスの塗装に復元されたDC-3(2012年)

最初のDC-3が出現してから75年以上を経た21世紀初頭でも、全体の現役機数は百機単位で存在していると言われ、カナダバッファロー航空等旅客輸送にDC-3を用いている航空会社も少数ながら存在している[6]スカイダイビング用の飛行機として使われているケースも多い。

また歴史保存を目的に、航空会社をはじめとしたさまざまな組織により当時の塗装が施された機体が動態、もしくは静態保存されており、動態保存された機体は航空ショーなどにおいて飛行している。また、一部の途上国では軍用としても現役であり、南アフリカ海軍では現在も対潜哨戒機に同機を用いている[7]

これだけ長く使用されている原因の一つは、非与圧式のため機体の圧力変化による経年劣化が少ないことがある。なおエンジンの経年劣化対策や高性能化を目的に、ターボプロップエンジンへの換装や高性能天候レーダーの搭載、コクピットの近代化やそりの搭載など、機体に独自の改造を施されることもある。

派生型

DC-3S(スーパーDC-3)
C-41A
DST
最初に量産された、寝台旅客輸送機型。ライト・サイクロン9エンジン搭載。
DST-A
DSTのエンジンをP&W ツイン・ワスプに変更。
DC-3
昼間旅客輸送用の基本型。ライト・サイクロンエンジン搭載。
DC-3A
DC-3のエンジンをツイン・ワスプに変更。
DC-3B
前部客席が寝台/座席に転換でき、後部客席は座席のみとした型。胴体両側の第1窓と第3窓の所に小窓が追加されているため外見からも識別できる。
DC-3C
戦後余剰となったC-47に、民間向けの改造を施した機体。
DC-3D
C-47の余剰部品から生産された機体。
DC-3S
スーパーDC-3(Super DC-3)とも呼ばれる。胴体を延長して30座席とし、翼端の短縮、水平尾翼の形状変更などを行った他、エンジン強化に伴うナセル形状の変更により主輪は完全引き込み式となり、尾輪も半引き込み式となった。性能は大きく向上したが、登場が1949年と遅く、より近代的な機体が登場し始めていたため、総生産数は4機のみに終わる。試作1号機はYC-129の名称でアメリカ空軍に転売され、YC-47Fと改称されて審査を受けた後、アメリカ海軍へ譲渡されR4D-8の原型機となった。
C-41A
DC-3Aを基にした、初期の軍用型。VIP輸送用として1機のみ製造。
C-48、C-48A/B/C、C-49、C-49A/B/C/D/E/F/G/H/J/K、C-50、C-50A/B/C/D、C-51、C-52、C-52A/B/C/D、C-53C、C-68、C-84、R4D-2/4
アメリカの各種航空会社から軍に徴用された機体の名称。製造中だったものもあれば、完成機だったものもある。

ターボプロップ改造型

観光客を乗せ南極点付近に着陸したBT-67(2009年12月)
コンロイ トライ・ターボ3

戦後も長く飛び続けるDC-3/C-47には信頼性や性能の向上のため、専門メーカーによるターボプロップエンジンへの換装が数多く行われた。

特に成功したのがベイズラー・ターボ・コンヴァージョン社のBT-67で、1990年に登場した。ターボプロップエンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダPT6A-67Rを使用し、プロペラは5翅ブレードのものに変更されたほか、重心の関係でオリジナルのレシプロエンジンより前に突き出したため、コックピットがプロペラ回転面より前に来るよう前部胴体が延長された。また、航続距離も燃料タンクの増設により大幅に伸びている。ケン・ボーレック・エアやAntarctic Logistics社などが南極への物資輸送や観光客の送迎に使用している。

コンロイ・エアクラフトは中古のビッカース バイカウントから取り外したプラット・アンド・ホイットニー・カナダのPT6A-45に交換したコンロイ ターボ3と、エンジンを機首にも追加し三発機としたコンロイ トライ・ターボ3の完成品と改造キットを販売していた。

スペック

  • 全長:19.66 m
  • 全幅:28.96 m
  • 全高:5.1 6m
  • 翼面積:91.7 m2
  • 空虚重量:7,650 kg
  • 積載重量:11,430 kg
  • 最大離陸重量:12.7 t
  • 最大速度:182 kn (346 km/h)
  • 巡航速度:140 kn (266 km/h)
  • 操縦乗員:2名
  • 乗客数:3列席21人、4列席28 - 32人
  • エンジン:P&Wツインワスプ空冷二重星形14気筒レシプロエンジン(出力1,200hp)×2
    ライト・サイクロン空冷星形9気筒レシプロエンジン(出力1,200hp)×2
  • 最大積載航続距離:2,420 km
  • 実用上昇限度: 23,200 ft (7,100 m)

主な導入航空会社

ユナイテッド航空のDC-3(1937年)
フィリピン航空のDC-3(1953年)
クルゼイロ航空のDC-3(1975年)

