現橋梁への架け替えに至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 20:01 UTC 版)
「高田橋 (会津若松市)」の記事における「現橋梁への架け替えに至るまで」の解説
1901年 - 最初の固定板橋が架橋される。この橋梁は洪水のたびに架け替えられるなどしていた。 1931年 - コンクリート橋に架け替えられる。全長:514.6m19.2m 幅員:5.5m 形式:RC・鉄骨ラーメン連続桁橋 開通:1931年12月24日 施工:松尾橋梁 この橋梁は、昭和50年代においては当時の主要地方道会津若松伊南線の橋梁で、当時の会津若松市と北会津村の間に位置しており、1日の交通量は6000台あまりであった。加えて、昭和50年代には橋の会津若松市側で住宅の増加が見られていたほか、高田街道と呼ばれた当時の主要地方道会津若松伊奈線と、本郷街道と呼ばれた当時の県道会津若松会津高田線が、橋の北会津村側で分岐していた。
※この「現橋梁への架け替えに至るまで」の解説は、「高田橋 (会津若松市)」の解説の一部です。
「現橋梁への架け替えに至るまで」を含む「高田橋 (会津若松市)」の記事については、「高田橋 (会津若松市)」の概要を参照ください。
- 現橋梁への架け替えに至るまでのページへのリンク