駿河国分寺跡とは? わかりやすく解説

駿河国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 22:57 UTC 版)

伽藍全景
南方から金堂跡を望む。背景の高架は東名高速道路

駿河国分寺跡(するがこくぶんじあと、片山廃寺跡(かたやまはいじあと))は、静岡県静岡市駿河区大谷字片山にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている[1]

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、駿河国国分寺の寺院跡にあたる。

概要

静岡市市街地の南東方、有度山西麓にある古代寺院跡である。8世紀後半から10世紀前半(奈良時代後半から平安時代前半)にかけて営まれたと推測される[2]。古くは江戸時代の『駿河国新風土記』において久能寺と結びつけて紹介されている[2]。その後、1930年昭和5年)の大谷街道整備の際に瓦と礎石群が発見されたことで古代寺院跡として認知され、小字名から「片山廃寺」と命名された[2]

遺構としては1948年(昭和23年)の第1次調査、昭和31年(1956年)の第2次調査により、金堂・講堂・僧房跡が確認されている[3]。それらの発掘調査を基にして、この寺院を駿河国国分寺とする説や、有度郡の豪族の氏寺とする説が挙げられた[3]。塔跡が未発見であったこともあり国分寺説を否定する意見も挙げられていたが、2009年平成21年)の調査で塔跡と推定される版築が見つかり、国分寺の可能性を高めた[3]

寺跡は1965年昭和40年)に「片山廃寺跡」として国の史跡に指定され、2025年令和7年)に指定名称は「駿河国分寺跡」に変更された。東名高速道路の高架下にあり、その中央を県道が通過するという悪環境下ながら、公園としての整備が進んでいる[4]。また寺跡の南方約500メートルの地には、片山廃寺の瓦を焼いた宮川瓦窯跡群が残っている[2]。この瓦窯跡群は昭和49年(1974年)に「片山廃寺跡瓦窯跡」として片山廃寺跡の史跡範囲に追加指定されている[2]

伽藍

寺域は約160メートル四方と推定される[2]。伽藍は、境内中央に南方から金堂・講堂・僧房が一直線に配置されている[2]。これら金堂・講堂・僧房は火災により焼失し、その後は再興されなかったと見られている[2]。また、境内西側において境界と見られる柱跡が発見されたことから、寺には板塀が巡らされていたと推測される[2]

  • 金堂 - 建物は間口7間(30.9メートル)、奥行4間(17メートル)。基壇は間口37メートル、奥行23メートル。
  • 講堂 - 建物は間口7間(25.5メートル)、奥行4間(15.8メートル)。基壇は間口30.3メートル、奥行20.6メートル。
  • 僧房 - 建物は間口23間(68.2メートル:推定)、奥行3間(9.1メートル)。基壇は間口70.3メートル(推定)、奥行10.9メートル。

文化財

国の史跡

  • 駿河国分寺跡
    1965年(昭和40年)9月7日、「片山廃寺跡」として指定。
    1974年(昭和49年)5月13日、史跡範囲の追加指定(瓦窯跡部分)[5]、2017年(平成29年)2月9日に史跡範囲の追加指定[6]
    2025年(令和7年)9月18日、指定名称を「駿河国分寺跡」に変更[7]

現地情報

所在地

  • 寺院跡:静岡県静岡市駿河区大谷字片山・上亀井[2]
  • 瓦窯跡:静岡県静岡市駿河区大谷字宮川[2]

交通アクセス

  • 東海旅客鉄道(JR東海)静岡駅北口から
    • しずてつジャストライン(美和大谷線)で「片山南」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)または「静岡大学」バス停下車 (下車後徒歩約5分)
  • 東海旅客鉄道(JR東海)東静岡駅南口から
    • しずてつジャストライン(東静岡静大線)で「静岡大学」バス停下車 (下車後徒歩約5分)

脚注

  1. ^ 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)(文化庁報道発表 、2025年6月20日)。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 史跡説明板。
  3. ^ a b c ふちゅ~る No. 21 2013.
  4. ^ 片山廃寺(平凡社) 2000.
  5. ^ 片山廃寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 平成29年2月9日文部科学省告示第13号。
  7. ^ 令和7年9月18日文部科学省告示第80号。

参考文献

  • 史跡説明板
  • 「片山廃寺跡」『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年。ISBN 4582490220 
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。 ISBN 978-4872941708 
  • 『ふちゅ~る No. 21(平成23年度 静岡市文化財年報)』静岡市教育委員会、2013年。 
  • 片山廃寺跡」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度57分51.23秒 東経138度25分35.84秒


駿河国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:47 UTC 版)

駿河国分寺」の記事における「駿河国分寺跡」の解説

創建時国分寺位置未だ明らかとなっていない。その中で最も有力視されるのが、静岡市駿河区大谷にある片山廃寺跡(国の史跡北緯3457分51.23秒 東経13825分35.84秒 / 北緯34.9642306度 東経138.4266222度 / 34.9642306; 138.4266222 (片山廃寺跡国分寺跡か)))である。この片山廃寺塔跡未発であったため、国分寺説を否定して有度郡地方豪族私寺と見る説が挙げられているが、平成21年2009年)の調査塔跡推定される版築が見つかっており、国分寺可能性高めている。なお、この片山廃寺国分寺跡と見ない説では、国分寺跡を静岡市葵区長谷町駿府城東北部推測する一方後述菩提樹院境内には国分寺遺構とする説のある塔心礎伝わっており、「伝駿河国分寺の塔心礎」として静岡市指定文化財指定されている。その銘文から、明和8年1771年)に駿府城代武田から駿府城三の丸城代屋敷内の社の手水鉢として奉納されたものとされる。元々はいずれ寺院使用されたのか明らかでないが、舎利穴の大きさ甲斐伊豆の国分寺とほぼ同じになる。この心礎は、昭和5年1930年)に日本赤十字社静岡支部の庭(現・静岡県総合福祉会館位置)において発見され昭和28年1953年)に国分尼寺後裔伝え菩提樹院寄進された。 伝駿河国分寺の塔心礎(市指定文化財菩提樹院境内

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