現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 14:35 UTC 版)
現在の橋は、1969年(昭和44年)に以前の橋が流失したために架け替えられた12代目で、橋長130.000 m、総幅員9.300 m、幅員8.6 m、車道幅6.5 m。流失した橋梁の約65 m下流に、橋脚を置かずスパンを飛ばすためニールセンローゼ橋が採用された。本橋は川田工業によりバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋として日本で2番目に架設された。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 18:59 UTC 版)
本橋は昭和30年代以前から存在したが、現在の橋は1998年(平成10年)に架け替えられたもので、橋長112.8m、主塔高さ25mの斜張橋である。上下各1車線、合計幅7mの車道の両側に、各5.25mの歩道が付設されている。橋脚付近の歩道はテラスのように広げられている。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 18:53 UTC 版)
現在の橋は2径間多主桁プレートガーダー橋で、旧橋の交通を残しながら半分ずつ施工され、1973年に完成した。橋長は50.3mで、幅は車道16m、歩道各4mであるが下流寄り尾上町側の歩道は8mに拡がっている。 大江橋から南側の桜川橋の間は、地上では京浜東北線(根岸線)・国道16号・大岡川が、地下では首都高速神奈川1号横羽線花園橋トンネル・横浜市営地下鉄3号線が交差する、複雑な五重立体交差になっている。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:19 UTC 版)
左岸は中区山下町、右岸は同石川町となり、関内駅方面から山手隧道を経て本牧方面とを結ぶ主要交通路の一部を構成する。本橋の上空には、首都高速狩場線の高架橋が架かる。1991年(平成3年)には、中村川の吉野橋、浦舟水道橋とともにかながわの橋100選に選定。2015年度には山手隧道、桜道橋、打越橋、谷戸橋とともに「元町・山手地区の震災復興施設群」として土木学会選奨土木遺産に認定された。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:06 UTC 版)
現在の橋は、被災の翌年に新たな橋に架け替えられた二代目である。3連トラスは初代の橋の図面がほぼそのまま使われ、被災前とほぼ同じ形態で再建された。トラスは赤く塗装されている。 根府川駅の真鶴駅寄り(南側)、西側に相模湾に開けた谷筋に南北に架かり、在来線の東海道本線の複線を渡す。下流側に国道135号(真鶴道路旧道)、上流側に東海道新幹線の橋梁が並行する。鉄道撮影のスポットとしても知られ、1991年にはかながわの橋100選に選定された。2019年には丹那トンネルなどと共に「旧熱海線鉄道施設群」として、土木学会選奨土木遺産に選ばれる。 地形的要因から特に南風の時には強風が観測され、しばしば列車の運行規制を受けた。この区間の東海道本線は首都圏と東海地方・西日本を結ぶ物流の動脈であるとともに、伊豆半島への観光路線としても重要であるため、風への対策が求められた。1991年に、車窓からの景色を極力損なわないよう60%充実金網方式の防風柵が設置された。この対策により、使用開始後1年間の実績で従前に比べ運転中止日数約80%減、運転中止本数約90%減の効果が見られた。 国鉄時代はトラスが白色に塗装されていた。写真は153系電車による急行「伊豆」(1981年4月3日撮影)。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 17:11 UTC 版)
旧橋と同様に富山地方鉄道富山軌道線の軌道が中央に設けられて複線に拡張され、その両側に片側2車線の車道と歩道が設置される。車道と歩道の幅員はそれぞれ7.5 m、4.5 mで、歩道は旧大橋の2倍以上の幅となっており両側の各2か所には橋を張り出す形でバルコニーが設置されている。。高欄は富山県の代表的な産業であるアルミニウム製で、約3 mごとに近隣の富山市立五福小学校と芝園小学校の児童達が富山ガラス工房で制作した約7 cmのガラス玉を張り付けたガラス板がはめ込まれている。また軌道の架線は照明灯を兼ねたセンターポール式にし、橋から望む立山連峰の眺望を損なわないよう景観に配慮されている。 橋脚はケーソン基礎の壁型構造で、上部工は鋼製となっている。3本の橋桁の架設については、西岸側の約290 mで重機が使えないため油圧ジャッキにより4 m/時のスピードで押し出す、送り出し工法を採用した。なお、東岸側の残り部分ではクレーンによって橋桁を吊上げる工法となっている。 ^ a b 白井、2003年、P.329 ^ a b c 白井、2003年、P.331 ^ 富山大橋、24日供用開始 4車線化、歩道を拡幅(2012年3月23日閲覧)[リンク切れ] ^ a b c d e f g 富山市郷土博物館だより 富山大橋その2 ^ a b 白井、2003年、P.328 ^ 『富山大橋』(2016年3月、富山県発行)p36。 ^ a b c 『富山大橋』(2016年3月、富山県発行)p37。 ^ 紀伊半島大水害記録誌事務局 (2013-02-28). “3”. 2011年紀伊半島大水害 国土交通省近畿地方整備局 災害対応の記録 (Report). 国土交通省近畿地方整備局. http://www.kkr.mlit.go.jp/plan/saitaishien/kiihantou/kiihantou-kirokushi.pdf 2015年7月17日閲覧。. ^ a b 富山大橋の架け替え(富山県庁) pdf[リンク切れ] ^ 日経コンストラクション、2008年2月8日号、P.14 ^ 富山新聞 2015年7月12日付2面より。 ^ 「富山大橋きょう開通 立山の眺望すっきり」北日本新聞 2012年3月24日18・19面 ^ 北日本新聞、2009年04月25日 『新「富山大橋」姿現す』[リンク切れ] ^ a b 白井、2003年、P.327
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現橋(二代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 15:21 UTC 版)
