ノールウッド演習
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「第11空挺師団 (アメリカ軍)」の記事における「ノールウッド演習」の解説
第11空挺師団は、ノースカロライナ州フォートブラッグにあるムーア郡空港(当時はノールウッド陸軍補助飛行場)を攻撃部隊として占領する任務を与えられた。この時、飛行場とその周辺を防衛していた部隊は、第17空挺師団と第541パラシュート歩兵連隊の大隊で組織された戦闘団であった。演習全体を通して、地上総軍の司令官マクネア中将が視察し、最終的に空挺師団の命運を決定する上で重要な評価を下すことになった。 ノールウッド演習は1943年12月7日の夜に実施され、第11空挺師団は200機のC-47 スカイトレイン輸送機と234機のウェーコ CG-4グライダーによって13か所に降下した。輸送機は4つのグループに分かれ、そのうち2つは空挺部隊を、残りの2つはグライダー部隊を輸送した。各グループはノースカロライナ州の異なる飛行場から離陸し、4,800人の兵士を輸送した。85%の兵士が航法的に誤りなくポイントに降下し、そのまま空挺部隊がノールウッド陸軍補助飛行場を占領し、師団の残りの部隊が日が明ける前に上陸地点を確保した。第11空挺師団は、当初の目標を達成し、その後、増強の歩兵連隊と協力して地上攻撃を開始するとともに、アメリカ陸軍航空軍の輸送機と連携して、空中補給任務と死傷者避難任務を実施した。この演習は視察者によって大成功と判断され、マクネア中将も結果に満足した。この演習の成功は、ハスキー作戦からわずか数か月後に実施されたものであり、空挺能力の大幅な改善を示すものとなった。ノールウッド演習の結果、師団規模の空挺部隊の有用性が証明され、アイゼンハワー元帥もその編制維持を許可した。
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