ブライトリング DC-3

ブライトリング DC-3

腕時計メーカーのブライトリングは、1940年に製造されたDC-3A(HB-IRJ)の修復に出資し、『ブライトリング DC-3』として顧客を乗せるイベントの開催や、航空ショーへの出張フライトを行っている。操縦系統はオリジナルだが、新しいアビオニクスを導入したことで計器飛行に対応している[8]

2017年には修復した機体で世界各地を巡るワールドツアーを実施した。日本には熊本空港岩国基地神戸空港福島空港仙台空港松島基地に寄航し、各空港で機内の公開が行われた[9][10]

また、同年6月4日開催のレッドブル・エアレース・ワールドシリーズ千葉大会ではデモフライトを行い、その後は帯広空港に6日まで一晩停泊していた[11]

主な事故

現存する機体

型名 番号 機体写真 所在地 所有者 公開状況 状態 備考
DC-3A-197 N18111
1983
アメリカ メリーランド州 マッセイ航空博物館株式会社[1] 公開 静態展示 [2]
DC-3-201 N18124
2000
アメリカ ワシントンD.C. 国立航空宇宙博物館[3] 非公開 保管中 [4]
DC-3-201B C-GDAK
2141
カナダ オンタリオ州 カナダ軍用機遺産博物館[5] 公開 飛行可能 [6]
DC-3-277B
DC-3A
NC25673
2213
アメリカ テキサス州 ローンスター飛行博物館[7] 公開 飛行可能 [8]
DC-3-277C NC15591
N138D
NC91008
2245
アメリカ ワシントン州 ミュージアム・オヴ・フライト[9] 公開 静態展示 現在の登録は再度N138Dであるが、NC91008としてアラスカ航空で運用されていたときの塗装で展示されている。[10]
DC-3-357
DC-3-G202A
NC28341
3278
アメリカ ジョージア州 デルタ飛行博物館[11] 公開 静態展示 「シップ41」の名で、デルタ航空によって運用されていた機体。デルタ航空所有の左記施設で保存されている。[12][13]
DC-3-G202A NC1945
3294
アメリカ ミズーリ州 国立航空路線歴史博物館[14] 公開 静態展示 [15]
DC-3-277
DC-50
DC-3-396
41-7698
VH-ANH
4120
オーストラリア ヴィクトリア州 オーストラリア国立航空博物館 公開 静態展示 [16]
DC-3A-453
C-53C
N32MS
43-2022
4978
オランダ ザウトホラント州 解放の翼博物館[17] 公開 静態展示 42-90321号機の塗装がされている。[18]
DC-3-454
C-49J
43-1973
N165LG
6314
アメリカ コネティカット州 ニューイングランド航空博物館[19] 公開 静態展示 [20]
C-53D-DO
DC-3A
42-68795
F-BFGX
11722
ドイツ ラインラント=プファルツ州 シュパイアー技術博物館[21] 公開 静態展示 [22]
C-53D-DO
DC-3A
42-68823
DO-9 (FAF)
LN-WND
11750
ノルウェー ヴィッケン県 ダコタ・ノーウェイ[23] 公開 飛行可能 [24]
C-53D-DO
DC-3A
42-68830
NC45366
11757
アメリカ カリフォルニア州 記念空軍イングランド・エンパイア飛行隊[25] 公開 飛行可能 [26]
C-47B-30-DK
DC-3C-S1C3G
44-76787
476787 (ALA)
F-BAIF
16371/33119
オランダ ザウトホラント州 解放の翼博物館 公開 静態展示 42-100847号機の塗装がされている。輸送中に破損し、廃棄されたとの情報がある。[27]
不明 R-1830 日本 個人蔵 エンジンのみ現存 1950年代~60年代に日本で活躍し、その後放置されたが約2年かけて修復されその後動態保存となる[28]
DC-3-232A VH-ABR オーストラリア

ビクトリア州

個人蔵 公開 飛行可能 メルボルン国際空港にアンセット航空の塗装で保管されている。

登場作品

第二次世界大戦で活躍し、戦後は世界中のローカル航空路に翼を広げた機体だけに、1940年代以降の映画や小説にもしばしば登場する。

映画

『飛べ!ダコタ』の屋外セットにおけるDC-3
007 慰めの報酬
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
彼女が水着にきがえたら
ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ
ハーディ中将を乗せたイギリス空軍機が日本沿岸に墜落する。
1946年1月14日にビクター・ゴダード英語版イギリス空軍中将やデイリー・テレグラフ副会長のシーモア・ベリー英語版を乗せた輸送機が上海から東京の調布飛行場に向かう途中、佐渡島高千村(現:佐渡市)の海岸に不時着し、地元住民の協力を得て40日後に離陸した事件を基にしている。
太平洋の翼
零式輸送機が登場。滝大尉らがフィリピンから内地に帰還するのに登場するが、敵機の襲撃で燃料漏れを起こし、座席や戦死者の遺体を投げ捨てながらの飛行を余儀なくされる。
撮影には実物大の操縦席と客室のセットが使われ、飛行シーンはミニチュアで撮影された。
飛べ!ダコタ
上海総領事とその秘書を乗せて東京に向かう途中、エンジントラブルで佐渡島の高千村の海岸に不時着する着する。
『ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ』と同じ事件をもとに製作されており、タイ王国空軍が廃棄した機体をロケ地の佐渡島へ運んで撮影した。機体は撮影終了後にオークションにかけられ、落札した会社により浜名湖の湖畔に屋外展示されている。
ワイルド・ギース