震災以前の2002年より新橋への架け替えを含めた国道354号北浦バイパスの建設工事を行っており、当初2013年3月末の完成予定を目指して事業が進められていたが、震災による旧橋の崩落を受けて開通が1年近く前倒しされ、2012年4月26日に北浦バイパスと共に開通した。約1年ぶりに鉾田市札-行方市山田間の往来が可能になったほか、車道幅員8 m(2車線)・歩道幅員3.5 mとなり従前の狭隘問題も解消された。なお、開通に際する式典では、震災による崩落で亡くなった男性に対して黙祷が捧げられている。 橋梁概要橋長:415.3 m 幅員:11.5 m=車道6.5 m+1.5 m(2車線)、歩道3.5 m(片側) 車両制限:規制なし 活荷重:B活荷重 橋梁形式:鋼3径間×2連続非合成鈑桁橋+鋼1径間ランガー橋 竣工年:2012年(平成24年)4月
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:24 UTC 版)
1916年(大正5年)山陰本線延伸に伴い、この川に鉄道橋工事が着工する。工事は第一次大戦の大戦景気の最中、主な鋼材をアメリカから輸入していたため物資の高騰・物資輸送手段の不足に陥り、更に1917年(大正6年)台風によって工事途中の橋脚の2/3が大きく傾いたため作り直さなければならなくなり、工期は大きく伸びた。これが郷川橋梁(江川鉄橋とも)であり、1920年(大正9年)完成した。完成当時は福知山線以西の山陰線において唯一のトラス橋であった。一般に山陰本線での橋梁において一番の難工事は余部橋梁と言われているが、郷川橋梁は工期で余部の倍以上、工費で余部の約7倍かかっている。 なお近代の島根県内における江の川への架橋は、上江川橋・郷川橋梁と川本橋(1923年、現川本東大橋)・都賀大橋・三江線第一江川橋梁(1937年)のみで、流域の大部分では渡し船による渡河が主流であった。 1943年(昭和18年)3代目上江川橋が流出、1944年(昭和19年)ほぼ同じ位置に4代目上江川橋が架橋した。ただ木橋の4代目はあくまで仮橋として意味合いが強く1・2年毎に流出あるいは破損する可能性が高かったため、新たに郷川橋梁の下流側、江津駅前通りから伸びる道筋に橋が整備されることになる。これが現在の江川橋(計画時は新江川橋、のち下江川橋とも)である。工事は太平洋戦争終戦1年後の1946年(昭和21年)着工したものの、当時はGHQの統制下にあったため物資の確保に苦心し、当初予算は終戦処理費関連で組まれていたが1年で止められた。そこから予算確保することができた。さらに深い水深と洪水に悩まされ、郷川橋梁との近接施工になったことから慎重に工事が進められた。こうして工期は伸び、1950年(昭和25年)完成に至った。当時は西日本一の橋長であり、渡初式が盛大に行われた。同年国道に指定される。1968年には上流側に歩道が追加されている。 1993年(平成5年)国道9号江津道路整備に伴い、新江川橋が架橋された。この橋は同年に土木学会田中賞を受賞している。これに伴い上江川橋が撤去された。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 23:41 UTC 版)
現在の橋は関東大震災後の1927年(昭和2年)に架け替えられたものであり、両岸寄りのコンクリート製アーチ橋と中央の鋼製桁橋を組み合わせた構造となっている。上下各2車線の車道と、両側に歩道を持つ。所在地は西区浅間町にあたり、右岸上流側は岡野、同下流側は南幸に接する。本橋下流側で派新田間川が左に分かれていたが、河川の付け替えのため、現在は埋め立てられている。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 23:59 UTC 版)
現在の橋は首都高速狩場線の建設、およびそれに伴う中村川の河川改修に合わせて1988年に完成した。親柱は地元のシンボルとして復元され、高欄や歩道は既存の親柱に影響を与えたアール・デコ様式を基調としたデザインが採られた。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 23:59 UTC 版)
左岸は南区浦舟町二・三丁目、右岸は同中村町三丁目となる。トラスは朱色に塗装され、路面は板張りとなっている。中村川直上には首都高速狩場線の高架が通り、左岸には横浜市立大学附属市民総合医療センター、右岸には神奈川県埋蔵文化財センターやかながわ考古学財団本部、横浜市立中村小学校などが近くに所在する。1991年(平成3年)には、同じ中村川の吉野橋、架け替え後の西之橋とともにかながわの橋100選に、2000年(平成12年)には横浜市認定歴史的建造物に認定された。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 23:31 UTC 版)
現在の橋は1990年度に工事に着手、1997年度に完成した。流路中に橋脚を立てることを避けるため、アーチ橋の一種のニールセンローゼ橋を採用。アーチの塗色は現地に大きな色見本を置いて検討し、淡いクリーム色とされた。橋の軸と川筋との交差角が直角ではない斜橋であり、正面から見たときにアーチの上横支材が傾いて見える違和感を緩和するため曲線状のデザインとされた。橋長119.6m、総幅員は18.7m。車道は3.5m×往復各1車線、アーチの両サイドに2.5mの歩道が付設されている。歩道には、東海道をイメージして自然石の風合いのある舗装材が使われている。橋桁からアーチ最上部までの高さは19m。
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現橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 23:56 UTC 版)
現在の橋は1923年(大正12年)の関東大震災で失われた後に再建されたもので、1927年(昭和2年)7月に竣工した鋼製のアーチ橋である。2005年度には横浜市認定歴史的建造物、2015年度には西之橋、打越橋、桜道橋、山手隧道とともに「元町・山手地区の震災復興施設群」として土木学会選奨土木遺産に認定された。
※この「現橋」の解説は、「谷戸橋」の解説の一部です。
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