テレビドラマ

アルフ
第26話に登場。タナー家とオクモニック家が週末旅行に出かけるのに利用する。
エアガール
日本民間航空の機体として登場。フィリピン国際航空からのチャーター機で、操縦は外国人パイロットという条件の元、日本で戦後初の民間旅客機となる。
実物大の操縦室や客室のセットが作られたほか、外観の一部も実物大セットが組まれた。ただし、離陸・飛行シーンはCGで製作された。

マンガ

『妖機 黒衣の未亡人』
戦場まんがシリーズ」の一編。零式輸送機が登場。囮機として夜間にP-61を引きずり出し、補助ロケットを点火して穴だらけになりながらも、朝まで逃げて任務を果たす。

小説

遙かなる星
架空日本企業「北崎重工」の社有機として登場。第三次世界大戦(1962年)の前年、中古の機体にレーダーなどの各種観測機材を搭載し、自社製の二段式空中発射型宇宙ロケットRA01の打ち上げ試験で試験観測を行う。
『ちがった空』
ギャビン・ライアルの古典的な航空冒険小説。この作品においては主人公の愛機である「ダコタ」が、深い愛情をもって描かれている。
鷲は舞い降りた

ゲーム

グランド・セフト・オート・サンアンドレアス
「Nevada」の名称で登場する。
コール オブ デューティ2 ビッグ レッド ワン
ニード・フォー・スピード モスト・ウォンテッド (2012)
マップの一部にスクラップ同然の状態で放棄されている。
バトルフィールド ハードライン
ミリシアの拠点にスクラップ同然の状態でAC-130An-22とともに放棄されている。
秘宝伝〜太陽を求める者達〜
主人公達の愛機として登場。ただし、DC-2の可能性もある。

脚注

注釈

  1. ^ プルマン寝台1860年代にアメリカ人ジョージ・プルマンが開発した列車寝台の形式。中央通路式で、昼間の2名向かい合わせの固定座席を、スライドさせて線路と平行な下段寝台にできる構造。上段寝台は天井に吊り上げておき、使用時は引き下ろしてセットする。日本国有鉄道JRの開放式A寝台もこの形態。
  2. ^ 九七式重爆撃機をベースに三菱が開発し日本陸軍に採用された純国産軍用輸送機(陸軍主力輸送機)。

出典

  1. ^ Francillon 1979, pp. 217–251.
  2. ^ Federal Reserve Bank of Minneapolis Community Development Project. "Consumer Price Index (estimate) 1800–" (英語). Federal Reserve Bank of Minneapolis. 2019年1月2日閲覧
  3. ^ Rumerman, Judy. "The Douglas DC-3." Archived August 6, 2004, at the Wayback Machine. U.S. Centennial of Flight Commission, 2003. Retrieved March 12, 2012.
  4. ^ 京都大学学術出版会 飛行機技術の歴史 ジョン・D・アンダーソンJr.著 織田 剛 訳 P254
  5. ^ ブライトリング・DC-3ワールドツアー ブライトリング社ホームページ 2017年5月2日閲覧
  6. ^ Buffalo Airways DOUGLAS DC-3 2014年10月23日
  7. ^ 「南アフリカ海軍 サイモンズ湾で観艦式挙行!」『世界の艦船』第699集 2008年
  8. ^ 360度カメラでみる「ダグラス DC-3」の操縦席 変わらない装置と最新計器 (THE PAGE) - Yahoo!ニュース
  9. ^ 機内の写真 - 仙台国際空港
  10. ^ ブライトリングDC-3ミーティング ブライトリング社ホームページ 2017年5月2日閲覧
  11. ^ 空飛ぶ「レジェンド」 ブライトリングDC-3とかち帯広空港へ 2017年6月5日、十勝毎日新聞

関連項目


C-47スカイトレイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 00:53 UTC 版)

放課後アサルト×ガールズ」の記事における「C-47スカイトレイン」の解説

捕虜奪回作戦時にグライダー曳航綾子たちの空挺降下使われ輸送機

※この「C-47スカイトレイン」の解説は、「放課後アサルト×ガールズ」の解説の一部です。
「C-47スカイトレイン」を含む「放課後アサルト×ガールズ」の記事については、「放課後アサルト×ガールズ」の概要を参照ください。

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